「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

ゆいレール 「 壷川駅 ⇒ 奥武山公園駅 」

2012-07-26 21:48:10 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



奥武山公園駅 ( おうのやまこうえんえき )








奥武山公園駅の近くにある 「 沖縄セルラースタジアム 」











壷川駅⇒奥武山公園駅の間で流れる車内メロディーは 「 じんじん 」 である。



じんじん じんじん 酒屋ぬみじくゎてぃ うてぃりよー じんじん さがりよー じんじん
(ホタル ホタル 酒屋の水を喰って 落ちろよ ホタル 下がれよ ホタル)


じんじん じんじん 壷屋ぬみじぬでぃ うてぃりよー じんじん さがりよー じんじん
(ホタル ホタル 壷屋の水を飲んで  落ちろよ ホタル 下がれよ ホタル)


じんじん じんじん 久茂地ぬみじぬでぃ うてぃりよー じんじん さがりよー じんじん
(ホタル ホタル 久茂地の水を飲んで 落ちろよ ホタル 下がれよ ホタル)




「じんじん」は沖縄の幼児語の方言 ”ホタル”の意味。
沖縄の方言でホタルは 「じーなー」
「うてぃり」は ”落ちろ”
「さがり」は ”下がれ”
壷屋、久茂地は那覇の地名で、繁華街にあり、
久茂地 ( くもじ ) は、県庁付近で、
壷屋は、やちむん ( 焼物 ) で有名な場所である。





熊本県宇城市  ・  熊本名水百選 「 御手洗 ( みたらい ) 水源 」

2012-07-26 21:28:03 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣










左側に湧水口が少しだけ見える。
そして橋の向うに黒猫が歩いている





鎧ヶ池から松橋インター近くの萩尾神社石橋まで行きかけたが、
何となく気分が乗らず、また豊野町まで引き返した場所がこの御手洗水源である。
水の都と呼ばれる熊本の名水百選だけあって、清んでとてもキレイな水だった。

御手洗水源は、熊本県昭和の名水100選の一つで、
豊野町下郷地区にあり、地元では 「 浄水寺の池 」 と呼ばれている。
というのが、この水源は浄水寺のあった台地の下から湧いているからで、
昔、浄水寺の僧たちが衣を脱ぎ捨てて置いた 「 衣かけ石 」 という石が今でも残っている。
2ヵ所ある湧出口からは、浄らかな水が絶えることなく湧いているが、
残念なことに、水源と 「 衣かけ石 」 と 「 湧出口 」 を撮った動画が
どういうわけか記録に残っていないのである。
次回はこんな間違いが起きないように、複数のカメラに記録を保存したいと思っている。

熊本県宇城市豊野町下郷



六花亭の 「 十勝日誌 」

2012-07-26 21:01:36 | パン ・ ケーキ ・ お菓子



どれもメインばかりで迷ってしまう








見るからに重厚な箱







浦島太郎の心境でぱっと開ける





今日は暑くてバテバテになった。
とくに午後からの仕事は堪えた。
「 ホントどげんなっとっと? 」 って言いたいくらいの暑さだった。
コンクリートの上の気温は40度に極めて近く、ただただ汗・・・
こんな日に限って狭くて重機の入らない人力仕事に加え、影のない露天の仕事である。
それでもピックで “ はつった ” ( 削り割った ) コンクリートを
一輪車に積んで足場板の上を運んだが、
最後はあまりのキツさに笑いたくなった。

クタクタになって家に帰ると、東京の友だちからオミヤゲが届いていた。
なにやら北海道に旅行に行ったらしく、いろんなモノを入れてくれていたが、
暑くて疲れたカラダには、ビールしか受け付けなくて、
ただビール・ビール・ビールのオンパレードで、
最後までビールオンリーだった。

送って頂いた六花亭のお菓子は、明日にでも感謝の気持ちを込めて頂くことにしよう。
十勝日誌?
そういえば、 「 小倉日記 」 という似たような名前のお菓子が小倉にもあったな。





