こんにちは。
今日は読み終わった本の感想を書きます。
マーク・トウェイン著『不思議な少年』です。
本の表紙には以下のように紹介文があります。
「16世紀のオーストリアの小村に,ある日忽然と美少年が現れた。名をサタンといった。村の3人の少年は,彼の巧みな語り口にのせられて不思議な世界へ入りこむ・・・。作者は,アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれるが,この作品は彼の全く別の一面-人間不信とペシミズムに彩られ,奇妙に人を惹きつける。」
サタンと少年たちの交流の物語なのですが、サタンは人間をはるかにこえた能力をもっています。例えば未来を見通す力があったり、瞬時にして物を生み出したりするわけです。
最初少年たちはサタンの刺激的な行いに魅了されるわけですが、しだいにサタンの言行に違和感を感じるのです。
以下、本で気になった箇所を抜粋しました。
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(p.136)君たち人間ってやつは、幸運と不運との区別がつかないんだな。いつもとりちがえてばかりいる。それというのも、未来がみえないからさ。
(p.168)すべて人生のことは、その人間が生まれてする最初の行為のときからすでに決まっているのであり、いわばそれは不可避ともいうべきもの。どうわたしたちがあがいたところで、変わるものではない。
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文中には、ゾウは蟻のことをいちいち気にしていないというような文章があったと思います。つまり、サタンは人間を取るに足らないものと考えています。
それでも少年はサタンの考えはちがうと主張しますが、サタンにはまったく通じません。次元がちがうのです。以下の文は、主人公がサタンに必死に訴えているところです。
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(p.176)つまり、問題であるかどうかを決めるのは、フィッシャー当人であって、ほかのものではないということをしきりに言ったのだが、すべてはまったくむだであった。(フィッシャーはサタンに運命をかえられ、たいへんなことになる。サタンに悪気はまったくない)
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わたしはこれを読んだとき、サタンがよかれと思ってやったことも、本人がどうとらえるかによって変わる。しょせん押しつけにすぎないこともあるわけだ。よいかどうかを判断するのは本人以外にはできない。
思い返してみると、身の回りにもよくありますよね。教員が生徒のためによかれと思ってすることが必ずしも善ではないことが・・・。もしかしたら間違えているかもしれないというおそれを抱くべきなのだ。もちろん教員じゃなくても、年長者がついつい言いすぎて、誘導してしまうこともありますね。熱血なひとは周りの人々のこころを動かすこともあるけれど、そうじゃないかもしれないのですね。
次回につづく・・・。
本日もお越し下さりありがとうございました。
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