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桜の花と見紛うような、あざやかなピンク色の花。
ピンクイッペーかしら?
結構長く咲いています。
というわけで、今日からペケママ、60の手習いです。
そのためには、広いサンパウロ市内をあっちからこっちへ。
バスやメトロの公共交通機関が整っているので、ありがたいです。
今日はいつもとちょこっと違う路線のバスに乗ってきたら...
交通事故に遭遇。バイク事故みたいよ。
地面に倒れていた人、足を動かしていたから、大丈夫とは思うけど...
明日の朝も4時起きで頑張ります。
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桜の花と見紛うような、あざやかなピンク色の花。
ピンクイッペーかしら?
結構長く咲いています。
というわけで、今日からペケママ、60の手習いです。
そのためには、広いサンパウロ市内をあっちからこっちへ。
バスやメトロの公共交通機関が整っているので、ありがたいです。
今日はいつもとちょこっと違う路線のバスに乗ってきたら...
交通事故に遭遇。バイク事故みたいよ。
地面に倒れていた人、足を動かしていたから、大丈夫とは思うけど...
明日の朝も4時起きで頑張ります。
グラウンド犬たちにご飯をあげに行って、汗びっしょりになって部屋に戻りました。
いや、やっぱり蒸し暑さ、半端ないわ。
エアコンをつけっぱなしにして出かけたので、涼しい部屋に入ってほっと一息。
ふと、携帯電話を見ると、娘からメッセージが入っているわ。
なんでしょう?
見てみると、なんだか名簿みたいなものが写った写真が...
娘からのメッセージを読んでみると、「マラソン雑誌のバックナンバーを見ていたら、1982年のリオのマラソンの資料の中に、お父さんの名前を発見してしまった!!」とのこと。
よくよく写真を見ていると、綴りは間違っているものの、確かに夫の名前だわね。
夫の昔の写真を整理していたら、確かにマラソンの写真は出てきたけれど、まさか本当に本気で走っていたとは...半信半疑だったのよね。
ごめん、ごめん。
夫にお線香をあげて、ていねいに謝っておきました。
* * * * *
さて、娘はマナウスに引っ越してきた8歳の時に、歯の矯正を始めました。
鮫も驚くような2枚歯娘だったからね。
実質的な矯正は4年ほどで終わったのですが、その後も定期的に歯医者さんに通院し、メンテナンスを続けていました。
大学に入学して一時歯医者さんからは足が遠のいたのですが、最近また歯医者通いを復活。
今年に入り、親知らずを4本抜きました。
その後、また矯正をするということで、このたびマウスピースを新調。
まるで宝石のような扱い!!
昔、これを作るための歯形取りで、口の中にシリコンのようなものを入れるため、吐いてしまったという苦い思い出がある娘、今回はコンピューターの3D技術でつくったのだそうで、大感動していました。
よほどの苦い思い出だったのね。
でもね、大人になってからでも、確かに年齢にあった矯正って必要だと思うわ。
ペケママも顎が狭くなってきているのか、昔はきちんとそろっていた前歯がどんどん出っ歯になってきてしまっているの。
おまけに、歯が動く時期があるのか、時々すごく痛いし。
矯正よりなにより、まずは歯医者に行かなくちゃね。
年齢にあった身体的なメンテナンスの必要性を、ひしひしと感じるペケママなのでした。
懐かしい友人たちが訪ねてきてくれました。
夫も親しかった友人たち。
あの頃はみんなでビールを開け、一緒に笑いあった友人たち。
夫の病気のためとはいえ、会えてとてもうれしかった。
たくさんの自家製お野菜と地ビール
お土産もうれしかったけれど...
何よりうれしかったのは、久しぶりの懐かしいお話。
お酒を飲んでいるわけでもないのに、あの盛り上がり!
お土産に頂いたたくさんのお野菜と地ビールは、あっという間にペケママのお腹の中へ。
かぼちゃの種を炒めました。絶品!!
