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野望のようなもの

2012-06-15 10:21:52 | 日記


 こんにちは

 昨日夕方、豊橋駅から新幹線に乗り、横浜へ帰りました。

 これは豊橋駅で買った駅弁の包み紙です。

 「謹製 壺屋浪漫(つぼや ロマン)」です。創業明治22年とあります。西暦1889年です。100年以上の歴史です。

 そこで、いつも弁当でお世話になっている壺屋弁当部さんについて調べてみました。

 HPによると、明治21(1888)年に「旧東海道船待ちの豊橋付近で豊川を上下する船頭旅人相手に回槽問屋と料理旅館を経営」とあります。「回槽問屋」とは次のようなものです。
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 船問屋(ふなどいや/ふなどんや)は廻船問屋(かいせんどいや/かいせんどんや)・廻漕問屋(かいそうどいや/かいそうどんや)・回漕店(かいそうてん)とも呼ばれ、江戸時代から明治時代にかけて、河岸や港において廻船などの商船を対象として様々な業務を行った問屋のこと。ただし、広義において船宿(ふなやど)も「船問屋」に含める場合がある。(wikiによる)
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 同年の1888年には豊橋駅が開業したので、1889年に豊橋駅構内での営業許可をもらったそうです。「船もいいが、これからは鉄道の時代だ」ということになったのでしょう。英断ですね。この1889年をもって壺屋弁当部の創業年となっているようです。

 明治の末期からは、いなり寿司を販売ともあります。(たしかに昨日もいなり寿司が駅売店にありました。)

 大正期に「壺屋旅館」から分離独立して「壺屋弁当部」創設とあります。これでなぜ「部」がついているのかがわかりました。旅館経営から分離したから「部」なんですね。野球部とか剣道部とかではないのです。だれかが趣味でやっているわけではないのです。(明治末期とか、大正期とか、正確な年はわからなくなっているのでしょうか?)

 HPによると、その後数々の弁当が発売されています。

 しかし、残念ながら本業であったはずの旅館業のことはかかれていません。

 私は豊橋市に住んでいません。ただの通りすがりの人間ですから、もしかしたら「壺屋旅館?」は地元では有名なのかもしれません。これは確かめる必要がありそうですね。

 掲載されていないことを非難しているわけではありません。
 
 わたしはただ、いつもお弁当でおせわになっている壺屋さんが気になっているだけです。

 しかも、ここで私には、壺屋弁当部さんの弁当を完全制覇する、完食したいという野心が芽生えてきました。

 じつはすでに「手筒花火弁当」は食べています。これはちょっと豪華で、丸くて二段になっていて、手筒花火という郷土芸能と、食文化がみごとに融合した弁当です。わたしはたしかに食べました。
 そうはいっても、本当に食べたかどうか、これをお読みのかたがたは信じないでしょうか?

 では、わかりました。

 わたしは、豊橋で新幹線に乗車したとき、壺屋弁当部さんの弁当を食べ、ここでその都度ご報告いたします。

 このブログを始めて、こんなに熱い気持ちになったのは初めてです。

 それゆえ、文章が少々荒れている気がしますが、そこのところは温かい目で見守ってやってほしいと思います。

 今日もきてくださってありがとうございました。

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