郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

「桐野利秋とは何者か!?」vol1

2019年01月15日 | 桐野利秋

  一応、大河『西郷どん』☆あまりに珍な物語 Vol.2の続きです。

 去年の9月です。
 山本氏からお電話で、「桐野作人氏が桐野利秋の本を出されるみたいですよ。中村さんにも伝えて差し上げてください」と言われました。
 お聞きしたところでは、「密偵としての桐野」という新しい視点で書かれた、ということでして、なんとなく、嫌な予感がありました。
 といいますのも、30年ほど前、大河で「跳ぶが如く」が放映されましたとき、小説や随想など、桐野利秋に関する多くの本が出版されましたが、その中に、確か、「密偵」のように書かれたものがありまして、それは決して、私にとりまして魅力的な桐野像ではなく、納得もいかず、とばし読みして放り出した記憶があった、からです。

 しかしまあ、読んでおいた方がいいだろうとアマゾンで購入し、とばし読みましたところで、骨折、手術、入院。
 とばし読みましただけで、言いたいことが山のようにあったんですが、少し丁寧に読まねばと、病院に携えました。
 

薩摩の密偵 桐野利秋―「人斬り半次郎」の真実 (NHK出版新書 564)
桐野 作人
NHK出版


 私、大河ドラマにつきましては、「まあ、原作とシナリオライターがあれじゃあ、ね」と、結局のところは、あまり期待していませんでした。
 しかし、桐野作人氏の本であれば、「少なくとも史料に忠実だよね? 新しい史料紹介があるかもしれないし」と、かなりの期待はあったんです。

 
史伝 桐野利秋 (学研M文庫)
栗原 智久
学習研究社


 これもずいぶん以前の記事なんですが、史伝とWikiの桐野利秋でご紹介しました栗原智久氏の『史伝 桐野利秋』は、好著でした。
 あれから、いろいろと付け加えたいことも出てきましたけれども、基本、「桐野利秋について知りたい」という方には、まず、この本をお勧めしていました。
 主観をまじえず、史料に語らせるスタイルで、淡々と書かれているんですが、それでいて、著者の桐野利秋への愛情が感じられるんです。
 それは長らく、「感じられる」だけだったんですが、最近、先輩ファンの中村さまが、国会図書館で「歴史研究 441号」に栗原氏が寄稿された随筆を、コピーしてくださいました。

 「歴史研究」は、在野の歴史愛好家に論文発表の場が開かれた月刊誌でして、いまも続いているようです。
 月刊『歴史研究』特集一覧を見ていただければわかるのですが、平成10年発行の441号の特集は、「司馬遼太郎の世界」です。栗原氏は、司馬遼太郎氏が描いた桐野利秋について、述べられていまして、以下、引用です。

 「『翔ぶが如く』における桐野の考え・思想に対する司馬人物観は、必ずしも好意的なものばかりではない。しかし、著者が桐野に魅かれたのはこの小説のところどころにあらわされたその所作の印象によるところが大きい。〜中略〜 行動の型としては、桐野は司馬人物観にかなう、司馬さんの好きな人物のひとりであったのだろうと思う。
 著者はいま、史料をもとに桐野の思想について考えるものであるが—自らの思い込みでしかないが、許されるものなら、史料をもって桐野利秋について司馬さんと語ってみたかった。お便りしてみたかった。その司馬さんはもういない」
 

 栗原氏は、これを書かれて4年後に、『史伝 桐野利秋』を出版されたことになります。

 愛のバトン・桐野利秋-Inside my mind-を見ていただければわかっていただけるかと思うのですが、栗原氏のように理路整然と語ることはできていなくても、結局のところ、私も司馬遼太郎氏の作品で、桐野を好きになったわけだったみたいでして。

 実をいえば、ですね。栗原氏が寄稿なさった5年前、私も、「歴史研究 375号」に「桐野利秋と民権論」という論文を投稿しております。
 いま読み返しますと、勉強不足のあらが目立って、目をおおいたくなるんですけれども、大筋で、私の考え方が変わったわけではありません。
 しかし、それにしましても、いまさらこの論文が日の目を見ようとは……、絶句でした。

 桐野作人氏の著作について、ざっと読みしました感想を一言で言えば、「栗原氏みたいに、桐野への愛情があって書いたわけじゃないよね、この本」ということです。
 愛情のなさは、史料の読み方にあらわれていまして、読解がいかにも雑です。
 しかし、桐野作人氏は著名ですし、発行はNHK出版。
 この愛情のない本が、これから桐野の伝記の定番になるのかと思いますと、いったいどこへ不満をぶつければいいものやら、入院中にもかかわらず、夜、携帯で中村さまと長話をしまして、看護士さんに叱られる始末。

 しかし、この時点でまだ飛ばし読み状態の私に、中村さまいわく。
 「桐野氏は、郎女さんと私の名前を出しておいででしたが、あれは、どういうおつもりなんでしょう」 
 「えええっ!!! 私の名前???」

 中村さまは「敬天愛人」に、近年、桐野に関する論文を発表しておいでなので、引用してらしたというのもすぐに合点がいったのですが、なんで私がっ!!!と絶句しつつ、言われたページを開きましたら、これが、30年近く以前に書きました「桐野利秋と民権論」からの引用であった、というわけです。あまり納得のいく箇所の引用ではなかったですし、いまだに、どういうおつもりだったのかはわかりません。

 どこがどう愛情がなく、どこがどう雑なのか、具体的には、次回から順を追って書いていくといたしまして、今回は最後に大河の桐野につきまして。
 子役の子は、ほんとうによかったんですけど、大人になって、大野拓朗。
 整った顔立ちで、「花燃ゆ」では野村靖をやり、本物の野村靖の写真を知っている私からしましたら、「嘘だろ!」だったんですが、なんだかともかく、幕末劇では影の薄い人です。
 今回の桐野も、シナリオが悪いのが第一でしょうけれども、まったくもって、存在感も魅力もありませんでした。
 朝ドラ「わろてんか」のキースは、なかなかよかったんですけれど。

 『翔ぶが如く』の杉本哲太、好きでした。
コメント (6)
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