郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

珍大河『花燃ゆ』と史実◆28回「泣かない女」

2015年07月17日 | 大河「花燃ゆ」と史実

 珍大河『花燃ゆ』と史実◆27回「妻のたたかい」の続きです。

花燃ゆ 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)
クリエーター情報なし
NHK出版


 なんといえば、いいのでしょうか。
 前回の芋虫文さんが奥へ入る大前提からしておかしなものですから、話がもう、完璧異次元へ飛んでいって、宇宙人のコスプレ芝居DEATH !!! 
 とあきれつつ、サトウ アイノスケさまがコメント欄で、「小学生並みのレベルの低さと、歴史マニア向けの敷居の高さがごっちゃになっている」とおっしゃったのが気になりまして、「防長回天史」の禁門の変後の部分を読み返してみました。
 いったいどこから、禁門の変直後、四国連合艦隊来襲前に、久坂家がとりつぶされたなどという話が出てきたの?ということが、気になってまして。
 私、いわゆる「俗論派」(椋梨藤太さんが代表格です)が長州の政権を握ってから、禁門の変関係者の処分は行われたと、なんとなく思い込んでいたんです。

幕末維新の政治と天皇
高橋 秀直
吉川弘文館


 うかつでした! 高橋秀直氏の「幕末維新の政治と天皇」が、「防長回天史」に忠実に、そして簡潔にまとめてくれていました!
 禁門の変からほんの二十数日後の8月3日(四国連合艦隊の下関砲撃開始が8月5日なので、その2日前です)、「正義派」の周布政之助と家老の清水清太郎は、岩国藩当主・吉川経幹に朝幕への周旋を依頼しようと、藩主敬親の申告書を持って岩国へ出かけます。
 その申告書の中身を、高橋氏がまとめておられるのが、以下なんです。
 「脱走の者が諸浪士に加わり騒動を起こそうとしているという情報が先月18日に入ったので、沈静のため家老を派遣したところが、彼らは脱走者に誘われ自分の趣意を取り違え彼らに同心、ついに騒擾を起こしてしまった、このことは幾重にも恐懼する、よって自分は辞官退隠したい、また三家老については取り調べの上、その罪をきっと申しつけるつもりである」 

 そして、高橋氏は以下のように評されています。
 三家老そして参謀の死罪は、「俗論党」政権が征長軍に屈服して行ったものではなく、実際には「正義党」政権の段階で決まっていた方針だったのである。また注意すべきことは、ここで三家老の処分のみではなく、敬親の辞官退隠が語られていることである。出先をスケープゴートにすることで生き残りをはかろうとした長州であるが、御所への攻撃は大罪であり、それのみで済むかは大いに疑問であり、藩主もなんらかの形で責任をとることが不可避となる可能性が高い。そこで藩政府側は敬親の退隠を自ら申し出たのである。敬親は「正義党」政権にとってまことに都合のよい藩主であったが、けっして絶対的なものであったわけではなく、社稷の存続のためには切り捨てることのできる存在だったのである。
 「正義党」政権は、藩の存続のため同志と藩主を切ることにしたのである。

 この時点で家老たちは拘束、参謀たちは罷免、謹慎などの処分を受けていましたから、久坂家もこのままいけば断絶決定、だっただろうとは思うのですが、ドラマでのありえない家捜しは、タイミングが早すぎますし、兄さんの杉梅太郎(民治)も「正義派」官僚で周布政之助は友人なんですから、第三者みたいな顔をしているのもおかしいですし、いまだ政権をにぎっていません「俗論派」の椋梨家に文句をつけにいくのもキチガイじみていますし、殿様にいたっては、ご自身が辞官退隠する予定だったんですから、会える身分になっても無駄で、奥勤めの目的がそれだというのは、芋虫文さんが痴呆に見えるほど馬鹿げています。
 プロデューサーさんも脚本家さんも、歴史の専門家から話を聞いて事実関係を調べたんでしょうに、なんでここまでおかしな外し方をするんでしょう。信じられません。 

 それに、ですね。
 「なぜ久坂家が取りつぶされなければならないのかわからない」という、芋虫文さんの理不尽感は、高橋論文の前半部分「世子と五卿も上京途上にあり、長州は藩を挙げて進発クーデターをめざしていた」という事実があり、にもかかわらず、失敗に終わったとたんに窮地に陥った藩庁が同志を切って捨てた、ということが描かれていてこそ、同感できるものでして、それでも梅太郎か、それこそ小田村が、「夷敵の来襲があるのだし、長州が救われるためにいまは我慢しよう。殿様でさえ退隠されるのだから」と妹をなぐさめつつ、言ってきかせそうなものです。
 ところがこのドラマでは、「一部の脱藩者と他藩浪士の暴走にすぎません」という窮地に陥ってからの長州の言い訳を、最初からそうであったかのようにやっていたわけですから、芋虫文さんの逆ギレには、見るものだれも、まったくもってついていけないわけなんです。

