野見山朱鳥の句碑 ( 昭和45年(1970)8月 )
鵜の湾を 八重の冬波 うちしらめ
魚見公園国民宿舎右側裏の高台にあるこの句碑は、
昭和44年2月芦屋海岸で詠われたものである。
定礎として生前、野見山朱鳥が句作に指導に旅行等に巡歴、
その足跡を残されたゆかりの地、
北は北海道から南は鹿児島までの
全国各地から真心もって寄せられた石、砂、土、
噴火若、熔岩、陶片、埴輪、苔、木の葉など90余点を埋めてある。
こうして真心を籠めて建立した此の句碑は、
全国に魁け野見山朱鳥の第一号のものである。
野見山朱鳥は大正6年 ( 1917 ) 直方市に生れ、
昭和20年 ( 1945 ) よりホトトギスにより高浜虚子に師事する。
昭和27年 ( 1952 ) 直方にて俳句雑誌 「 菜殻火 ( ながらび ) 」 を創刊、
その主宰であった。
野見山朱鳥は昭和45年2月52歳という若さで逝去された。