沖縄県嘉手納町  「 吉屋チルーの歌碑と比謝橋の碑文 」

2012-07-25 21:19:32 | 沖縄



比謝橋の模型の下にある歌碑









比謝橋のたもとにある吉屋チルーの歌碑



























一   恨む 比謝橋や
    情きねん人ぬ
    我身渡さと思てィ
    掛きてィうちぇら


二  島んとゥなどとゥ
    クバんソイソイとゥ
    繋じある牛ぬ
    鳴ちゅらとゥみば


三  鳴ちゅるむぬ聞かぬ
    鳴らむぬ聞ちゅし
    くぬ世からあぬ世
    近くなたら


四  拝でィ拝みぶしゃ
    首里天加那志
    遊んィうちゃがゆる
    御茶屋御殿




恨むべし  比謝橋よ
私を渡そうと思って
情けのない人が
架けておいたのか


故郷の村も静まり
クバの葉がそよそよと
繋いである牛が
鳴いていると思うと、、、


鳴っているはずの音が聞こえず
鳴ってないはずの音が聞こえる
この世からあの世が
近くなったのだろうか


拝んで拝みきれぬ
首里の王様よ
遊んで遊びきれぬ
御茶屋御殿(という名がよいよ)




  1600年代に実在した(1650年生まれが有力)と言われる女流歌人。
  「吉屋チルー」は沖縄県読谷村(恩納村山田という説もある)の生まれとされ、
  7.8才の時に家庭の事情で那覇の遊郭に女郎として売られる。
  その時に詠んだ歌が一番。二番は、那覇の遊郭から故郷を偲んだ歌。
  病床で三番を詠んだあと、20才前後の若さで自殺したといわれる。
  四番は、そのお骨を郷里へ運ぶ途中、新しい王家の別邸の命名の話が出たところ、
  骨壷の中から声が聞こえ詠まれた、といわれた歌で「詠み人知らず」という説もある。
  読谷村と嘉手納町に架かる比謝橋にはこの歌碑がある。

吉屋チルーが居たとされる仲島の遊郭の近くに仲島の大石がある。



沖縄県那覇市 ・ 沖縄の文化財 「 仲島の大石 」

2012-07-25 21:11:05 | 沖縄の文化財








仲島の大石
Nakasima-No-Oishi
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和 33 ( 1958 ) 年3月14日 
Designaed Date : March 14,1958
所在地 : 沖縄県那覇市泉崎
Location : Izumisaki,Naha-shi,Okinawa-ken


仲島の大石は、那覇市街地のバスターミナル構内にある高さ約6m、周囲約25mの琉球石灰岩で、
俗に 「 仲島の大石 」 と呼ばれている。下部には海水の働きによってくぼんだ跡があり、
かつてこの周辺が海であったことをうかがわせる貴重な資料となっている。
昔、久米村の人たちは、この岩を文筆峰と呼び、縁起の良いところとして大事にしたといわれている。
また、この付近には明治41年まで仲島遊郭があって有名な女流歌人吉屋チルーもここで短い生涯を終えた。


 This Ryukyuan limestone is 6m high and 25m around, and is in the out-of-town bus terminal yard.
It is commonly called “Nakashima-no-Oishi”.
It is a precious material bscause it infers that the area was formerly the sea.
Kume-son residents uaed to call the stone Bunpitsuho, and treasured it as an auspicious spot.
There used be Nakshima red-light district untilthe 41st year of Meiji (1908),
and the famous woman poet Yoshiya-Ontsuru is believed to have short life here.



