「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県生月島  「 一部氏屋敷跡 」

2017-03-02 01:50:26 | 教会



「 壱部氏屋敷跡 」 の碑銘








一部氏屋敷跡の説明板







屋敷跡に建つお堂





生月島の壱部集落の児童公園になっている場所は、
かつて籠手田氏の一族で、
この地の領主であった一部勘解由 ( いちぶ かげゆ ) の屋敷跡です。

一部勘解由は籠手田栄の子で、一部氏の養子となった。
1557 ( 弘治3 ) 年、兄の籠手田安経 ( こてだ やすつね ) と共に
カーゴ神父から洗礼を受け、洗礼名はドン・ジョアンでした。

領主の洗礼によって、カトリックに入信するものが年々増えたが、
1563 ( 永禄6 )年に相神浦の戦において
ドン・ジョアン勘解由が戦死したため、
その子バルタザル大和正治が一部氏を継ぎました。

1582 ( 天正10 ) 年に、アントニオ籠手田安経も急死し、
その後キリシタンに対する弾圧が強くなり、
1599 ( 慶長4 ) 年、安経の子 ジェロニモ安一は、
バルタザル正治と共に、生月を逃れました。

今は、この地に堂が建てられ、旧8月29日を一部氏の命日として、
ゆかりの人びとによって 「 オラショ 」 が唱えられます。



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