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フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

町の感情 LE SENTIMENT D'UNE VILLE

2006-07-07 21:44:37 | 

先日私の訪れた町を羅列したフランス語版記事について、フランスの Liguea 様からコメントが届いた。これだけの町を旅人として時間を過ごすというのは大変ではないですか、というものだ。生活しないことがわかっている町で、誰に会うこともなく。あるいは、それが不可能なのに住みたいと思うような出会いが待っているかもしれないのに。さらに、全ての町について ambiance、sentiment 雰囲気や印象 (町の持つ感情) 以上のものを持っていますか、という質問で終わっていた。

それ以上かどうかわからないが、町の持つ雰囲気や感情については全ての町について残っていて、はっきりと思い出すことができる。町の中に身を置くことにより、土地の人に出会うことにより誘発される心の中の揺らめきと言った方がより正確なのだろうか。それが心を少しだけ豊かにしてくれているように感じる。やはり旅はすべきなのだろう。

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ユリシーズのようによい旅をした者は幸せなり HEUREUX QUI COMME ULYSSE ...

2006-07-02 10:06:04 | 

先日の記事でこれまでに訪れた町を羅列したが、これはフランス版からの転載であった。この記事に対してブルターニュの Paule さんから次の言葉が入ったコメントをいただいた。
"Heureux qui comme Ulysse a fait un beau voyage..."

この言葉を読んだ時、なぜか心がどこかに飛んでいくような幸せな気分が襲ってきた。そういう力を感じる言葉である。早速調べてみると、向こうでは言い古された有名な言葉のようである。16世紀の詩が見つかったが、これがその由来なのだろうか。

Heureux qui, comme Ulysse..." Joachim du Bellay, "Les Regrets" (1558)
このサイトでは、Gérard Philipe (4 décembre 1922 - 22 novembre 1959) の朗読が聞ける。


最近では (16世紀に比べ)、Georges Brassens (22 octobre 1921 - 29 octobre 1981) も歌っている。
"Heureux qui comme Ulysse" (paroles d'Henri Colpi)

この歌は同名の映画 (1970年) で歌われたもので、"Mon cheval, ma Camargue et moi" で終わっている。フランス語を始めた当時、フランス文化について最初に教えてもらったのがフランス南部のカマルグと白い馬が走る風景であったので、カマルグと聞くと行ったこともないのになぜか懐かしい。

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風の旅人 VOYAGEUR DU VENT

2006-06-26 00:17:21 | 

先の週末、カフェに入る。本棚に置かれていた 「風の旅人」 という雑誌に目が行く。写真とその名前が気に入ったからだろう。去年のものだった。表紙を捲るとその裏には白川静氏の永劫についてのエッセイが自筆で出ている。この学者もいまや90歳を越えているが、未だにその歩みをやめようとしていない。地道に、人に気づかれることなく、まさにその名の通り静かに歩みを続けているうちに、大学者になってしまった。そういう風に高みに辿り着くこともあるということを知ることは、大きな力になる。

それからページを進めると、インドのバナーラスの写真が出てきた。バナーラスと言えば、この地から私のところに来ていたPがいるので、非常に近いものを感じている。彼女は着いた時に "Banaras: City of Light" という本を渡してくれた。この時初めてこの聖地のことを知った。もう5-6年前のことになる。

この雑誌にあった写真の中で、心を落ち着かせてくれるものが見つかった。90歳を越えた老母が死の床にいる。まさに床に布団のようなものが敷かれ、そこに寝ている老母に横にいる者が何かを口に含ませている。彼女の周りの床には7-8人が座って、静かに、すべてを運命に委ねるような表情で、永遠に帰還していく母を見守っている。時の流れをじーっと見守っている。動きがほとんどない。あるのは静寂だけだ。その写真には、こういう風に人を送りたいものだ、と思わせるものがあった。

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(version française)