ゆいレール 「 旭橋駅 ⇒ 壷川駅 」

2012-07-25 20:50:28 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



旭橋駅付近から見た沖縄セルラースタジアムと明治橋方面













旭橋駅の近くに那覇バスターミナルがあり、
その入り口に沖縄県指定史跡の 「 仲島の大石 」 がある。

旭橋駅 ⇒ 壷川駅の間で流れる車内メロディーは、
「 唐船 ( とうしん ) どーい 」 という曲である。




『 唐船どーい 』



唐船どーい さんてーまん 一散走ならんしや
ユイヤネ 若狭町村ぬ瀬名波ぬタンメー
※ (ハイヤ センスル ユイヤネ イヤッサッサッサ… )


嘉利吉(かりゆし)ぬ遊び打ち晴りてぃからや
ユイヤネ 夜ぬ明きてぃ太陽(ティダ)ぬ上がるまでぃん


エイサー小や習らてぃ まぁに向かてぃ行ちゅが
ユイヤネ 足ぬ向くままに向かてぃ行ちゅさ


此(く)ぬシンカ揃てぃ 御祝 (うゆえー)始みりば
ユイヤナ 明日からぬ 明後日 御祝続く


北谷からやしが遊ばすみ 二才達(にせーたー)
ユイヤネ 遊ばさんありば 戻てぃ行ちゅみ


音に豊まりる 大村御殿ぬ 平松
ユイヤナ 那覇に豊まりる 久茂地ぬ ほーいガジマル木


あぶし越る水や うやぎりば止まる
ユイヤナ 我した若者ぬ止みぬなゆみ


汝達門(いったーじょー)に待ちゅみ カジマヤに待ちゅみ
ユイヤネ なりし カジマヤやましやあらに


遊ばちん清らさ踊らちん清らさ
ユイヤネ うり産ちぇる 親や神がやゆら


てぃんさぐぬ花や爪先に染みてぃ
ユイヤネ 親ぬゆしぐとぅや 肝に染みり


汝達門(いったーじょー)に待ちゅみ カジマヤに待ちゅみ
ユイヤネ なりし カジマヤやましやあらに


ちんけりり けりり 後原(くしばる)にけりり
ユイヤナ 港川にけりり あさぎナビ小


遊ばちん清らさ踊らちん清らさ
ユイヤネ うり産ちぇる 親や神がやゆら


あんしマクやてる 島や何処が二才達
ユイヤナ 中城 花ぬ伊舎堂


け舞り舞りさんてーまん 我が舞らね居ちみ
ユイヤナ さらばとぅん 立ちゃいけ舞てぃ見しら


打ち鳴らし鳴らし 四ち竹(ゆちだき)鳴らし
ユイヤネ 鳴らす四ち竹ぬ音ぬ秀らさ


唐船どーい さんてーまん 一散走ならんしや
ユイヤネ 若狭町村ぬ瀬名波ぬタンメー




「 対訳 」



唐の国から船が着いたよーって騒いでも
若狭村の瀬名波のおやじは 全然あわてない


めでたい客だ さあ盛り上がれ
夜通し唄おう 日が上がるまで踊ろう


エイサー覚えて さて どこへ向かって練り歩く?
なに この足の向くまま 気の向くままによ


この顔ぶれが揃って 祝宴を始めたとなれば
明日になっても明後日になっても こりゃ終わらない


北谷から来たんだけれど ここで遊ばせてくれるかい おにいさん
仲間に入れてくれなけりゃ 帰っちまうぜ


世に高い大村御殿の平松ってのが これかい
でもってあれが 那覇の久茂地のガジマルの木かい


あぜからあふれた水は 足でふさげば止まるけど
俺たち若いもんの勢いは 誰にも止められないってばよ


君ら 門のところで待つかい それとも風車のところで?
そーねー 風車んとこの方がいいカンジ


唄遊びさせりゃめっぽう上手 踊る姿もかっこいい
まったく こいつを産んだ親ってのは 神様じゃないかい


てぃんぐさ(鳳仙花)の赤い花の汁は 爪に染めて
親から言われたことは 心に染めて


君ら 門のところで待つかい それとも風車のところで?
そーねー 風車んとこの方がいいカンジ


ころがるころがる尻軽女 後原でいちゃいちゃ
港川でべたべた そういう女さ あさぎのナビーは


唄遊びさせりゃめっぽう上手 踊る姿もかっこいい
まったく こいつを産んだ親ってのは 神様じゃないかい


女の扱いが上手いのね あんたどこの人?
中城村の 名にしおう伊舎堂のもんだよ


