おとのくに♪♪

生徒さんのピアノレッスンで感じたこと、考えたこと、コンサートの感想などポツポツ綴っています。

ミハイル・プレトニョフ ピアノリサイタル 2019/6/17

2019年06月17日 | コンサート情報
気絶しそうになりました・・
特にリストの「La Leggerezza」

この曲の演奏が終わると客席がどよめきました。
2階、3階席のお客さんがプレトニョフの魔術を見ようと次々と身を乗り出していました。

私の席からは身を乗り出しても全く見えませんでしたので音だけを聴いていましたが、ピアノが勝手に共鳴して音が増幅していく様、軽やかな音でも響きを増しながらいつしか空気に溶け込んでいく、というより別の空気を生成しているというか・・・

ロシアンピアニズムの真骨頂です。

前日勉強したプレトニョフの師フリエールが、「硬質ではない豊満な音が前代未聞の大音響となって大ホールに響き渡る」演奏をした人物であったこと、リストの弟子ザウアーがリストの次にリストのソナタの最高解釈者であるとの賛辞を送ったこと、そんなことを思い出しておりました。

リストのピア二ズムを受け継いだロシアンピアニズム。
プレトニョフの演奏を聴いて、リストはこんな音で演奏していたのではないかと思いました。

リストというとバリバリ弾きまくる派手な演奏家と思いこんでおりましたが、プレトニョフの音は柔らかく、響きで聴かせる演奏。

その音で聴いたリストは恐ろしいくらいに音が押し寄せてくる。
これまで聴いたリストとは全く違うものでした。

帰りがけ階段を下りておりましたら後ろを歩いていた若者が「リストの曲ってあんなに凄いと思わなかった」

本当に。
プログラムはどちらかと言うと地味な選曲。
後半は全曲リストで、続けて演奏されました。

昨年聴いたヴィルサラーゼが後半のプログラムをショパンの小品で組んだのと似ているなと思いながら聴いていました。
このプログラミングにストーリーがあるような。

プレトニョフの生演奏は初めて聴きましたが、芸術としての音楽が光を放っていました。
そこに彼自身が投影されることはない。

動画で見るとやる気あるのかという気がしていましたが、実際に聴くと恐ろしいくらいの芸術家でした。
気持ちではなく、音だけで勝手に泣けてきました。

プログラムです。

詩的で宗教的な調べの「葬送」。あの左手の連続オクターブ、弾いてる感じではありませんでした。別の楽器でそういう音響を作っているのかと思いました。柔らかいまま音が膨れ上がっていきました。魔術です。

ベートーヴェンも良かったです。
よくその音を見つけたなという面白さがありました。ホロヴィッツのようにどこからそのメロディ見つけてきたのかというような。しかしそれが伏線になって有機的な繋がりを生み大きな造形物を生むというか。
指揮者であり、作曲家でありというプレトニョフならではの発想。
「熱情」第2楽章の終わりから終楽章への導線は見事でした。そして終楽章の循環呼吸のように続く16分音符。蜘蛛の糸のように途切れることなく、しなやかに操っているようでした。

魔術師としか思えない・・
どこの時空から来たのか・・

ベートーヴェンとリストのプログラム。
ロシアンピアニズムの源流とも言えるプログラムです。
コメント
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