17歳女子高生「アメリカン・アイドル」がレコード契約
米人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」で4位となった17歳の女子高生、アリソン・イラヘタが、レコード会社の19レコーディングスと契約を結んだ。
19レコーディングスは、アメリカン・アイドルのクリエイター、サイモン・フラー氏が率いるレーベル。同番組の今年度の優勝者、クリス・アレンや準優勝のアダム・ランバートも同レーベルと契約している。
フラー氏はイラヘタについて、同番組が発掘した最も素晴らしい若手シンガーの1人だと評価している。
イラヘタはエルサルバドルからの移民である両親とロサンゼルス郊外に暮らす。アメリカン・アイドルへの出演は9歳から熱望していたという。
2. 村上春樹さんの2巻からなる長編小説『1Q84』
『1984年』と『1Q84』
村上春樹さんの2巻からなる長編小説『1Q84』が5月下旬に刊行され、既に大ベストセラーになっている。題はジョージ・オーウェルの代表作『1984年』のもじりである。長編は5年ぶり、いわゆる大長編では『海辺のカフカ』以来7年ぶりの新作だったのに加え、この謎めいたタイトルも話題を呼んだ要因だろう。
文句なしに面白い小説、というのが率直な感想だ。2巻で計1000ページを超える長さなのに、まさに本を置くあたわざるといった感じで最後まで読者をつかんで離さない。1949年に出たオーウェルの近未来小説の向こうを張った「近過去小説」との触れ込みだが、『1984年』を読んでいなくても何の問題もなく楽しめる。
「青豆」「天吾」という2人の人物をめぐる物語が交互に語られ、並行して展開していく構成になっている。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』でおなじみのパラレルワールドだが、これまでとの違いは、割に早い段階で二つの世界のつながりが分かるようになっている点にある。
作品の核にカルト教団をめぐる謎が据えられているのは興味深い。村上さんは95年の地下鉄サリン事件に衝撃を受け、事件の被害者やオウム真理教の信者らに取材したノンフィクション作品も発表している。新作に描かれたのは現実の事件や教団とは異なる虚構ではあるが、この十数年、「宗教の闇」を見つめ続けてきた作家の思索の深まりが投影されていると感じる。
84年に大学生だった記者の記憶では、そのころの日本は消費文化にどっぷりつかり、次第にバブル経済への傾斜を強めていく、お気楽な時代だった。その2年前に出た『羊をめぐる冒険』が話題になっていた村上さんも、若手作家の一人に過ぎなかった。当時のソ連・東欧には『1984年』に描かれた全体主義的状況が存在したかもしれないが、日本の84年の現実はそれとは無縁に思われた。
しかし本当にそうだったのか、というのが『1Q84』という作品の問いかけかもしれない。同時に、この問いは、時代を超えた危機のありようを示唆してもいるようだ。つまり経済にしろ政治にしろ、本当は足元にぽっかりと穴が開き、得体(えたい)の知れないものが出入りしていながら、誰も気づかずにいるといった危うさを。
この作品ほど、いつまでも読み続けていたいという気持ちを起こさせる小説はなかった気がする。初め第2部までだった『ねじまき鳥クロニクル』が、後に第3部まで書き継がれた例もある。そう考えると、『1Q84』が上・下巻でなく「BOOK1」「BOOK2」と表示されているのは意味深長だ。ちょっと気が早いけれど続編を期待したくなってくる。
3. 手書き風字幕なくなる!? 洋画 なじみ感、柔らかさ魅力だが…
かつて「書き屋」「タイトルライター」と呼ばれる職人が一文字一文字を筆で書いていた洋画の字幕。その名残で、パソコンの機械的な文字がはんらんする現代でも「手書き風フォント」が使われ続けてきたが、近年、ゴシック文字の字幕が増えているという。味わいのある“手書き”の文字は、スクリーンから消えてしまうのか-。
洋画の輸入が始まったのは一九三〇年代で、当時の字幕は「パチウチ方式」。カードに筆で字を書いた「タイトルカード」を基に凸版を作り、フィルムに直接、傷をつける、やや原始的な方法だ。
その後、手書きのタイトルカードを撮影して字幕だけのネガを作り、映像ネガと重ねてプリントする「撮影/焼き込み方式」が主流になった。
手書き字幕が消えていき、活字で字幕ネガが作られるようになったのは八〇年代から。パソコンが出回り始めた時期と重なる。二〇〇〇年ごろには、文字をフィルムにレーザーで焼き込む「レーザー方式」が登場し、現在に至った。