さあ踊れ踊れ けしかけられては 座ってはおれぬ
すごい踊りを決めてやるから よく見とけよ


打って打って 鳴らして鳴らして 四つ竹を
ああなんて美しいんだろう この四つ竹の響き


唐の国から船が着いたよーって騒いでも
若狭村の瀬名波のおやじは 全然あわてない



エイサーやカチャーシーに欠かせない最も知られた曲で、
嘉手久から入る唐船どーいもある。






熊本県宇城市豊野町   「 鐙ヶ池 」

2012-07-25 20:18:48 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



豊野町 「 鐙ヶ池 」








以前は松の木が立っていた石積み











昨日紹介した誉ヶ丘水源と連なっている「鎧ヶ池」。
ここは国道218号線沿いにあるので、道路からもよく見える。
今から30年ほど前になると思うが、中央に造られた石垣に松の木が立っていた。
それが枯れた後に石垣が新しく組み替えられた記憶がある。
その当時の写真を撮っておけば良かったと今になって思うが、
当時はそんなことよりも、1分でも1秒でも速く走りたかったので、
そんな余裕はなかった。

今回約20年ぶりに見たが、懐かしいものである。




熊本県天草市 「 宮田港西ノ原南防波堤灯台 」

2012-07-25 20:06:51 | 熊本の灯台












































宮田港西ノ原南防波堤灯台は、白色塔形のコンクリート造の灯台である。
高さが8.56mで、平均水面から灯火までの高さは12.08mとなっている。
灯質は連成不動単閃緑光で、毎4秒に1閃光の割合で点灯している。
光達距離は、閃光7.5海里、不動光3.5海里となっている。
現用灯器はLC管制器Ⅱ型。現用レンズは300.
初点は、昭和57年2月2日となっている。


宮田港西ノ原南防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、倉岳町の旧道を右側に入ると倉岳港があり、
そこに灯台が立っている。灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。

( 熊本県天草市倉岳町宮田 )




ゆいレール 「 県庁前駅 ⇒ 旭橋駅 」

2012-07-24 15:32:10 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機



県庁前駅 ⇒ 旭橋駅








建築家 黒川紀章が設計した沖縄県庁ビル








県庁前駅








OTVの前を走る車内から見るレール







泊港の近くにある居酒屋 「 海のちんぼらぁ 」













県庁前駅 ⇒ 旭橋駅の間で流れる車内メロディーは 「 海ぬちんぼーら 」 である。



  『 海ぬちんぼうら 』


 海ぬちんぶうらー 小逆(ぐわーさか)なやい立てぃば 足の先々あぶなさや
※ 仕度ぬ悪っさぁ スバナリナーリサー 浮世ぬ真中 ジサジサジッサイ島ぬヘイヘイヘイヘイ


 海ぬ藻草(さしぐさ)や あん美らさなびく 我身ん里前に うちなびく
※ 仕度ぬ悪っさぁ スバナリナーリサー 浮世ぬ真中 ジサジサジッサイ島ぬヘイヘイヘイヘイ



 辻や印度豆 仲島や唐豆 恋し渡地 いふく豆
 カーギぬ悪っさぁ くるばし けーらし サー浮世ぬ真中ジサジサジッサイ島ぬヘイヘイヘイヘイ


 辻や印度豆 食でぃちゃんな二才達 食でぃやんちゃしが味や覚びらん
 カーギぬ悪っさぁ とぅってーなぎなぎ サー浮世ぬ真中ジサジサジッサイ島ぬヘイヘイヘイヘイ


 くだみとるガニ小取らんでぐとぅ帰ゆみ 取てぃんじアフィ小にしんじてぃ飲まさな
 ガニ小しんじぇーしぃーたーみぃーたーサー 浮世ぬ真中ジサジサジッサイ島ぬヘイヘイヘイヘイ



 ( 詞訳 )


