ご存知かと思うが、韓国語でウリナラというのは私の国と言う意味である。ナラは奈良でもある。5世紀頃の奈良の戸籍が木簡で残っているが、調べると90%程度が渡来人姓であることがわかる。先に書いた宇佐周辺の平安時代の戸籍でも80-90%が渡来人姓である。従来の渡来人観というのは先端技術を大陸からもたらした明治維新の頃のお雇い外人のイメージであったが、90%がそれとなると、全く違う認識が必要になる。台湾の人口比率は本省人74%、客家12%、外省人12%、原住民2%となっているが渡来人の90%というのはこの感じに近い。台湾では約400年前、明の時代に客家をはじめとする漢民族が大挙して移住を行い、先住民を山に追いやってしまった。日本でもおよそ2200年前頃に同じような事が起こったのだろう。この頃の大陸や朝鮮半島は春秋時代の動乱で負け組みの離脱圧が高くそれが稲作と共に日本列島、特に九州、出雲に向かった。その子孫が私でありこれを読んでいる、あなたである。日本語というのは世界的に見てユニークな言語だが日本語と朝鮮語とは全く文法が同じで、日本人と朝鮮人が元々は同一民族であったという主張に反論する事は難しかろう。
もっと言うと、宇佐神宮は八幡宮の総本山であるが八幡は元々は”ヤハタ”と読む。この”ハタ”は秦に通じ八幡というのは元々は渡来系秦氏の神様なのである。その上で宇佐が天皇家の宗廟である事実を考えると、天皇家が渡来系の秦氏と深いつながりがあることは明らかであろう。
さて、渡来系弥生人が日本列島に大挙来日する前には縄文人が狩猟採集生活を送っていた。この縄文人はどこに行ったのであろうか? 問題というのがある。関西以西の地域では被差別がありそこに住む人々は、いわれの無い差別に今でも苦しんでいる。ところが不思議なことに東日本、関東、東北に行くとこのがほとんど無いのである。滋賀でも 稚鮎を全国に配布している漁業関係者や鈴鹿山脈には昔から山家(サンガ)と言われる人々が狩猟を糧として住んでいた。渡来人が大陸、朝鮮から九州、出雲を中心に移住して来たとすると縄文の人々は西から徐々に押されて北上すると共に、各地に島状にその居住地を残してきたのではないか?関東以北は平安時代以降も蝦夷=縄文が勢力を温存し、渡来人の侵入が容易でなかったので関西地域のような分布には為らなかった、と考えると現在の被差別民というのは縄文=先住民の末裔ではなかろうかと思えてくる。縄文血統に関してはATLウイルスでのトレースが知られているが、当のにおけるATLデータがあればこれを裏付ける事が出来るのではないだろうか。ちなみに私の亡くなった叔父さんはATLキャリアであったがその出身地は、女装した日本武尊のだまし討ちにあった土蜘蛛族の本拠地(青龍窟)の近くであった。