 今回、もっとも共感できましたのは、禁門の変で兄の入江九一を亡くしました野村靖が、四国連合艦隊との講話談判に反対しつつ、「講和なんぞさせちゃあならん。殿のご命令じゃと? わしらは藩命で京へおもむき、そして兄は、久坂さんは死んだ!」と、芋虫文さんに言った場面でした。いやだから、これまでにちゃんと、藩命で行ったんだ、という場面を描いておけよっ!!!という話です。
 まあ、もっとも野村は、後続部隊にいて京都まではいっていませんし、奇兵隊員ではありません。客分ではあったらしいですが。
 品川弥二郎は八幡隊にいて、久坂とともに鷹司邸に突っ込んだメンバーですが、帰国後は御堀耕助などとともに、御盾隊を結成していて、これまた奇兵隊ではありません。

 この時期の奇兵隊の総監は赤根武人で、四カ国連合艦隊を相手に奮戦し、従軍通訳としてイギリスの軍艦に乗っていましたアーネスト・サトウをして、「日本人はよくたたかった」といわしめていますのに、なんで登場させなかったんですかね? もっとも古川薫氏の「幕末長州藩の攘夷戦争―欧米連合艦隊の来襲 」(中公新書)によれば、この部分の奇兵隊日記が欠けているそうでして、どうも、山県有朋のしわざらしいんですよね。

 ともかく。今回の中心となります講和談判の話の前に、芋虫文さんの奥勤めにつきまして、少々。

江戸奥女中物語 (講談社現代新書)
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講談社


 畑尚子氏の「江戸奥女中物語」に、江戸時代の「奥奉公出世双六」が紹介されています。奥御殿勤めを想定して遊ぶ絵双六で、最下層のお末(御半下)からはじめ、上がりはお部屋さま(子供を産んだ側室)か老女(奥女中の身分として最高位の取締役)か、というものだそうです。
 実際の奥勤めでは、スタートラインですでに、最下層下働きのお末(御半下)か、主人に近侍するお次、お側か、という二種類にわかれます。
 士族の娘で御半下(おはした)から、といいますのは、通常、ありえません。
 勤める前に父親の百合之助さんが、「御殿勤めは外へ出られない」というようなことを言っていましたが、これもおかしなもので、けっこう、里帰りできます。ただ、里帰りのたびに、なにかおいしいものでも調達して、奥女中仲間に実家からのお土産を配らなければならなかったりで、けっこう物入りです。
 士族の娘ではなくとも、士分の養女になったりすることによりまして、御半下ではなくお次から、というのもありえました。そういう場合は大方、結婚前の行儀見習いです。

 芋虫文さんの御殿勤めは、もう荒唐無稽で、素性を隠して奥勤めって、なんの冗談かと思いますし、士族の娘が御半下見習い???って、もう、奥奉公出世ロールプレイングゲームの乗りですね。講和談判に望む高杉さんに装束を届けたら、次の段階へGO!とか言われてもねえ。いや、そんな芋虫文さんを評して都美姫さまが、「国を窮地に追いやった男の罪滅ぼしであろうかの」と言ったのには笑いました。
 いや、あーた。あーたの旦那も命令出した罪滅ぼしに辞官退隠だわさ。黒印の軍令状が見つかってるんだもの♪

 
大江戸の姫さま (角川選書)
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角川書店


 関口すみ子氏の「大江戸の姫さま」という本の表紙を飾ります、この狆を抱いた女性、実は、銀姫さまのお姉さんの鏻姫さまなんです。
 長府毛利家(五万石の長州支藩)に生まれましたこの二人、どうも母親がちがっていたようでして、正妻の娘でした妹の銀姫さまが、本藩の世子夫人におさまるとい出世ぶりですのに、姉の鏻姫さまは、当時としましては行き遅れ気味の二十になってから、長府藩の家臣に嫁ぎます。
 これは、その結婚前に描かれたものでして、関口氏は「鏻姫の顔は二十歳そこそこの姫さまにしては、ちょっと意地悪そうにさえ見える」と評しておられます。
 田中麗奈の銀姫さま、なんとなくこの絵の姉姫さまに似ていませんか?(笑) 見出し絵は、一昨年、長府毛利邸でガラス越しに撮ったものです。

