奥が江洲按司と手前が妹 「 つきおやのろ 」 の墓
母せりきよ、座安掟親雲上 ( うっちーぺーちん ) 代々のノロを一緒に葬った古墓
江洲集落に江洲ヌル殿内があり、
標高100mほどの丘が江洲グスクである。
仲原小学校の裏丘、江洲629番地の道向かいに按司墓へ行く小路がある。
石段を登ると岩陰に石積みされた江洲按司とヌル墓がある。
石碑には 「 兄 えすあんじ之が左 妹 つきおやのろ之が右 」 と刻まれている。
他に母せりきよ、座安掟親雲上 ( うっちーぺーちん ) 代々のノロを一緒に葬るとある。
按司とヌルは、尚 泰久王と江洲生まれの女との間にできた子であるという。
真栄田家・嘉陽家がその子孫にあたる。
南西の崖下に江洲王子の墓もあるという。
尚 泰久王が宮里生まれの女に産ませたのが尚 武ではなかろうか。
江洲按司は五男宗組で、尚武は六男ともいわれるが判然としない。
江洲グスクには尚 巴志の六男の尚 布里王子が居たといわれ、王位継承の内乱で遁󠄀走した。
そのため尚 泰久王の五男が江洲グスクに入ったといわれ、
第一尚氏王統の没落とともに廃城になった。
※ 尚 布里王子の墓