郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

幕末ラッコ姫

2005年12月24日 | 幕末東西
えーと、昨日の文章がまだ仕上がっていませんが、それはゆっくりと終わらせます。
寒さのあまりにビーバーの編み込みの上着を買い込んでしまいまして、思い出したことがありまして。
ビーバーって、物語なんかに出てくる、かわいいビーバーです。養殖でしょうけど。
友人が、海外のオークションサイトで、とても安く、中古の毛皮のマフを手に入れまして、それがどうも、アザラシかラッコの皮ではないか、というのです。
「ラッコ!? ラッコの皮ってどんなのか見てみたい!」という私に、友人は「えっ?」と聞き返しました。

いえね、昔、幕末物語を書こうとして挫折した話なんですが、主人公が幕臣の娘、という設定でして、函館戦争に参加するんですね。で、降伏間際に五稜郭を抜け出しまして、なにかこう金儲けをさせねば、この子、食べていけないではないか、と、考えたわけです。
そこで思いついたのが、ラッコ狩りです。
当時の欧米では、ラッコのマフが流行でして、ラッコはカリフォルニアにたくさんいたらしいんですが、取り尽くしたんですね。
それで、アメリカ人が目をつけたのが、開港したばかりの函館から近い、日本の北方領土、千島列島です。わんさかラッコがいて、地元のアイヌとかが捕っていたのは、ほんの少しでしたから、猟銃をそろえ、船を仕立てて乗り込めば、おもしろいように捕れたのです。
最初に、カリフォルニアのラッコ猟師が千島列島のラッコに気づいたのは、実際には、明治5年のことなんだそうです。しかし、その前に気づいていたアメリカ人がいたかもしれないじゃないですか。
そういうアメリカ人が函館にいて、船を仕立てる費用を出資してくれたとすれば、鉄砲は五稜郭から持ち出せますし、撃ち手の人数もそろうでしょう。
ラッコ猟で金もうけさせよう! と思いつきまして、そのころよく電話で話していた幕末好きの男性の友人に、延々と、構想を語りました。
「ラッコ姫かいな。やめときいな。ラッコを殺すんは読者に好感もたれへんで」
と彼は言ったものでした。

さて、それを聞いたマフの友人も、言いました。
「ラッコ姫!? やめた方がいいですわ、ラッコを殺すなんて」
「あら、でも、ラッコのマフが流行ってたんですし、だれかが狩らなければ、マフもできませんわよ」
と、私。
「好感度の問題です。こう、北海道なら薄荷なんかのハーブを作るとか、もっとなんかあるでしょう」
えー、開拓農業なんて大変だし、五稜郭を脱出した連中がすぐにもうけられる、という話なんだから、地道な農業、なんてねえ。
と、思いはしたのですが、ラッコ姫は、昔も今も不評です。
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