懐かしい友達に会えたことは もちろんうれしかった。
友人たちが、私が退職を決め、そしてマナウスの生活を整理することがどれほど大変だったかということを理解してくれたことが本当にありがたかった。
でも、それ以上にうれしかったのは、友人たちとの写真をマナウスの元職場の友人に送ったところ...
「この 一番つらい時期に、大切な友人たちの力をもらえたのは 素晴らしいこと。そんな友人たちに恵まれたのは、あなたがそう努力したからですよ。」
というメッセージを送ってくれたこと。
自分が大変だったと人に言いふらそうとは思わないけれど...本当に大変だった。
そのことを「大変だったよね。」って共感してくれる。
それはやはり同じ空気の中で仕事をしてきたから。
こうしてつらい時に尋ねてくれる友人を持てたこと、そのことを一緒に喜んでくれる友人を持てたこと、本当にありがたいことだと思います。
そしてそれは、もちろん私一人のことではなく、夫と共にあることだと。
わかっています。
なので、夫にも感謝しなくてはね。
ありがとう!
今回ブラジルを去るにあたって、ペケママは10年以上勤めた職場を退職してきました。
長年携わっている仕事ですが、最近になってますます仕事がおもしろくなってきたところでした。
「いまさらかい??!!」たと どやされるかもしれませんが、歳を取ったから...いや、経験を重ねてきたからこそだと思ってくださいな。
今回の退職にあたっても、たくさんのご配慮を頂きました。
素敵なプレゼントもいただきました。
ブラジルの形のペンダント。
私たち家族の大切な友人ご夫妻の、お孫さんが届けてくれました。
引っ越し荷物に大切にしまい込んでしまったので、写真を撮る暇もなかったのですが、職場生活と名前を焼き付けたコーヒーカップも頂きました。
厳しかった私になかなか馴染めなかった彼、やっと馴染めるようになったと思ったらお別れです。
でも その様子を見ていてくれたご家族の方たちが、素敵なコーヒーカップを作ってくれました。
そして たくさんのお手紙
これも写真にはできなかったけれど、寄せ書きが3枚も。
みんな’「ペケママさんのこと 忘れません。」って書いてくれているけど、忘れてしまってもいいんです。
毎日のいろいろにまぎれて、「ペケママさん?ああ、そんな人もいたなあ。」なんて思うぐらいになって...
それでいいんです。
ペケママは いつも「なう!!」だから。
思い出の中に生きてるなんて、ペケママのスタイルには合わないから。
いつでも 今目の前rにいる その人と生きていたいから。
だから、いつかきっと また別れを言ってくれた皆さんに会える日を信じています。
もし また会える日が来たら、一緒にまた笑いましょう。
皆さんから背中を押してもらったその力が、そのまま私が明日へ進む力。
たくさんの温かい力を ありがとう。
また必ず会いましょう!
今夜は雨になりました。
乾季が近いのか、最近の雨は ちょっと強く降って すぐにやんでしまいます。
ちなみにサンパウロは12度まで下がったとか。
つくづく ブラジル 広い国ね~。
最近 心が落ち込むことが続いていました。
そんな時 大切な方から言われた言葉。
「何かを手放すとき 必ず新たに得るものがあります。
たとえそのときには気が付かなくても。」
これって以前私が書いた「大変なことの裏側には いつも大切なものがくっついている。」っていうのと同じかな?
つらいことの後ろ側にある 隠れた嬉しいことを忘れないで、明日もまた 頑張りましょう!
夫の手術 きっかり12時間かかって 無事に終了しました.
もちろんこれで治療が完了したわけではなく、これからが治療の本番。
手術は治療の第1ステップです。
それでも12時間という長丁場、取り組んでくださった主治医の先生はじめ医療スタッフの方たち、なにより手術に耐えてくれた夫に感謝したいと思います。
詳細はまた後日お話したいと思います。
夫の手術の無事を祈ってくださった皆様 ありがとうございました.