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旅への招待 INVITATION AU VOYAGE

2006-06-24 23:27:31 | 

今日の午後、久しぶりにIFJの図書へ。いつものように読書雑誌 LIRE を手に取る。季節柄ヴァカンスに持っていく本100冊が特集されていた。フランス国内のみならず、いろいろな国が取り上げられていて面白い。扱われ方を見ているだけで心が広がるのだ。

今日特に目が行ったのは、「ある作家の世界 L'Univers d'un Écrivain」 で紹介されていたスコットランド出身で現在ブルターニュに移住しているケネス・ホワイト Kenneth White という詩人。旅人の心を持っているが、動き回らない人。好きな作家、ウォルト・ウィットマン Walt Whitman、ニーチェ Nietizsche、ランボー Rimbaud、ハーマン・メルヴィル Herman Melville、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー Henry David Thoreau など。ソローよろしく、森の中で生活している。かすかな憧れを感じる。

別のページでは、3人の旅行好き、放浪癖のある人 trois bourlingeurs が紹介されていて、自分の中にあるノマドの声を聞きながら記事を読む。その3人とは、ジャック・ロンドン Jakck London、ブルース・チャトウィン Bruce Chatwin、ベルナール・ジロドー Bernard Giraudeau。彼らのほか、Bouvier なども含めていずれ触れてみたい。ここで紹介されていた本は以下の通り。

Matthias Debureaux "De l'art d'ennuyer en racontant ses voyages"
Jack London "Smoke Bellew"
Bernard Giraudeau "Les hommes à terre"
Bruce Chatwin "Anatomie de l'errance (Anatomy of Restlessness)"

Chatwin に関しては、昨年パリに滞在した時に出たばかりの全作品集が本屋の棚を飾っていたのを思い出した。

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あたかも森の中を行くがごとし COMME SI J'ALLAIS DANS LA FORET

2006-06-22 19:39:11 | 

今朝、車を運転して並木道に入った時、周りの樹が緑をたわわにして生い茂っていて、あたかも森の中をドライブしているような錯覚に陥る。秋から冬にかけて緑が失われ、裸になった骨格を初めてじっくり確認し、その上に雪をのせた趣きある姿まで味わわせてもらった。そして春に入るとその黒々としたところから徐々に緑が噴き出してくるのを時を追って見ていると、彼らが確かに生きていることを実感し、ある種の感動を覚えていた。この時期に外国出張などから帰ると緑が濃くなっていて、違う町に帰ってきたように感じることは以前からあったが、それは彼らの営みのほんの一瞬を捉えていただけに過ぎない。その頃に比べると、随分周りに目が行くようになっているようだ。

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横浜での散歩 LE PROMENADE APRES LE DEJEUNER

2006-06-17 21:03:33 | 

今日も朝8時半から会議があった。仕事に追われていない状況で研究の現場を見ると、これまでの自らの歩みがこれでよかったのだろうかという思いが強い。最近、他の人の仕事を見る目もその影響を受けているようだ。そうすると感心する仕事が極端に少なくなる。ただ、今日は一つだけ今までとは違う発想で仕事をしている人がいた。そういう方向性で自分ができるかということはさておき、面白かった。

お昼は梅雨が明け、夏が来たかと思わせるような天候の中、桜木町から何気なく横浜方面へ歩き始めると気持ちがよく、結局横浜まで行ってしまった。その道すがら撮った写真を以下に。お楽しみください。

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フランスな週末 LE WEEK-END FRANCAIS

2006-06-11 20:36:17 | 

昨日は、昨年知り合いになった D & C ご夫妻のお誘いで、奥様の勤務先である飯田橋のフランス学校 Lycée franco-japonais de TokyoLa fête de l'école へ。ここは幼稚園、小学校レベル。 これほどの数のフランス人に東京で会うのは初めてである。周りの環境とは別世界。食事をしながらの話のなかで、D は日本にいると息苦しくなることがあるという。ものごとを進める時に余りにも融通がきかなくなっているという。冒険の要素が非常に少ない。未知の要素があるほど面白いし、未知のものに出会った時に人間が試されるはずなのに、と不満そうであった。仕事の面なのか、日常生活の面なのかわからないが、何となく想像はつく。日本人はやはりドイツ人と通じるところがあるとのこと。再会を期して別れた。

