私の母の郷里は九州の豊前市で宇佐神宮との関わりが深いところです。宇佐神宮は伊勢神宮と並ぶ皇室の宗廟であり、代替わりのたびに皇室は勅使を送ってきます。歴史上では道鏡事件の際に和気清麻呂を勅使として宇佐神宮に送り、宇佐の神託を得た事でも有名です。ちなみに、もう一方の伊勢神宮には皇室はこの1000年間足を踏み入れていません。さて宇佐神宮の祭神ですが、応神天皇、比売大神、神宮皇后となっています。参拝するとわかるのですが、中央の主殿には比売大神が祭られ応神天皇と神宮皇后は全くの脇役です。この比売大神というのは何者か?という事ですが、宗像3女神の一人という俗説もありますが私はそうは考えていません。
話は飛びますが、魏志倭人伝の邪馬台国への道程に関しては諸説ありますが高木 彬光が邪馬台国の秘密という本の中でユニークな説を展開しています。彼はまず当時は縄文海進のなごりで海面が現在より7m-10m高かった事実から、定説とされている松浦=末廬国への上陸は無かっただろうと主張します。その代わりに上陸は縄文時代から海のシルクロードとして多くの遺跡が出ている沖ノ島、宗像ルートであったろうと至極尤もな議論を展開します。出発点が宗像神社であれば魏志倭人伝の記述通りに進めば宇佐神宮に到達することになります。なお、多くの研究者を悩ませていた後の文章にある”南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日陸行一月”は帯方郡から邪馬台国への全工程を示しているとの解釈です。私自身も”女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり”という文章があるので奈良、大和が邪馬台国である可能性は薄いと考えていたので木説は眼から鱗の感を得ました。
宇佐神宮をGogleEarthで見ると判りますが、本殿はマウンド(築山)の上に立てられており、地元の人は皆、あれは御陵だと思っています。その築山の天辺の真ん中に祭られている女性名詞の比売大神を、私は卑弥呼ではないかと考えています。
またまた話は飛びますが”天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝(日本時間。世界時では4日)に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。”という話があります。これで思い出されるのは古事記の天照大神が天の岩戸にお隠れになった伝承です。古代人にとって、卑弥呼が没した年に日が隠れ暗黒が襲った事実は印象が深く伝承として残ったと容易に推測できます。
これらより、私は邪馬台国は宇佐周辺にあった。宇佐神宮の主神は卑弥呼を祭っている。卑弥呼は天照大神であり天皇家の始祖である。と、考えています。
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同じようなことを考察しつづける人が居ますよ