郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

モンブラン伯爵はフリーメーソンか?

2007年02月25日 | フリーメーソン・理神論と幕末
という疑いを抱いたのは、白山伯も食べたお奉行さまの装飾料理 で書きました、『社会志林』の中の宮永孝氏の論文「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」のある記事によるところが、大きいんです。
ある記事とは、慶応元年(1865)12月(旧暦10月)、幕府のオランダ留学生だった津田真道と西周が、帰国の途中でパリへより、当時パリにいた幕府の使節団(柴田日向守一行)には会えず、モンブラン伯とひんぱんに会っていた、というのですね。薩摩の五代友厚が、やはりパリにいて、モンブラン伯と会っている時期ですし、当然、五代とも会っています。

なんで、突然、津田と西が現れるのか、ということなんですけど、吉村 正和著『フリーメイソン 西欧神秘主義の変容』によれば、津田と西が学んでいたライデン大学のフィッセリング教授はフリーメーソンで、津田と西は教授の紹介で、日本人として初のフリーメーソン会員となったことが、記録に残っているんだそうなんです。
フリーメーソンというのは、なにやら怪しげな陰謀団体のように、日本ではイメージされることが多いのですが、おそらくこれには、カトリック教団から敵視されて以来の歴史がありまして、当時のヨーロッパでは、国境と宗教を越えた知識人の親睦サークル、みたいなものなのですね。
メンバーの紹介がなければ入れませんから、津田と西は、フィッセリング教授によほど気に入られたのでしょうし、メンバーとなれば、他国のフリーメーソン会員にも受け入れられ、旅先で知己を得ることが簡単にできるのです。

だとすれば、モンブラン伯はフリーメーソンだったのか?
そう考えれば、頷けることも多いのです。モンブラン伯の日本観幕末版『明日は舞踏会』 にも書きましたように、モンブラン伯の日本観は、当時の欧米人としては、特殊な感じを受けるのです。
啓蒙主義的な思想でも、「文明の根底には、キリスト教徒が理解しているような意味での宗教がある」というのが、当時のごく一般的な欧米の文明観ですから、日本文化に興味は抱いても、それを西洋文明と同じ次元で見たりはしないものなのです。

さらには、田辺太一の回想だったと思うのですが、「フランスの上流社会では評判が悪い人物」みたいなことも出てきます。
ただこれは、白山伯も食べたお奉行さまの装飾料理で書きましたように、グロ男爵の使節団のメンバーにはなっていたりしますので、フランスでの人脈の問題もあるのかな、と思ったりもしたのですが、やはり、当時のフランス上流社会のごく一般的な思想からは、少しはずれているのではないか、という気もしたりしていました。
ただ、フリーメーソンにしましても、吉村正和氏の解説では、「文明の根底には、キリスト教徒が理解しているような意味での宗教がある」ということですし、現在でもフリーメーソン入団は、なにかの宗教(キリスト教である必要はないんですが)を信じていることが、入団の条件みたいです。
おそらく、その「宗教」の意味するところが、問題なのではないか、と思うのです。一神教的な宗教しか認めないのかどうか、ということなんですけれども。

えーと、まあ、あれこれ、第二帝政期のフランスの思想書の翻訳などを読んでみたんですけれども、私にとっては、抽象的にすぎまして、どうにも、モンブラン伯の宗教観や思想がどんなものであったのか、イメージがわきません。
よくよく考えてみましたら、私、フローベルやモーパッサン、ゾラの小説や、読み飛ばしたエッセイ類などで、漠然とした当時のフランスのイメージはあるのですが、具体的にどう、フランスの宗教観が変遷していったのか、その流れを知っているわけでもないのです。
さて………、と思っていたところで、この本にめぐりあいました。

『宗教VS.国家』

講談社

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著者は工藤康子氏。フランス文学専攻の東大名誉教授ですが、文学者だけに、実にイメージ豊かに、しかし整然と、わかりやすく、近代フランスの宗教と国家の関係を、述べてくださっています。
最初に登場しますのが、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』。ここでまず、フランスにおいて、革命で生まれた市民意識と、カトリック信仰がどう対立し、どう融合しようとしていたかを、具体的に描き込まれた場面で示し、さらにそれ以降も、よく知られた文学作品を例にあげ、詳しく解説を加えていく形です。

昔から、不思議に思っていたことがありました。
ルルドの奇跡をご存じでしょうか? フランスのピレネー山脈に近い田舎ルルドで、ベルナデッタという農家の少女が聖母の出現を見て、その聖母が現れた洞窟の泉の水を飲めば難病も治る、というので、その少女は聖人となり、ルルドは聖地となって、現代でも巡礼の人が絶えない、というのですが。
今は知りませんが、私が子供の頃には、近所のカトリック教会に、ルルドの岩窟を模して、聖母と聖ベルナデッタの像が飾ってあったりしたものです。私は、その教会のシスターから、ルルドの奇跡の話を、お聞きしました。

いえ、これが昔のことなら不思議ではないのですが、ベルナデッタが聖母を見たのは第二帝政期、モンブラン伯が最初に来日した2年後のことです。さらに、ベルナデッタが聖人に列せられたのは20世紀になってからのこと、だったりしまして、いや、そりゃあ日本でも、「ここのお寺の湧き水は万病にきく」とかいう話は、幕末にもあったでしょうし、現在もあるでしょうけれど、「それって世界中に宣伝する事なの?」みたいな、驚きがありまして。

実は、ゾラが、ルルドを題材に小説を書いているんだそうなんです。フランスでは、『ナナ』や『居酒屋』並のベストセラーなのですが、日本では訳出されてないんだとか。
この本のしめくくりは、それが題材になっていまして、カトリックの側にも、国家の側にも偏らない、客観的な著述ではないか、とも思えます。

で、モンブラン伯の宗教観に関して、この本で参考になったことをあげますならば、米国とフランスの宗教観のちがい、でしょうか。
吉村氏のフリーメーソンの著述は、米国が中心になっていますけれども、米国はフランスのように、国家と宗教の激しい葛藤を経た国ではありません。一言で信仰の自由と言いますが、その内実に、大きなちがいがあるようなのです。
フランスで、本格的に、政教分離、公教育からの宗教(結局はカトリック)排除に取り組んだのは、第三共和制のジュール・フェリーなんだそうですが、この人がフリーメーソンなんです。モンブラン伯と同世代です。
穏健なブルジョワの共和主義者で、伯父など、親族の男はフリーメーソン。父親は無神論者でしたが、母や姉は熱心なカトリック信者だったんだそうです。

ともかく、複雑なフランスの宗教事情を、とてもわかりやすく、楽しく解説してくれている好著でした。


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