長崎県雲仙市小浜町にある 「 玉垣額之助の墓 」
4代目 玉垣 額之助(たまがき がくのすけ、天明4年(1784年) - 文政7年8月5日(1824年8月29日))は、
江戸時代の大相撲力士。肥前国高来郡(現在の長崎県雲仙市(旧・南高来郡小浜町))出身。
最高位は大関。体格は176cm、105kgと伝わる。
優勝に相当する成績は7回残している。
柏戸利助の好敵手で、当時の川柳には「(玉)垣と(柏)戸を西と東の関に据え」
「玉垣も柏(戸)も地から生えたよう」と謳われた。
比較的小兵だが技巧派。文化11年(1814年)11月場所では実力本位の番付に変更されたことが影響し、
前頭筆頭から一気に大関に昇進した。
文政6年(1823年)6月、柏戸と共に五条家から横綱免許を受けたが、
柏戸がそれを辞退したのを見てそれに遠慮したのか、綱を締めることは結局なかった。
文政7年8月5日、現役中に急死した。
主な成績 幕内在位:25場所
幕内成績:119勝27敗13分1預14無勝負 勝率.815