お金も時間もかかる手書き字幕がなくなる一方で、手書き文字はスキャナーで取り込んでデータ化され「手書き風フォント」として残った。「佐藤フォント」「橘フォント」など“生みの親”の名前がつけられ、映画風に演出されたCMなどでも活躍している。
◇
手書き風フォントは使用料が必要だが、高額ではない。現在、字幕を手書き風にするか、一般的な活字であるゴシックを使うかは、配給会社の好みによるという。
ゴシック派は二十世紀フォックス、パラマウント、角川映画など。理由は「DVDでの映画鑑賞の普及」だ。
劇場では手書き風を使った作品も、DVD版では基本的にゴシック。映画館の年間入場者数一億六千万人に対し、DVD鑑賞人口は六億九千七百万人(08年)という現状で、「DVDやテレビ番組でゴシック文字を見慣れている人が多い」(角川)、「若者は文字へのこだわりがなく、(手書き風は)逆に見にくいらしい」(パラマウント)というのだ。
一方の手書き風フォント派は、映画らしさへのこだわりを見せる。90%以上で手書き風を使うワーナーは「昔からの映画人は手書きになじみがある」、ディズニーも「手書きの柔らかさは映画らしい。われわれは映画を手掛けているんだ、というプライド」とする。
アスミックエースなど、作品によって両方を使い分ける中立派もある。
ただ、共通認識は「世の流れはゴシック」だ。手書き派のワーナーも「結局は客商売なので、どうなるかはわからない」と本音を漏らす。配給会社の字幕担当者の世代交代が進むこともあり、「いずれ手書き風はなくなる」とのため息も聞こえる。
◇
ところで、フィルムを使わない映画のデジタル化は、字幕に影響するのか。デジタル字幕ではDVD同様、文字の縁取りや陰影をつけることが可能で、白い背景で文字を浮き立たせられる利点もある。
ずっと手書き風を使ってきた東宝東和は、三国志が題材の「レッドクリフ」で、共同配給したエイベックスの意向を受けゴシックを採用した。「デジタルの画面に、果たして手書き風文字がなじむのかわからない」といい、「レッド~」のヒットを機にゴシックへの変更を検討中だ。
逆に「デジタル時代こそ手書き」を強調するディズニーは「『劇場でDVDを流してるだけ』と思われるのは嫌。手書き文字は、DVDと劇場版を差別化する手段になる」。ワーナーは「デジタルスクリーンも従来のフィルム風の画質を追求するはず」と、デジタル化と字幕はあまり関係ないとの姿勢だ。
米人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」で4位となった17歳の女子高生、アリソン・イラヘタが、レコード会社の19レコーディングスと契約を結んだ。
19レコーディングスは、アメリカン・アイドルのクリエイター、サイモン・フラー氏が率いるレーベル。同番組の今年度の優勝者、クリス・アレンや準優勝のアダム・ランバートも同レーベルと契約している。
フラー氏はイラヘタについて、同番組が発掘した最も素晴らしい若手シンガーの1人だと評価している。
イラヘタはエルサルバドルからの移民である両親とロサンゼルス郊外に暮らす。アメリカン・アイドルへの出演は9歳から熱望していたという。
2. 村上春樹さんの2巻からなる長編小説『1Q84』
『1984年』と『1Q84』
村上春樹さんの2巻からなる長編小説『1Q84』が5月下旬に刊行され、既に大ベストセラーになっている。題はジョージ・オーウェルの代表作『1984年』のもじりである。長編は5年ぶり、いわゆる大長編では『海辺のカフカ』以来7年ぶりの新作だったのに加え、この謎めいたタイトルも話題を呼んだ要因だろう。
文句なしに面白い小説、というのが率直な感想だ。2巻で計1000ページを超える長さなのに、まさに本を置くあたわざるといった感じで最後まで読者をつかんで離さない。1949年に出たオーウェルの近未来小説の向こうを張った「近過去小説」との触れ込みだが、『1984年』を読んでいなくても何の問題もなく楽しめる。
「青豆」「天吾」という2人の人物をめぐる物語が交互に語られ、並行して展開していく構成になっている。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』や『海辺のカフカ』でおなじみのパラレルワールドだが、これまでとの違いは、割に早い段階で二つの世界のつながりが分かるようになっている点にある。
作品の核にカルト教団をめぐる謎が据えられているのは興味深い。村上さんは95年の地下鉄サリン事件に衝撃を受け、事件の被害者やオウム真理教の信者らに取材したノンフィクション作品も発表している。新作に描かれたのは現実の事件や教団とは異なる虚構ではあるが、この十数年、「宗教の闇」を見つめ続けてきた作家の思索の深まりが投影されていると感じる。