 海の巻き貝 逆立ちしたら
 足の先っぽ危ないよ
※器量の悪い妓(こ)にゃ用はない
 浮世の真ん中はここ それ色街へ繰り込もう


 海の藻草が あんなにきれいになびく
 私はあなたに なびくのよ
※ (くりかえし)


 辻(遊郭)のいい妓はインド豆
 仲島のいい妓は唐の豆
 恋しい渡地の妓は いふく豆
 ブサイク娘はどいたどいた
 浮世の真ん中はここ それ色街へ繰り込もう


辻のインド豆 お前も食べたいかい
食べてはみたけど 味は覚えてないんだよ
ブサイク娘は一度で けっこう
浮世の真ん中はここ それ色街へ繰り込もう


踏んづけたそのカニ 取って帰らないの
お汁に入れて あの人に飲ませてあげなくちゃ
カニの煎じ汁 飲んでみたいもんだ
浮世の真ん中はここ それ色街へ繰り込もう


この唄は、もともと伊江島のゆったりとした遊び唄で、
「 前海(めーうに)すぃんぼうら 」 という。
それが遊郭や酒席で唄われるうちにアップテンポとなり、
ワイセツな歌詞に変わってポピュラーソングになった。
巻き貝、海草、豆の比喩がわからない方は、
近くのオヤジに訊いて下さい。
ゆいレールの旭橋でこの曲が使われているのは、
旭橋の近くに仲島遊郭があったからだとか?


熊本県宇城市豊野町   「 誉ヶ丘水源と誉ヶ丘橋 」

2012-07-24 15:17:44 | 熊本の石橋



誉ヶ丘水源と誉ヶ丘橋





















誉ヶ丘水源






誉ヶ丘水源の鯉













架橋 / 昭和30年 ( 1955年 )
石工 / 森下建設
長さ / 12.m
幅  /  3.4m  高さ / 不明



薩摩渡の次に向ったのが薩摩渡から1キロほどの場所にある誉ヶ丘橋である。
誉ヶ丘橋は、国道218号線沿いにある
アグリパーク豊野に隣接した誉ヶ丘公園内に架かる橋で、
公園建設の一環として昭和30年ごろに架けられたものである。
橋の下は湧水がこんこんと湧き、誉ヶ水源としても知られている。
また、この水源地は鎧が池と連なっており、公園と池との景観づくりに一役買っている。

熊本県宇城市豊野町誉ヶ丘公園





熊本県天草市 「 棚底港曙 ( たなそここう あけぼの ) 防波堤灯台 」

2012-07-24 15:02:15 | 熊本の灯台
































港にあるフェリー待合所







ここから御所浦島行きのフェリーが出ている







棚底のある天草市倉岳支所






棚底港曙防波堤灯台は白色塔形のコンクリート造の灯台で、
高さが8.42mで、平均水面から灯火までの高さが10.85mとなっている。
灯質は単閃緑光で、毎4秒に1閃光の割合で照らしている。
実効光度は26で、光達距離が3.5海里となっている。
現用灯器はLED灯器 ( Ⅱ型緑 ) 。
初点は昭和46年11月26日である。


棚底港曙防波堤灯台へのアクセスは、
本渡上島側から国道266号線を北上し、
倉岳町支所方面に向かってを右側に入ると支所の下に棚底港が見える。
そこに灯台が立っている。
灯台まで防波堤の上を歩いて行ける。
駐車は防波堤近くの空き地に駐車した。

( 熊本県天草市倉岳町曙 )




沖縄県那覇市  「 沖縄で見かけた花 ③ 」

2012-07-23 21:53:14 | 花・鳥・虫・魚・猫








この花も美栄橋駅近くの路地に咲いていた花である。
沖縄では赤や黄色の原色の花が多いからか?どこか似合う気がする。








ゆいレール 「 美栄橋駅 ⇒ 県庁前駅 」

2012-07-23 21:44:45 | モノレール ・ 乗り物 ・ 旅客機


美栄橋駅から見た景色





















美栄橋駅 ⇒ 県庁前駅の間で流れている車内メロディーは、
「 てぃんさぐぬ花 」 という人生の教え?のような歌詞の唄である。
一度は耳にしたことがある方も多いだろうと思われるポピュラーな曲である。