今日は、ホロヴィッツのシューマン (Scènes D'enfants など) を聞きながら、久しぶりにフランス語学校へ。環境問題などについてお話をする。なぜかフランスな週末となった。

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(version française)

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TV5でサンクト・ペテルブルグ ST-PETERSBOURG AU TV5

2006-06-05 00:52:46 | 

昨日の夜は、久しぶりにTV5を訪問。丁度サンクト・ペテルブルグの特集が流れていた。1時間半に及ぶ素晴らしい旅を楽しむ。30年ほど前の記憶をたどる。わずかにネバ川、運河と冬の宮殿、エルミタージュの床の鳴る音を聞きながら見て回ったことなどが蘇る。それにしても人は話す相手によってその表現がこれほど変わるものか。ロシアの人から出てくるものが、日本のテレビで見る時と明らかに異なっている。より自然に見える。

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旅をするとは PARTIR, C'EST MOURIR UN PEU

2006-05-06 00:31:54 | 

このブログのフランス語版に最近よく Liguea 様がコメントを送っていただく。つい最近では、私が現象学を、フッサール、ハイデッガー、カンディンスキーを愛するために生まれてきたとの御宣託をいただいた。その後も彼からのコメントを読みながら感じていることがある。

彼は新しい本や音楽を紹介してくれた後に、いつも Bon voyage ! と言ってくれる。つまり、本を読んだり、音楽を聴いたりすることが旅をすることだ、ということを教えてくれる。私の場合、旅をするといつも出発する前の自分と違う自分になって帰ってきていることを感じているので、旅の意味はよくわかっているつもりだ。彼のコメントを反芻しているうちに、本を読み、音楽を聴くことが旅なのですよ、敷衍すればこの人生の一瞬、一瞬が旅なのですよ、ということを言っているように感じてくる。彼はそれを意識して生きているように感じてくる。

確かに、そう意識することにより、この人生が全く違った趣を持ってくる。一瞬が、この時間がスリリングになってくる。この自分が違う存在になる可能性があるのだ。旅に出ることにより。

フランス語を始めてから知った言葉に、Edmond Haraucourt (1856-1941) の "Partir, c'est mourir un peu." というのがある。旅に出ると言うことはこれまでの自分が少しだけ死ぬことですよ、という意味に解釈していた。今回、その先を読んでみると、私の思い描いていたものと若干ニュアンスが違っているようだが、旅の意味をうまく表現しているように感じる。

"Partir, c'est mourir un peu;
C'est mourir à ce qu'on aime.
On laisse un peu de soi-même
En toute heure et en tout lieu."

(Extrait de Rondel de l'adieu)

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季節の変わり目 IL FAUT TOURNER LA PAGE

2006-03-24 22:47:17 | 

人の移(異)動の季節である。そこはかとない寂しさを秘めながら、新しい芽が息吹いていく、そんな喜びもない交ぜになった時間が流れる。今日は仕事場で送別会が開かれた。今回は以前にも増してこの季節の心を感じていた。

この寂しさを乗り越えながら前に進まなければならないのが人間の歩みなのだろう。今日のフランス語 "Il faut tourner la page."(ページを捲らなければならない)は私の気になっている画家のひとりバルテュスが死の床で言ったといわれる言葉として覚えていたもの。ドキュメンタリーかの中で奥様の節子さんが語っていた、という記憶がある。私の好きな言葉でもある。

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お昼のカフェでスウェーデン LA SUEDE AU DEJEUNER