84年に大学生だった記者の記憶では、そのころの日本は消費文化にどっぷりつかり、次第にバブル経済への傾斜を強めていく、お気楽な時代だった。その2年前に出た『羊をめぐる冒険』が話題になっていた村上さんも、若手作家の一人に過ぎなかった。当時のソ連・東欧には『1984年』に描かれた全体主義的状況が存在したかもしれないが、日本の84年の現実はそれとは無縁に思われた。
しかし本当にそうだったのか、というのが『1Q84』という作品の問いかけかもしれない。同時に、この問いは、時代を超えた危機のありようを示唆してもいるようだ。つまり経済にしろ政治にしろ、本当は足元にぽっかりと穴が開き、得体(えたい)の知れないものが出入りしていながら、誰も気づかずにいるといった危うさを。
この作品ほど、いつまでも読み続けていたいという気持ちを起こさせる小説はなかった気がする。初め第2部までだった『ねじまき鳥クロニクル』が、後に第3部まで書き継がれた例もある。そう考えると、『1Q84』が上・下巻でなく「BOOK1」「BOOK2」と表示されているのは意味深長だ。ちょっと気が早いけれど続編を期待したくなってくる。
3. 手書き風字幕なくなる!? 洋画 なじみ感、柔らかさ魅力だが…
かつて「書き屋」「タイトルライター」と呼ばれる職人が一文字一文字を筆で書いていた洋画の字幕。その名残で、パソコンの機械的な文字がはんらんする現代でも「手書き風フォント」が使われ続けてきたが、近年、ゴシック文字の字幕が増えているという。味わいのある“手書き”の文字は、スクリーンから消えてしまうのか-。
洋画の輸入が始まったのは一九三〇年代で、当時の字幕は「パチウチ方式」。カードに筆で字を書いた「タイトルカード」を基に凸版を作り、フィルムに直接、傷をつける、やや原始的な方法だ。
その後、手書きのタイトルカードを撮影して字幕だけのネガを作り、映像ネガと重ねてプリントする「撮影/焼き込み方式」が主流になった。
手書き字幕が消えていき、活字で字幕ネガが作られるようになったのは八〇年代から。パソコンが出回り始めた時期と重なる。二〇〇〇年ごろには、文字をフィルムにレーザーで焼き込む「レーザー方式」が登場し、現在に至った。
お金も時間もかかる手書き字幕がなくなる一方で、手書き文字はスキャナーで取り込んでデータ化され「手書き風フォント」として残った。「佐藤フォント」「橘フォント」など“生みの親”の名前がつけられ、映画風に演出されたCMなどでも活躍している。
◇
手書き風フォントは使用料が必要だが、高額ではない。現在、字幕を手書き風にするか、一般的な活字であるゴシックを使うかは、配給会社の好みによるという。
ゴシック派は二十世紀フォックス、パラマウント、角川映画など。理由は「DVDでの映画鑑賞の普及」だ。
劇場では手書き風を使った作品も、DVD版では基本的にゴシック。映画館の年間入場者数一億六千万人に対し、DVD鑑賞人口は六億九千七百万人(08年)という現状で、「DVDやテレビ番組でゴシック文字を見慣れている人が多い」(角川)、「若者は文字へのこだわりがなく、(手書き風は)逆に見にくいらしい」(パラマウント)というのだ。
一方の手書き風フォント派は、映画らしさへのこだわりを見せる。90%以上で手書き風を使うワーナーは「昔からの映画人は手書きになじみがある」、ディズニーも「手書きの柔らかさは映画らしい。われわれは映画を手掛けているんだ、というプライド」とする。
アスミックエースなど、作品によって両方を使い分ける中立派もある。
ただ、共通認識は「世の流れはゴシック」だ。手書き派のワーナーも「結局は客商売なので、どうなるかはわからない」と本音を漏らす。配給会社の字幕担当者の世代交代が進むこともあり、「いずれ手書き風はなくなる」とのため息も聞こえる。
◇
ところで、フィルムを使わない映画のデジタル化は、字幕に影響するのか。デジタル字幕ではDVD同様、文字の縁取りや陰影をつけることが可能で、白い背景で文字を浮き立たせられる利点もある。
ずっと手書き風を使ってきた東宝東和は、三国志が題材の「レッドクリフ」で、共同配給したエイベックスの意向を受けゴシックを採用した。「デジタルの画面に、果たして手書き風文字がなじむのかわからない」といい、「レッド~」のヒットを機にゴシックへの変更を検討中だ。
逆に「デジタル時代こそ手書き」を強調するディズニーは「『劇場でDVDを流してるだけ』と思われるのは嫌。手書き文字は、DVDと劇場版を差別化する手段になる」。ワーナーは「デジタルスクリーンも従来のフィルム風の画質を追求するはず」と、デジタル化と字幕はあまり関係ないとの姿勢だ。