この本の著者トモさん(吉田智彦さん)と初めて会ったのは、9年前のことだ。フィジー・本島から、セスナ機のように小さな飛行機に乗り、1時間ほど飛んだ所にあるタベウニ島のホテルで一緒になった。
私は、娘と良流娯さんと知夏ちゃん、4人で旅をしていて、まだ学生っぽさの残るトモさんは、一人旅のようだった。
4日ほど滞在するうちに、どちらからともなく話しをするようになった。
タベウニ島の最後の日、私たち4人は、トモさんと一緒にホテルのレストランで食事をすることになった。そこで初めてトモさんが、ノンフィクションライターを目指していることを知った。私は沢木耕太郎さんが好きなので、一緒に沢木さんの著書について話したり、私が子どもの本を書いていることなども話した。
それ以来、年賀状で近況を知らせてくれたり、ハガキなどで、雑誌などに文章がのると知らせてくれた。
その度に、あきらめずに、ノンフィクションライターに向かってがんばっているんだなあと思っていた。
そして、9年後の今秋、初めての本の出版が決まったという連絡をもらった。ほんとうに、よかったねと思った。9年間、夢をすてなかったことに、感動した。
「熊野古道巡礼」ぜひ読んでみようと思う。
そこで、突然、私自身の話しになるが、初めて本を書きたいと思ったのは、20歳の時だった。なんとなく少し希望が見えたのが30歳。初めて「ぼくらの夏は山小屋で」が出版されたのは、34歳。
やはり、本を出すって、簡単にはいかない。よほど運と才能がある人は、するすると進むのだろうけど、おおかた、ふつうの人はあきらめないことが肝心なのだろう。
私は、娘と良流娯さんと知夏ちゃん、4人で旅をしていて、まだ学生っぽさの残るトモさんは、一人旅のようだった。
4日ほど滞在するうちに、どちらからともなく話しをするようになった。
タベウニ島の最後の日、私たち4人は、トモさんと一緒にホテルのレストランで食事をすることになった。そこで初めてトモさんが、ノンフィクションライターを目指していることを知った。私は沢木耕太郎さんが好きなので、一緒に沢木さんの著書について話したり、私が子どもの本を書いていることなども話した。
それ以来、年賀状で近況を知らせてくれたり、ハガキなどで、雑誌などに文章がのると知らせてくれた。
その度に、あきらめずに、ノンフィクションライターに向かってがんばっているんだなあと思っていた。
そして、9年後の今秋、初めての本の出版が決まったという連絡をもらった。ほんとうに、よかったねと思った。9年間、夢をすてなかったことに、感動した。
「熊野古道巡礼」ぜひ読んでみようと思う。
そこで、突然、私自身の話しになるが、初めて本を書きたいと思ったのは、20歳の時だった。なんとなく少し希望が見えたのが30歳。初めて「ぼくらの夏は山小屋で」が出版されたのは、34歳。
やはり、本を出すって、簡単にはいかない。よほど運と才能がある人は、するすると進むのだろうけど、おおかた、ふつうの人はあきらめないことが肝心なのだろう。
読者である私たちは、出版されたこちら側は見えますが、それまでの苦労の足跡に触れることは、自叙伝などでしか知る術がありません。紅連さんの、最後の三行に、納得しています。
私も、いつか巡礼の旅をしたいです。
図書館に予約すると、本をいれてもらえるので、ぜひ予約をお願いしますね。
私の場合、本人楽しんで書いているので、苦労ではないのですけど、最終的に目標に到達できるかどうかわからない、というのが辛いところでした。
我々世代には バイブルのような本です
結婚前に我が旦那は インドからヨーロッパに2年程放浪し お決まりの肝炎を患っています
吉田智彦さんの「熊野古道巡礼」
今 熊野古道に興味のある私に 新たなバイブルとなる期待で 興味と期待が膨らみます
anikobeさん同様に 最後の三行の深み重み・・・
あきらめない事!
一番難しいこと ですね~
沢木耕太郎さんの本好きですか。私の周りにも心酔している人多いですよ。深夜特急も、旅行記としてもすばらしいし、沢木さんがこれから文筆家として生きていくという決意みたいなのがみなぎっていて、すごく感銘を受けます。