酒飲みのご託

普段は言えない話だけれど、
酔った勢いで話しちゃうよ~!
でも、「心神耗弱状態」ですから!

760km日帰りの旅 ~その4~

2018年02月03日 21時22分08秒 | 戯れ言
 タクシーで駅に着くと、次の列車は40分後と表示されていた。

 既に時刻表どおりの運行に戻っていたようだ。

 駅の構内は待合室も兼ねている。
 地方に行くと、時誤記見る光景。

 昔は券売機なんてものは無く、窓口がひとつあるだけだった。

 この日もそうだったけど、
 自分の前に窓口にいたおばさんが「○日に○○まで行きたい。」
 といった漠然とした注文をしていて、
 駅員さんが「何時までに着けば良いか。急ぐか。指定席が良いか。」
 などを確認して切符を手配しているから、無駄に時間が掛かる。

 自分は指定席特急券を買いたいだけだったが、
 列車の遅延があるのか無いのか、
 予定どおりの新幹線に乗れるかを確認したかったので、
 辛抱強く待った。

 「次の列車で間に合う新幹線の指定席特急券、2人掛けの窓側を一枚。」
 と注文してお金を払う。


 往路の列車は横長のシートだったが、
 復路の列車はボックスシート。

 こんなものがあった。
 こっちの方じゃ見なくなったけど、テーブルがついてる。

 若い人は、昔このテーブルの縁に瓶の栓抜きがついていたのを知ってるのだろうか。 
 
 左が今のテーブルで、右が昔のもの。

 ペットボトルなんて無い時代。
 缶ジュースはあったけど、プルトップじゃなくて缶切りで穴を開けて飲むタイプ。

 温かいお茶が飲みたいときは、
 キオスクで「プラスチックの急須」にティーバッグとお湯を入れてもらい、
 列車の中に持ち込んで飲んだ時代。

 そう言えば、昔は列車のドアにボタンが無かったから、
 駅に着くと飽きっぱなしになって寒かったっけ。

2度目の雪

2018年02月02日 23時28分19秒 | 戯れ言
 今朝6時半に外に出たときには、みぞれだった。

 しっとりと湿って水分を含んだ重たい雪。

 「これなら娘に車で送ってもらえるかな。」
 なんて期待して朝食を準備し、
 ふと窓の外を見ると大雪。

 大きな雪の塊が舞っていて、直ぐ前の家が霞むくらい。
 「これじゃノーマルタイヤで娘に運転してもらうのは無理だ」
 とあきらめてタクシー会社に電話をするがつながらない。

 皆考えることは同じようだ。

 厚底のワークブールを履き、革靴を入れたレジ袋を手に提げ、
 日苦さじゃ無い傘を差して外へ出る。

 あれ、さっきより降ってない。

 歩いている間に、傘を差さなくても良いくらいまで小降りになり、
 傘をたたんで歩いてる人もいた。

 耳は冷たかったが、歩いているので身体は熱い。
 会社に着いたときには汗ばむくらいだった。

 昨夜会社を出るときに注意されたが、
 結局のところ営業所全体で遅刻者は無し。

 そして交通事故も無し。

 一時期雨が降っていたようで、先週降って固まっていた雪は大分溶けていた。

760km日帰りの旅 ~その3~

2018年02月01日 21時36分27秒 | 戯れ言
 駅に降りたらビルが眼に入った。
 さて~。
 前はこんなビル無かったと思うけど。

 駅前のタクシー乗り場に並んで他のは5組。
 だがタクシーがなかなか来ない。

 20分ほど待ったが、この時間が一番寒かった。

 葬儀場へ向かうタクシーの運転手さんに聞いたら、
 駅前のビルはかれこれ20年くらい前にできたとのこと。

 もう結婚していた頃だから、車で来ルのがほとんどで、
 覚えていなかったのかも。

 葬儀場に着いたら『ご飯を食べろ』と言われた。

 マックを食べ、3時間ほど座っていただけなので空腹では無かったが、
 おこわに鮭の切り身、きんぴらなどが入った質素な弁当を食べる。

 自分の隣に親戚が座って話しかけてくるが、誰だったか思い出せない。

 母親に話したら「従姉の旦那」だった。
 小さい頃お世話になったが、会うのは20年ぶりくらいかも。

 亡くなった伯父さんの娘3人の他、従兄弟は6名ほどいたが、
 名乗らずに自分のことをわかったのは2名だけ。
 1名は名乗ってわかり、
 1名は名乗ったけど向こうが小さい頃にしか会っていないので覚えておらず、
 後の2名とは話をしなかった。

 おじさん、おばさん達にも挨拶したが、
 流石に皆覚えてくれていた。
 おばさん達のほとんどが腰が曲がっている中、 
 一人だけ背筋を真っ直ぐにしたおばさんがいたのが印象深い。

 読響が終わり、火葬場へ行って火を入れた後、
 再び葬儀場へ戻り、そこで本当の食事になった。
 刺身、天ぷら、とんかつ、鰻、カレイの煮物が入ったお重が目の前に置かれたが、さっき弁当を食べてから1時間ちょっとしか経っていない。

 ほとんどの料理に一口くらい手を付け、
 おじさん達に挨拶して回ってる間に、火葬場へ戻る時間になった。

 電車の時間が気になっていたので、自分は火葬場へ行かず、
 葬儀場へタクシーを呼んでもらい失礼してきた。

 叔父さんの一人が言っていた。
 「もう葬式以外では集まることもなくなったな。」。

 そう言えば蒲田の叔父さんが亡くなったときは
 おじさん、おばさんにしか会っておらず、
 従兄弟達には会っていない。

 これだけの親戚が集まったのは、
 亡くなったのが父方の長男だからだろうし、
 20年近く前に祖母が亡くなったとき以来だろう。
 あのときは孫やひ孫、その配偶者まで来てたから、
 それこそ誰が誰だかわからなかった。

 段々と葬儀も寂しくなるのだろう。