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ふりかえり更新(5回目)(2019.4.6更新)

2019-04-06 11:37:03 | 日記

 ↑ 総持寺
 
こんにちは。

「ふりかえり更新」の5回目です。

3/24〜26に行われた巡検です。

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3/23はさすがに体力を回復するために使いました。

【3/24】

3/24(日)はJR鶴見駅に集合でした。みなさん(17名)無事に到着しました。

この日は、明日から「模擬引率」を行うために「下見」をしてもらう日でした。

私は、どこへも行く予定はないので、鶴見にある「総持寺(そうじじ)」に行ってきました。

iPhoneの地図を使ったのですが、かなり遠回りのルートを指定され、盲目的に私はそれを信じ、総持寺に向かいました。

すると、ぜんぜん違うところ(総持寺の隣だけれども、入り口じゃないところ)に導かれてしまい、遠回りをしてしまいました。

ひだり脚の「肉離れ」が悪化しました・・・。

それでも、まあなんとかたどりつきました。





総持寺の説明は、以下の通りです。(https://www.sotozen-net.or.jp/soto/honzan 参照)

ーーーーーーーーーー以下 引用ーーーーーーーーーー

曹洞宗には、大本山が2つあります。ひとつは福井県にある大本山永平寺(だいほんざん えいへいじ)であり、ひとつは横浜市にある大本山總持寺(だいほんざん そうじじ)です。これを両大本山といいます。

大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたの よししげ)公の願いによって、越前(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。
深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす) の七堂伽藍(しちどうがらん)では、修行僧が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。

大本山總持寺は1321年、瑩山禅師が58歳のとき、能登(石川県)の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師(じょうけんりっし)より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山(しょがくさん)總持寺と名づけたことに始まります。
1898年に七堂伽藍を焼失し、1911年に能登から横浜市鶴見へ移りました。なお、旧地は總持寺祖院(そいん)として再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。

ーーーーーーーーーー以上 引用ーーーーーーーーーー

おおきなお寺でした。



さすが大本山ですね。

どこにあるのが知りませんが、石原裕次郎のお墓もあるそうです。

この日は、学生達の帰りをホテルでむかえて、その夜,学生3人と飲み会でした。
(12時頃まで)



以上、初日です。

(つづく・・・)

本日もお越し下さりありがとうございました。

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