取り急ぎ 手術の無事終了のお知らせと皆様への感謝をお伝えします。
本当に ありがとうございました.
今日 夫は入院しました。
明日手術になります。
非常に難しい手術になると、先日の主治医の先生との面談で言われました。
と 同時に...
ブラジルから来て、1ヶ月に満たない期間でこの大手術にたどり着ける、この運の強さはなかなかないことだとも言われました。
ブラジルから誰の紹介状もなくメールで問い合わせただけなのにもかかわらず、この専門病院の事務の方の素早い対応で診察の機会を得、この分野の権威のお医者様に巡り会え、そしてたった一日だけ空いていた手術日に席を得ることができました。
もちろん運もあるでしょうが、それだけでなく 多くの方々のご厚意とそしてご自分の職に対する真摯な取り組みに助けられ、ここまで来ることができたと感謝にたえません。
そして、私たち家族が ここに至るまでに手助けしてくれた多くの方たち。
病気を知り心弱くなった夫を支え、日本に着いてからの病院通いの付き添い・事務的な手続きをすべて行ってくれた末妹、折あるごとに東京から来てくれて、入院のための準備や夫のための洋服等をすべて揃えてくれた真ん中妹、本当にありがとう。
姉としてあなた達を頼るばかりで 心苦しい限りですが、今回はとにかく頼りにしています。
あなた達なしでは ここまでたどり着くことはできませんでした。
それからブラジルに残してきたわんこにゃんこの世話を引き受けてくれている友人たち、職場の方々。
特にサンパウロから飛んできてくれた友人。
わんこ経験も無いのに 3匹のわんこと格闘し、4匹の猫たちの世話をし 家を切り盛りしてくれる姿は、すっかり肝っ玉母さん!!
本当にありがとう。
夫と同じ病院で闘病なさった、自身のお母さまの経験を教えてくれた友人りこぴょん、家族3人の思い出に残る旅行を作ってくれたNさん、改めて高校時代の友人の繋がりの強さを感じました。
すべて整っていた組織の仕事から 一時とはいえ、抜けることをこころよく認めてくださった職場の方々、申し訳ありませんでした。
サンパウロでの病院通いの頃から、娘が夫について病院通いをすることを認め、海外からのリモートワークを容認してくださった娘の職場の方たち。
おかげで夫も私も安心して日本での治療に取り組むことができました。
その他にも夫のことを心配してくれる夫の友人の方々、知り合いの人たち、どうもありがとうございます。
明日の手術がたとえ上手くいっても、それからまた厳しい治療が続いていくことと思います。
それでも まず、明日の手術がうまくいくこと。
今はそれだけを祈りたいと思います。
ここまで私達家族を支え、励まし、力づけてくれた方たちに感謝するとともに、あと一つだけお願いをしたいと思います。
どうか どうか 明日の手術がうまくいきますよう、心の片隅で一緒に祈ってくださったら幸いです。
よろしくお願いします。
昔よく聞いたアルバム Jorge Winston の曲をYouTubeで見つかました。
どうしてあの頃は あんなにこのアルバムを聞くことができたのかな。
そんな気持ちになりました。
日本で聞いていたはずなのに、思い出すのはリオの頃の思い出。
なぜか友人たちと散々飲んだ あの夜のこと。
ブラジル人の友人は、その晩 ワインを2本空けた後、長年不倫の関係にあった彼氏に別れを告げに行くと私たちに語りました。
いいかげんに酔っぱらっていた私たちも「そうだ!!言ってやれ!!」と勝手なことを言って別れた後、やっぱり心配になって「気をつけて、無理しないで!!」と伝えに行きました。
一番若かった私が伝えに走らされ、酔っぱらった勢いで足がもつれて横断歩道で派手にすっ転びました。
膝小僧は激しく擦りむけ、肩から片頬まで見事に擦り傷だらけでした。
