鍋でお湯を沸かしていたら、ふと、エミさんを思い出した。
ーーー
エミさんは奥沢十字街近くにあったラーメン店「菊や」の店主で、自分が学生時代に通ったビリヤード店の常連仲間だった。
エミさんは自分の店を終えたあと、夜な夜なビリヤード店に現れ、遅くまで三つ球、四つ球を撞いた。
撞く前に足をキュッ、キュッと動かす独特のくせがあり、遠くからでもその動作でエミさんだとわかった。
深夜までビリヤードに興じ、ビリヤード店が終わると、一緒に飲み、最後は菊やを無理やり開けてもらい、明け方に締めのラーメンを食べさせてくれたことも何度かあった。
エミさんの店には昼時にもよく食べに行った。もやしたっぷりの特製縮れ麺で、自分が頼むのは味噌ラーメンと決まっていた。
質素な店構えだったが、エミさんのラーメンは本当に美味しかった。味には自信があるのだとエミさんは言っていた。
「あれっ、今日の味ちょっと違うなあ」
「あそうか。やっぱりわかるか」
「いや、うそですよ」
「なんだあ(ホッ)、このやろう」
そんな他愛もない会話をよくした。
ラーメンを食べ終えると、毎度必ず「コーヒー飲むかい?」と言い、返事をしなくても、大きな中華鍋でお湯を沸かし、中華お玉でカップにお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを淹れてくれた。
読売と赤旗が置かれた店内で、一緒にコーヒーを飲みながら商大生の自分にエミさんが聞かせてくれる話は、決まって政治・経済の話だった。
「共産党の話が一番わかりすい」「政治とは生活に密着した身近なものだから、若い人ももっと興味を持つ必要がある」と力説し、マルクスがどうだこうだと宣うエミさんの話をフンフンと聞くとはなしに聞くのが好きだった。
元気な時分は店にも出ていたエミさんのお父さんが亡くなったとき、バイト代をかき集めてわずかばかりの香典を出すと、神妙な面持ちで何度もありがとう、ありがとうと言うエミさんをまっすぐ見ることができなかった。
エミさんとは随分歳が離れていたけれど、おこがましいが、友人と呼べる存在だった。
そんなエミさんも随分前に亡くなった。
もうあれからどれくらい経つだろう。
エミさんには本当に世話になった。
今でも感謝している。
食べログに在りし日のエミさんの姿が写っていた。
ーーー
お湯が湧いた。
ドリップではなく、インスタントが飲みたくなった。