「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市若松区 ・ 戸畑区 「 若戸大橋 」 開通50年

2012-09-27 21:02:19 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



「 若戸大橋 」 開通50年















北九州市の若松区と戸畑区の間に入り込む洞海湾の上を結ぶ若戸大橋が開通して
今日で50年を迎える。
毎日のように暴力団の事件が報道される北九州市にとって、
希望の光が見えるニュースである。


若戸大橋がきっかけで、日本の長大橋建設の扉が開いた。
架橋当時は、東洋一の吊り橋と言われて、人気を博していた。

若戸大橋は開通当初2車線で、
戸畑橋台から若松橋台までの区間の車道外側には歩道が設置されており、
歩行者のほか自転車と原動機付き自転車が利用できた。
橋台内部に設置された客用エレベータにより昇降し、車と反対の右側を一方通行した。

橋台上の歩道始点と終点には西鉄バスと
北九州市営バスのバス停(若松橋台バス停、戸畑橋台バス停)が設置され、
若戸大橋を渡る路線バスが停車した。
また、橋台最上部に展望台が設けられ、歩道から階段で登ることができた。

開通当初はすべて有料(原動機付き自転車は車道利用の料金と同額)であったが、
1971年2月1日から歩行者のみ無料となった。
(このとき海門橋、銚子大橋、尾道大橋、音戸大橋、
関門トンネル、天草五橋でも人が無料になった。)。

渋滞対策のため歩道を車道にして4車線化することになり、
1987年5月に歩道は廃止され、客用エレベータと展望台も撤去された。
なお、取り付け道路部分の拡張については、
若松側、戸畑側とも現道の北側に平行して道路を建設し、
4車線化後は現道が下り車線、新道が上り車線となった。

若戸大橋は、子どものころに歩いて渡った記憶があるが、
それ以外は、若松ボートに行くときに頻繁に利用していた。
その様子を書いたエッセイがあるので次ページで紹介したい。




この記事についてブログを書く
« 9月27日、今日の 「 ムサ... | トップ | エッセイ 『 ツキ 』 より (... »