  「 てぃんぐさぬ花 」


 てぃんぐさぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
 親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり

 天(てぃん)ぬ群(む)り星(ぶし)や 読(ゆ)めば読(ゆ)まりしが
 親ぬゆし事や 読みやならん

 夜走(ゆるは)らす船(ふに)や 子(に)ぬ方(ふぁ)星見当(ぶしみあ)てぃ
 我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や 我んどぅ見当(みあ)てぃ

 宝玉(たからだま)やてぃん 磨かにば錆びず
 朝夕肝(あさやちむ)磨ち 浮世(うちゆ)渡ら

 誠する人や あとうや何時(いちい)までぃん
 思事(うむぐとぅ)んかなてぃ 千代(ちゆ)ぬ栄い

 なしば何事(なにぐとぅ)ん なわる事(ぐとぅ)やしが
 なさぬ故(ゆい)からどぅ ならぬ定み


 「 対 訳 」


 鳳仙花で爪の先を染めるように
 親の言うことは心の奥に染めなさい

 天の星だって 数えようと思えば数えられるけど
 親の教えは数え切れないほどたくさんある

 夜の船を航海する船は北極星を見て走る
 私を産んでくれた親は私を見ている

 眩い宝石だって磨かなければ錆びてしまう
 朝から晩まで精進し 世の中を渡って行こう

 誠実に努力する人は 後はいつまでも
 願いが叶って将来末永く幸せである

 やろうと思えばなんだって出来る
 やろうとしないから出来ないのだ






北九州市小倉北区  「 競輪発祥の地・小倉 」

2012-07-23 21:06:17 | 競輪・オートレース



現在、小倉競輪が行なわれている北九州メディアドーム








ドームに変わる前の小倉競輪場







昔あった競輪場の敷地内にある 「 競輪発祥の地 」 の石碑








昔のバンクの跡には芝生が敷き詰められ市民憩いの公園になっている





北九州市民球場と対角線上にある北九州メディアドーム。
今はこのヘルメット型のドームで競輪が行なわれている。

小倉競輪場は1948年(昭和23年)11月20日に開設された日本で最初に出来た競輪場であり、
競輪発祥の地である。
1948年に福岡県で開催される国民体育大会のために造る競技場を、
そのまま競輪に振り向けるというアイデアがきっかけで小倉競輪場が誕生した。
なお、この時の「第1回小倉競輪」で発売された車券は単勝式・複勝式のみで、
連勝式を最初に発売したのは同年12月11日の大阪府営大阪競輪場(大阪住之江競輪場)である。

かつては競輪を開催するためのみの施設であったが、
1998年(平成10年)10月に北九州メディアドームの誕生により、
移転する形で一体施設となり、
それに伴い旧小倉競輪場は1998年(平成10年)6月18日をもって閉鎖し、その後解体された。
メディアドーム西側にある芝生の公園 ( 三萩野公園芝生広場 ) が、
かつて旧小倉競輪場のあった場所である。







かつての小倉競輪場で走っている写真。




昔の競輪場のときは、よく勝っていたが、
ドームになってからあまり勝てなくなった。
時期的に町議会議員と “ 二足の草鞋 ” だったので勝てなかったのかもしれない。
それにドーム特有の独特の雰囲気が、地元意識に増して緊張感を高めた。
屋外の競輪場と違い、ピリピリと張り詰めた逃げ場の無い緊迫感というか、
圧迫感が何よりも苦しかったことは、何年経っても覚えている。





沖縄県那覇市  「 沖縄で見かけた花 ② 」

2012-07-22 23:30:46 | 花・鳥・虫・魚・猫
















これは美栄橋駅付近の沖映通りの入り口である。
この通りやゆいレールの下を走る牧志駅付近も
同じようにホウオウボクが赤くなびく光景が見られる。