
首里高校と玉陵の間を通る道路がかつての馬場跡
首里城の多くの観光客が行き交う守礼門から一文字に延びた首里の古道。
琉球王朝時代は守礼門を 「 上の綾門 ( あやじょー ) 」 、
あるいは 「 上ん鳥居 ( うぃーんとりい ) 」 と呼び、
首里高校の西端付近にあった中山門 ( 明治14年撤去 ) を「下の綾門」、
または 「 下ん鳥居 ( しむんとうり ) 」 と呼んでいた。
この二つの門の中間にある約500mの道を 「 綾門大道 ( あやじょーうふみち ) 」 と称した。
その「 綾門大道 ( あやじょーうふみち ) 」で旧暦の1月15日に競馬が開かれていた。
ここで開かれていた競馬は他の琉球競馬とは違い、障害競走や現在競馬のように
集団で速さを競う競馬が行われていたと言われている。