クアラルンプール発北京行きのマレーシア航空機が、インド洋上空で行方不明となってから10年だそうです。
乗客の大半が中国の方だったということで、先日 中国国内で真相解明を求める集会が行われているニュースを見ました。
航空機事故で、突然行方不明となってしまい、なかなか発見されない、原因が究明されないというケースは、たまに耳にします。
マナウス近郊でも、16年前にリオデジャネイロに向かっていたGOL機が、北マットグロッソ州の森林上空で、北米に向かっていたチャーター機と接触し、行方不明になった事故がありました。この時は、接触したチャーター機が近くの空軍基地に緊急着陸したこともあり、事故がわかりましたが、機体が見つかったのは数日後となり、乗客乗員全員亡くなるという結果になりました。
昨日、ネットでニュースを読んでいた時に、航空機事故に関する興味深い記事を見つけました。
今はもうありませんが、かつてはブラジルのフラッグキャリアとして活躍していたVARIGブラジル航空の貨物機が、45年間行方不明になっているという記事です。
1979年1月30日午後8時半、VARIGブラジル航空の貨物機が、日本の成田空港を離陸しました。
貨物機には雑貨や自動車部品、そして絵画など約20トンの荷物が積まれ、6人の乗組員が乗り込み、その頃の一般的な経路であった、アメリカ ロサンゼルス空港を経由し、ペルー リマ空港経由でサンパウロのヴィラコッポス空港に向かう予定でした。
離陸後、20分後に管制塔と「問題なく飛行中」という、定時の交信がありました。その後午後9時23分に次の交信が行われるはずでしたが、その交信はなく、その後も航空機との連絡は途絶えてしまいました。
VARIG機は成田離陸後、約45分で墜落したものとみられ、日本沿岸から500㎞近海を中心に捜索が行われました。
しかし、機体の残骸なども見つからず、全く完全に姿を消してしまい、「VARIG機のミステリー」として語られることになりました。
2009年にはブラジルのテレビ番組で特集も組まれ、当時の「ソビエト連邦」による「飛行機誘拐」説、果ては「UFOによる拉致」説まで出ていたそうです。
この貨物機の中にはブラジルで活躍していた「マナブ間部」画伯の作品53点(当時の金額にして1200万ドル)が積まれていました。画伯の作品は、日本で行われていた「日本ーブラジル移民70年」を記念するために開催されていた個展のために持ってこられていた作品でした。
間部画伯はその後14年かけて、この事故で失われた作品を一つ一つ描き直したということです。
その後、VARIG機が消息を絶った場所の近海で浮遊物の目撃情報などもありましたが、VARIG機のものであるという決め手にはならず、また油の流出なども見られたものの、墜落の確証となるものにはなりませんでした。
この場所は日本海溝があり、水深は5000mにも達するため、発見は無理だろうと判断され、2月5日、捜索が打ち切られました。
その後、この「VARIG機行方不明事件」はミステリーとして語られてきたわけですが、近年また状況が変わってきました。科学技術の発展により、深海での行方不明機の捜索なども可能になってきたためです。
ブラジルでは最近、海底に沈む小型飛行機の写真が話題になっています。
この写真は、1937年に女性飛行士による世界一周飛行中に、南太平洋で消息を絶った、小型機の映像ではないかと言われています。
まだ確証には至っていませんが、機体がほぼ完全な形で残っていることがわかります。
この技術をもって、近い将来、行方不明となったVARIG機の行方を捜索する計画が、現在たてられているということです。