郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

史伝とWikiの桐野利秋

2007年02月02日 | 桐野利秋
『史伝 桐野利秋』

学習研究社

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もうずいぶん以前のことです。
桐野利秋について調べていました。同じ頃、知り合った女性は、入江九一について調べていました。
これが悔しいことに、長州はいろいろと資料が見つかりますのに、薩摩はなかなか苦戦です。
インターネットのなかった時代です。入江ファンの女性が、自分が調べたことをまとめ、それを無料で配りつつ、情報提供を求めておられるのを見て、私もこれをまねするしかない、と、それまでに見つかった書物を列挙したコピー冊子を作りまして、配って歩いたんです。期待を込めて、鹿児島県立図書館にも送ってみました。奥付には、住所と電話番号を載せて。
反響はなにもありませんでした。
そうこうするうちに仕事が忙しくなり、別な方面に関心が強くなったりもしまして、幕末維新から遠ざかっておりました。
数年前のことです。突然、まったく存じ上げない女性から、お電話をいただきました。
鹿児島県立図書館で、私の冊子を見られたというのです。感激しました。
聞けば、その女性は私よりずっと先輩で、桐野のファンであったために大学も史学科を選び、卒論も桐野がらみ。結婚して、お子さんも大きくなられ、再び桐野と向かい合いたいと、鹿児島を訪れ、私の冊子を目にしたとおっしゃるのです。
お電話で、いろいろと昔調べられたことや、最近の出版物などをうかがいました。
それで初めて、私は、この『史伝 桐野利秋』が出ていることも、知ったような次第です。
著者の栗原智久氏は、江戸東京博物館の司書でおられるとか。文庫本なのですが、これがなかなかのすぐれものでした。
おもしろおかしく語られてきた虚像ではなく、実像を、というその執筆姿勢が、そもそもこれまでの桐野に関する著作には、なかったものなんです。
ともかく、もう私の調べることは、ほとんどないかな、という気がいたします。
とはいえ、桐野利秋とアラビア馬に書きました件などは、ずっとひっかかっておりまして、こいう記事、古書について、お心あたりの節は、どうぞ、ご教授ください。



上は、昔、桐野について調べていたころ、ご近所に、西郷隆盛に関する本を集めていらっしゃるお年寄りがいまして、本をお借りしたりしていたんですが、長年の西南戦争錦絵コレクションを手放すといわれましたので、安く譲り受けた月岡芳年画のものです。なかなかに美しい桐野でしょう? 3枚続きの1枚目で、中央にはやはり西郷どんがおられます。

ごく最近のことなんですが、Wikiの桐野のページを見て驚きました。詳細で、正確で、どなたが書いているの??? と不思議だったんですが、リンクをたどって謎がとけました。西郷軍側の隊長・池上四郎のご子孫が、中国古代史で大学の先生になっておられて、西南戦争関係の記事を全部書いておられたのです。
感激のあまり、私、ついに決心をしまして、少々書き加えさせていただきました上に、この錦絵もあげておきました。
もう、ほんとうに、あの苦労しました昔からは考えられない現況です。
研究は専門家にお任せして、私はやはり妄想にひたって物語をつづればよろしいようなものなのですが。


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