頭の中には瞬間的に「酔っ払い日本人 横断歩道で酔っぱらって車にはねられる」なんてテロップが流れたほど。
それでも無事にブラジル人友人は不倫男性と別れ、素敵な伴侶を得ました。
私もその時残っていた友人たちが、擦り傷血だらけの私を なぜか現夫のところに放り込んでくれたかいあり、ブラジルに永住することになりました。
その時から何年か後、ブラジル人友人は私と一緒に働いていた職場を退職し、仕事で関係のあった方と穏やかな家庭を持ちました。
私がブラジルでの職を辞し、日本で退職・夫との結婚手続きをした後またブラジルに戻ってきてしばらくした頃、彼女の訃報を聞きました。
待ち望んでいた子供さんを妊娠しあと、高齢出産による高血圧に悩まされていた彼女、予定日も近かったある日、発作に見舞われ、慌てて家族が呼んだ救急車の中で息を引き取ったそうです。
救急車の中瀕死の彼女の処置をする救急隊員は、とっさの判断で胎児を彼女の胎内から救い出しました。
普通ならば家族の同意が必要なのだそうですが、それをする余裕もないぐらいの危うい処置だったそうです。
彼女はそのまま旅立ちました。
右も左もわからないブラジルという国に来た私を、様々な面で助けてくれて、励ましてくれた友人でもあり家族のような存在の彼女でした。
彼女の胎内から助け出された赤ちゃんは、彼女のご主人様の家族のもとで無事に育てられたということです。
ちょうど うちの娘ち同じ年頃です。
母親のことなど忘れてしまっているかな?
でも、私のブラジルでの生活は彼女の助けがなくては成り立たなかった。
私のブラジルでの生活は、そんな方たちとの思い出ばかりなのです。
彼女のような人たちとの思い出が 私をブラジルにひきつけるのです。
Jorge Winston のピアノが私の心の底にある思い出を揺り起こすのは、彼のピアノ曲に大きな主張がないからかもしれません。
彼のピアノ曲を貫いているのは大きな主張というより、誰の心にもある小さなメランコリー。
そんなメランコリーのひとかけらが、人の心の奥底に働きかけるのかもしれません
そんな小さな思い出のかけらを 大切にして生きていきたいと思っています。
トルコ・シリア地震 お亡くなりになった方が2万人を超えたと聞きました。
へその緒着いた状態で救出された赤ちゃんの映像は、本当に衝撃的でした。
亡くなった 母親のことを思うと 悲しくなるとともに、こんな状況の中でも 生れてきてくれた赤ちゃんに、未来の姿を期待する気持ちもわいてきます。
各国が 地震が起こった直後から、救援隊を派遣しました。
ブラジルからは今日、消防署員、救急隊員、医師など42人 それに4頭の救助犬からなる救援隊が ブラジル空軍の輸送機 KCー390で飛び立ちました。
輸送機には同時に医薬品、食料品、衛生用品等の救援物資も積み込まれました。
救助犬の種類は ベルギーシェパード3頭、ラブラドール1頭です。
うち一頭は数年前にミナスジェライス州で起こった、鉱山の廃水貯水ダム崩壊の時に 被害者救出で活躍したベテラン犬だそうです。ate
ヨーロッパ各国は早くから救出援助に駆けつけていて、投入している救助犬の数もフランスは10頭と数が多いです。
ブラジル救援ワンコ隊も、数は少ないですが 活躍には期待大です!!
* * * * *
さて、最近までトルコには知っている方が住んでいらっしゃいました。
身体的な都合で、つい1か月前ぐらいに日本に戻られたばかりでした。
彼女の住んでいたところが直接地震の影響があったかどうかはわかりませんが、それでも心底 よかったなーと思ってしまいました。
まだまだ地震の残骸に取り残されている人、助けだされても寒さに震える人たちがたくさんいらっしゃるそうです。
1人でも多くの方が救助されますように。