2006-02-25 00:18:49 | 

今日は花粉が始まっているので近くを散策。家族でパンを作っている小さなカフェに立ち寄る。パンとコーヒーの昼食である。中に入ると誰もいない。突然音楽が流れ始める。それが戦前か戦後すぐかの時代物のジャズ。ご主人、いや奥様の趣味なのか。お姿を拝見してもどうしても結びつかない。意外な感じである。SP盤のような音を出しながら女性シンガーが歌っているが、やや気だるい雰囲気を漂わせた音楽で、お昼ではあるが人気のないカフェによくマッチして非常によい。曲名は一つもわからなかった。

その音楽を聞いていると一つの情景がすぐに浮かんだ。数年前、仕事で滞在していたストックホルムの夕方。裏町の裏通りだったか、東欧出身の人 (ハンガリーだっただろうか、今は思い出せない) がやっているレストラン・バーに入った。異邦人の経営するそのお店の装飾が歴史物で埋め尽くされ、その瞬間に異空間に引きずり込まれるような錯覚を覚えた。怖さも感じた。その時に流れていたのがこの音楽である。場所と時間を超えて歴史の中のどこかを彷徨っているような不思議な体験をした。音楽がなければもう少し違った時間になっていただろう。

健康的な日の光を浴びての昼食であったが、頭の中はその時の気だるい、やや不健康とも思える時間を追体験していた。今日音楽が流れていなければ、スウェーデンでのことも思い出すことはなかっただろう。昨日の話と少しは繋がっているのか。

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オルハン・パムク再び ORHAN PAMUK - TURC, ESPRIT LIBRE

2005-11-09 07:13:42 | 

今週の Le Point から。イスタンブールへの想いからオルハン・パムクの記事に目が行ってしまった。

パムクは1999年に「国家芸術家」の称号を拒否し、今年2月にはスイスの雑誌に、「トルコでは3万人のクルド人と100万人のアルメニア人が殺されたが、そのことを誰も話そうとしない。私が話さなければ。」と公表し、「トルコ人を公に貶めた」罪(最高3年の禁固刑)により来月裁判にかけられるという。

彼は laïque だが、ユダヤ人として非難され、彼の本が公の場で焼かれるのを見たという。またトルコのEU加盟に賛成で、公共の場でのスカーフの着用に反対している。彼の愛するイスタンブールに関する本(フランス語訳)が2007年1月に出る予定とのこと。裁判の成り行きと本の出版を待ちたい。

そういえば、トルコの Van というイラン国境に近い町の第百年大学の学長が医療機器購入に絡む罪で逮捕拘留されていて、トルコにある77の大学の学長が抗議のためその町に乗り込んだというニュースを最近読んだ。大学の問題は中央の所管になっているのだが、その相談なしに逮捕されたとのこと。しかもその罪がでっち上げで、その背後には学長がイスラム主義者の採用を拒否したことがあるのではないかとの憶測もある。宗教の対立はそう簡単には解決しそうにない。

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同じ号に、ピカソ美術館の20周年記念として« Picasso, la passion du dessin » という展覧会が来年1月9日まで開かれているという記事もあった。

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マチュピチュ MACHU PICCHU

2005-10-28 23:15:35 | 

バルガス・リョサを読んでいたせいだろうか。昨日のテレビでやっていたペルーの世界遺産、マチュピチュ Machu Picchu に見入ってしまった。どこかでは目に入っているのだろうが、意識的に見たのはこれが初めて。

アンデス山中の標高2000メートルを越えるところにある9ヘクタールに及ぶ石の空中都市。
1533年にスペイン人のフランシス・ピサロにより第13代皇帝アタワルタが処刑されるまでの500年ほど続いたインカ帝国の建造物。
太陽を神として崇めていた当時の人々の自然への、神への捧げもの。
人々の祈りの産物。

ところどころに石の段々畑 (アンデネス) が見える。トウモロコシを栽培していたところらしい。トウモロコシを乾燥し、磨り潰し、熱湯を加えて小麦粉とともに二晩発酵させて、チチャと呼ばれる酒を作るのだという。今でも作られていて飲む前に大地に数滴たらして自然への感謝を示す。

