フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

バス停で蟻 DES FOURMIS AU ARRET D'AUTOBUS

2007-07-03 00:19:52 | Weblog

週末の気だるいバス停。コンクリートが避けているところから木が伸びている。根元を見ると蟻が歩いている。そこに蟻がいることには気付いていたが、この日はバスが来なかったのでさらに注意して見ると、急にそこら一面に蟻が歩いているのが目に入ってきた。見なければ見えなかったのである。中には仲間と一緒にものを運んでいるのが見える。流石に働き者だな、と思った瞬間、右腕がムズムズ。見ると2匹の蟻が私の上を歩いている。どこから上がってきたのだろうか。

・・・そっとコンクリートの地面に落としてあげた。

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6 コメント

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内なる声 (paul-ailleurs)
2007-07-03 20:52:50
私の場合、ひょっとするとこれを中学時代から聞き始め、大学時代からはこれに従おうと決めていたように思います。そのため、私の進む道はしばしば他の人を驚かせていたのではないかと思います。今回のことも含め。私にとっては最も自然な歩みだったのですが。NAO様の場合は仕事をやめてからフランス語に入られたとのことですが、私の場合はフランス語に入ったことが仕事の意味を考えさせることになったかもしれません。内なる声に耳を傾けるという生き方は、どんな声がこれから聞こえてくるのかということになりますので、案外スリリングなことかもしれません。

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Unknown (NAO)
2007-07-03 20:27:04
「自らの内なる声に忠実に」とのお言葉で心が晴れました。平野さんははじめから、ご自分の才能を開花させる小説書きという仕事に出会われ、生涯つずけられるものとおもわれます。普通はやはり仕事という範囲に限定させ、なんらかの不全感を持ちつつ、やつて行くという生活にならざるをえません。私は30年近くある仕事をしてきましたが、50台後半にやりきれなくなり、突如仕事をやめ、フランス語にのめりこみました。そのことで、不全感の多くが解除されました。何年やつても、ポツポツと読むくらいにしかなりませんが、(介護がありましたし)それでも仕事をやめたことを後悔したことはありません。50台後半はそんな決断のできる最後のチャンスのような気がします。内なる声こそ、神の声のような気がしてなりません。それに身を任せる、という人生はやはり善き人生なのだと信じています。
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いの様 (paul-ailleurs)
2007-07-03 20:10:04
ご案内ありがとうございます。今の時期必要な癒しに溢れていそうですが、どうなりますか。

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NAO 様 (paul-ailleurs)
2007-07-03 20:07:49
平野さんのブログ読ませていただきました。巧みに生きてきたからこそ、善くいきたいと思うようになるということもあるのだと思います。私の場合を振り返ってみますと、巧みに生きようと言うよりは、自らの内なる声に忠実に、と考えていたと思います。そのため、この世の流れから見て巧みと言えるものとは、ずれていたのではないかと思っています。

むしろ、これまでの頭の使い方が余りにも限られていたことに気付き、これからもそのようなやり方で果たして満足して終れるのだろうか、という想いが強烈に湧き上がってきたと言った方が正確ではないかと思っています。そして、仕事をするということは、そもそもそういうことではないのか、とも気付きました。どれだけ続けることができるのかはわかりませんが、しばらくは広く見、考えていきたいと思っています。おそらく、それは善く生きることともつながっているかもしれません。

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Unknown (いの)
2007-07-03 16:00:23
店の白煉瓦の階段でも時々蟻の行列を見ます、、
5日(ピアノ)・6日(ボサノバボーカル)とマイナスイオンに満たされた癒し系ライブが続きます~(^^)
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巧みにいきるか、善く生きるか (NAO)
2007-07-02 23:13:43
平野さんの2007・1・21のブログに上の題がでていました。『巧みに、うまく』いきるだけでは、みたされない。けつこう、上手にいきてきたから、というか、多分そうだからこそ、・・自分は善く生きているんだろうかという疑問に深刻にみまわれる・・・この感じはなんだろう・・。と。
ポールさんも同じお考えではないでしょうか?
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