 それにいたしましても、この奥奉公ゲームの銀姫さまは暢気です。
 なにしろ、長府は下関にあります。「幕末長州藩の攘夷戦争―欧米連合艦隊の来襲 」によれば、銀姫さまの実家、下関にあります長府藩のお城は大騒ぎです。
 銀姫さまの義理の兄であります長府藩主の奥に勤めておりました老女の手紙が残っておりまして、その写しが長府博物館にあるのだそうですが、「フランスのでっかい軍艦が大砲を一発ぶっぱなし、それがなんと、お城の屋根を越えましたの。奥御殿は大騒動で、覚苑寺へお立ち退きと決まり、殿さまが門前まで行かれたところで、海より大砲をどんどんどんどん打ちかけてくる大合戦。後ろをふりかえり見れば、稲妻が黒雲のごとくで、どこへ逃げればいいのかもわからない大騒ぎ。大砲の轟音が絶え間なく、筆舌に尽くしがたい有様です」というような内容です。
 いや、先代長府藩主夫人、つまり銀姫さまのご生母は健在でして、長府にいたのだと思うのですが、奥奉公ゲームの銀姫さまは、実家も実母も、どうでもよかったんですかねえ。

 さて、講和談判の高杉晋作です。
 
薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-2)
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朝日新聞社


 萩原延壽氏の「遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄」から、すでにサトウアイノスケさまがコメント欄で指摘されました突っ込みを。
 有名な「かれ(高杉)は悪魔のように傲然としていた」というアーネスト・サトウの言葉なんですが、続きがあります。
 が、やがておどろくほど態度をかえ、その後はなんの反対もとなえずにすべての提案に同意した。それには大いに伊藤(後の博文)の影響があったようである」 
 さらには、「わたしは回答書の内容と用語についてふれ、それは敗者から勝者におくられるものであるから、丁寧に書かなければならないと宍戸(高杉)に告げたが、わたしのことばは、かれをすこしく傷つけたようであった」 とも言っていて、高杉がそれほど、さっそうとしていたわけではないんですね。

 「防長回天史 6」「井上伯伝 上」を読み合わせまして、この和平交渉の高杉について、特筆すべきことは、「我が藩(長州)が馬韓に於いて貴国等の船舶に向かって砲撃したのは朝廷と幕府の命令なのだから、賠償金は幕府に請求なさるのが筋」と断固として譲らず、結局、それで決着したことです。
 ところが、この奥奉公ゲームドラマでは、「高杉はねばり強く交渉を進め、賠償金の支払い、彦島の借用などを退け、実質的に下関を貿易港となす内容の協定を結んだのである」と、思わず嘘つけっ!!!と叫んでしまう、唖然呆然のナレーションが入るんです。

 彦島の借用の件は、有名な話ですが、同時代の資料にはなく、はるか後年の伊藤の談話にしか出て来ません。私は、年老いた伊藤の与太話だと思っています。
 といいますのも、イギリスは、四カ国を代表して会談をしていたわけでして、租借地を要求すれば、他国から文句が出ることが確実で、なんとも面倒なことになるしかないわけですから。
 賠償金の支払いは、退けたのではなく、幕府に押しつけただけです。
 後は、武器はすべて取られても文句はいいません、二度と異国船砲撃のための武装はしませんと、無条件降伏に近いですし、パリでは長いこと、長州からの分捕り大砲が、戦勝の証(ひいては長州敗戦の証)に飾られていました。
 しかし、朝廷も幕府も、攘夷令を出したこと自体は否定できませんし、通商条約を結んだ主体であることを幕府が自負する限り、長州のなしたことの責任も、対外的にはとりあえず、幕府がとるしかありません。「朝幕の命令に従った攘夷である」という主張は、禁門の変におきます長州の正統性も訴えているわけでして、高杉は、肝心要のポイントは押さえていたわけです。

 そして、下関開港話です。
 いえね。高杉が出て行って下関で結ばれた協定とは、一時的な停戦協定であって、結局、正式な協定の話し合いは、四カ国代表と幕府との間で行われます。
 実はその席で四カ国代表は、「賠償金の支払いか、下関あるいは瀬戸内海の他の適当な港の開港のどちらかを選べ」と幕府に迫り、幕府は賠償金を選んだわけでして、それがなぜ、まるで高杉が下関を開港したかのような、仰天の異世界ナレーションになっちまうんでしょうか。

 サトウアイノスケさまのご指摘を受け、私、いろいろと本をひっくり返してみました。

長州戦争―幕府瓦解への岐路 (中公新書)
野口 武彦
中央公論新社


 野口武彦氏が、なにをどう考えられたのか、「下関での石炭・水・食糧など必需品の供給」 程度のことで、「これは事実上、下関が自由貿易港化したことに他ならない」と書いておられるんですね。
 いや、してないから!!!
 下関の大部分は支藩の長府藩領でして、本藩といえども萩藩の自由にはならず、この翌年の春、本当に下関開港をもくろんで、長府から下関を召し上げようとしましたおかげで、高杉、伊藤、井上トリオは、命を狙われます。それを知らない野口氏ではないと思うのですけれども、ねえ。ふう。

 しかしなんとも、どこをどうひねくって、奥奉公RPGパラレルワールドで、下関開港を成し遂げる超人高下駄晋作くんみたいな、明後日の方向へぶっとんだ妄想が生み出されるのか、勉強させられます。
 
クリックのほどを! お願い申し上げます。

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コメント (8)
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