100体以上の骨を調べた文化人類学者の話では、男女比は1:1で、10‐50歳位の人から構成され、女性には出産の形跡もあるという。また骨に傷や重労働の跡はなく、武器なども見つかっていないので、争いのない穏やかで豊かな生活を営んでいたようだ。また頭蓋骨を変形させる風習の人が混じっており、ペルー南部からこの都市の建設のために来ていた人ではないかと推測している。

マチュピチュは野生のランの宝庫でもあるとのこと (400種もあるようだ)。それにしても空と雲の美しさが目に染みる。テレビでこれだけの美しさである。自然と溶け合っているこの町をこの目で見てみたくなってくる。

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(9 juillet 2007)
今晩もマチュピチュのドキュメンタリーがNHKで流れていた。今回聞いた新しい名前は、パチャクティ Pachacuti あるいはパチャクテク Pachacutec

Tour virtual を楽しめます: MachuPicchu360.com


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曇天の週末に想う LE WEEKEND NUAGEUX, REFLECHISSANT LA VIE

2005-10-22 16:25:02 | 

肌寒くなると、家でもコーヒーを挽きたくなる。今朝外が騒がしくなったと思ったら通り雨であった。先日の居酒屋の帰り、やや浮かれながら本屋VVに入った。若者向けなのだろうか、煩雑に物が並べられている。芸術関連の本が独特のセンスで選らばれ、他の本屋さんでは目がいかないような本にまで手が伸びる。

この日はお酒の影響だろうか、大脳皮質の抑制がなくなりその奥底に潜んでいるところが本を選び取って行ったようだ。バッグに入っていた本を翌日出してみてそう思った。

藤原新也 「メメント・モリ」 (情報センター出版局)
チャールズ・ブコウスキー 「死をポケットに入れて」 (河出文庫)
チャールズ・ブコウスキー 「詩人と女たち」 (河出文庫)
中島義道 「哲学の教科書」 (講談社学術文庫)
中島義道 「私のきらいな10の言葉」 (新潮文庫)
植草甚一 「ぼくの東京案内」 (晶文社)
ジューン・ローズ 「モディリアーニ」 (西村書店)
Taschen の画集が2冊
ドーリス・クリストフ 「アメデオ・モディリアニ」
Luigi Ficacci "BACON"
それに「Coyote」 という旅の雑誌まで入っていた。この頭の中には何が入っているのだろうか。

今日、その中のいくつかをゆっくりと眺める。まず藤原新也の 「メメント・モリ」 について。

「メメント・モリ」は Mémento Mori。"Souviens-toi que tu es mortel." 「死する存在であることを想え」 という意味のラテン語とのこと。体を動かして、それにより頭も刺激されているかのように見える人から出る (机の上からは決して出てこないような) 言葉が添えられたこの写真集にはインドが溢れている。4-5年前に仕事で訪れたインドの景色と時間の流れが蘇り、じっくりと見る。原始の世界を垣間見るようなところもあり、興味をそそられる国である。

他のものについてもいずれ触れてみたい。買った時の精神状態がその後の意欲に結びつく。その時に盛り上がっていれば、その記憶のため時間が経ってからでも気持ちよく読み進むことができるという傾向があるようだ。

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雨の休日、イタリアを旅する UN VOYAGE EN ITALIE DANS LA TELE 

2005-10-11 00:01:25 | 

昨日は雨の連休最終日となった。気持ちがしっとりと落ち着く。何気なくつけたテレビで 「イタリア縦断」 という番組が流れていた。何ともゆったりと生活しているイタリアの顔が数時間に渡って紹介されていた。歴史と、自然とともに生きている充足感のようなものが画面の人々から伝わってきて、こちらもその香りを少しだけ味わうことができた。過去への想像が知らないうちに羽ばたいているのを感じる。特に中世の町には魅かれるものがあった。

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