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重松清『せんせい。』を読みました。

2013-03-19 10:21:07 | 日記


 

 こんにちは。

 重松清『せんせい。』新潮文庫

 久しぶりに歴史小説以外の本を読みました。

 重松清氏の本を読むのははじめてです。
 
 とても読みやすい小説でした。

【Amazonの内容紹介】
 先生、あのときは、すみませんでした──。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。『気をつけ、礼。』改題。

【私の感想】
「オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと」なんてあるのでしょうか?

 きっとあるだろう。あると思います。

「ああ、先生がこれをおしえてくれた」、「先生はこういうことを言いたかったのだろう」など、思い出してもらえたら、その先生は幸せだといえるでしょう。

 逆に、「あの先生のせいで・・・」とか言わてしまう場合もあるでしょう。それは子どもたちにとって思い出したくない過去かもしれません。

 でも、先生たちはそれぞれの願いをもって子どものためを思って話し、指導していると思います。子どもたちを悪くしようなんておもっている先生はいないと思います。

 ただ、よかれと思って子どもたちにいろいろとやっても、裏目にでることもあります。それが10年後、20年後に悪影響をおよぼすこともあります。反対に、だらしない指導でも、将来的に生徒にとって何かを残すことがあるかもしれません。

 じゃあ、教員はどうすればいいのでしょうか?

 それは、月並みなことですが・・・教員が一生懸命生きる姿を子どもたちにみせるしかないと思います。ただみせるのではなく、きっちりしっかり見せていくしかないと思います。子どもにいいことがありますようにという、ささやかな祈りを心の隅にもちながら、しっかりと見てもらうしかないのではないかと思うのです。

 楽しい物に打ち込む姿、何かにむかっていく姿、時には悩む姿・・・それを殊更に生徒にみせつける必要はありませんが、とにかく一生懸命生きていくしかないと思います。

 それに感動する子どもたちもいれば、反面教師ととらえる子どもたちもいるでしょう。

 よくてもわるくても、教員としてというよりもひとりの人として、生きていく姿を提供するしかないのではないか、と思います。

 立派なこともあれば、恥ずかしいこともあるでしょう。それをみてもらうしかない。


 この小説を読み、いい先生の条件とは・・・を考え、そんなふうに思いました。
 
 わたしの今のところの答えは上記のとおりで、私はそう思って中学と高校の教員をしてきました。

 たぶんこの問いには無数の答えがあるはずです。

 こんなことを書くのって、少し恥ずかしいですね。

 なんだかいやですね。


 今日も来てくださってありがとうございました。

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