久しぶりにニューズウィークを買って読んでいて、あきれました。
なににあきれたって、ホリエモンの描きぶりに、です。
私はなにしろ、「男は容姿」を信条としておりますので、以前からホリエモンは嫌いです。
昨今、ニュースを見ていたらかならずあの顔を拝まされるのには、うんざりしていました。
とはいえ、別に極悪人だと思っているわけではなく、やたらに持ち上げておいて、叩くとなったらこれまたいっせいに叩きまくるマスコミに、うんざりしていただけです。持ち上げるにしろ、叩くにしろ、あの顔は拝まされるわけですから。
で、ニューズウィークの記事です。
記事の著名は東京支局長クリスチャン・カリル氏と平田紀之氏。
物語仕立てで、冒頭に、ドラマティックに六本木ヒルズにある事務所の手入れを描いたあげく、「フジテレビに敵対的買収を仕掛け、日本の企業文化を激変させた男に、いったいなにが起きたのか」と、問いかけてはじまります。
芸が細かいですねえ。「企業文化」ときましたか。
別にホリエモンが「日本企業」を激変させたわけじゃないんですけどね、「企業文化」として置けば、いったい企業文化がなになのか、指す内容が曖昧ですから、ラフな格好でテレビに出まくった程度のことを、「日本企業のビジネススタイルを根本から変えるという野望」なんぞという、美辞麗句で飾れるわけですね。
で、あげくの果てに、フジテレビとの攻防戦を「買収には失敗したが、もっと大きな戦果を上げた。リストラを進めて体力を強化し、株主価値を上げなければ買収される可能性があることを、日本企業に知らしめたのだ」と評価するとなると、物語仕立ての筋書きが露わになって、読む気が失せてしまいます。
公平を装いながら、フジテレビは悪役、ホリエモンは改革の旗手で善玉、という図式は、堅持しているわけなんですよね。
なるほど、検察の真の狙いが、フジテレビ買収劇に動いた外資系金融機関への牽制にあったことは、事実でしょう。しかし、それが言いたかったのなら、もっと他に書くべきことがあるでしょう。ホリエモン善玉物語が、そのまま外資系金融機関善玉につながるような印象操作をする前に、です。
ともかく、テレビのワイドショーにしろ、このニューズウィークにしろ、いいかげん、陳腐な勧善懲悪物語仕立ては、やめていただきたいものだと思うのです。
もっとも、これがエンターティメント、大衆的なフィクションとなりますと、仕方のない面があることは確かです。
勧善懲悪とまでいかなくても、人物をある程度類型的に描きわけ、はっきりとした対立の図式を描いて見せなければ、お話がおもしろくならないですし、第一、わかり辛いでしょう。
で、ここでようやっと話が、桐野につながります。
戦後もある時期まで、時代小説における剣豪、つまりすぐれた剣の使い手であることは、ヒーローの条件であり、プラスのイメージが強かったでしょう。ある時期って、おそらく……、高度成長が終わるころまで、なんじゃないかと思うんですけど。
これは、架空のヒーローではなく、幕末の志士たちについてもいえることで、剣にすぐれていた、というのは、賞賛に価することだったんですね。
ところがある時期から、剣の使い手であることは、あまりいいイメージにつながらなくなったような気がするのです。
いえ、それはそれで、人気の種でないこともないのですが、「腕はたったがけっしてむやみに人は斬らなかった」とか、言い訳じみたセリフがついてみたり、するようになったわけなんですよね。
桐野につなぐ前に、ちょっと土居通夫の話を。
土居通夫は、宇和島藩出身の志士で、後に関西で実業家になり、通天閣は土居通夫の「通」をとって名付けられた、という通説ができていたほど、大阪経済の発展に尽力した人です。
司馬遼太郎氏が、『花屋町の襲撃』(『幕末』収録)という短編で、この人をモデルにして「後家鞘の彦六」という剣豪を描いているのですが、花屋町の襲撃は、陸奥宗光たちが、龍馬暗殺の仇討ちに、新選組に守られた紀州の三浦休太郎を襲った実際の事件ですし、最後に土居通夫の名を出して、実録風に書いてあります。
以前に、知り合いから、土居通夫のことを旅行案内本のコラムに書くというので、相談を受けたことがありました。『花屋町の襲撃』に書いてあることは事実か? と言うのですね。
いや、小説ですしね。虚実とりまぜで、おまけに私が知っている範囲では、花屋町の襲撃に土居通夫が加わっていた、ということ自体、司馬さんのフィクションであるらしかったんです。
それで、同じ司馬遼太郎氏の随筆『剣豪商人』(『歴史の世界から』収録)を、紹介しました。
ところが、ここに書いてあることは事実か?、とたたみかけられますと、これもちょっと首をかしげざるをえません。一度、調べたときに、剣豪だと言われていた事実があり、新選組と斬り合いをした、というような話は読んだんですけど、それもどこまで事実やら、という感じでしたし、「剣の腕がすぐれているので、土方歳三が新選組に入らないかと誘った」というあたりなど、後に実業家になってからの伝説くさいんですよね。
で、結局、「短いコラムだから、司馬遼太郎氏はこう言っている、と書けばいいですかね?」と聞かれ、「それならまちがいないと思います」と答えておきました。
が、それでも問題は起こったんです。
北海道旅行の最中に携帯が鳴り、なにかと思えば、「読者の方から電話があって、土居通夫が剣豪だったなどと、司馬遼太郎がそんな嘘を書くわけがない、と言われて困っているんです」と。
これには、あきれました。出典を告げてことなきを得たのですが、なにやら、剣豪と書かれることが、悪いことであるかのような抗議だったらしいのです。
『剣豪商人』の初出は、昭和36年の『歴史読本』です。
つくづく、時代の変化だよなあ、と、思いました。
土居通夫が剣の達人であったことは、事実だったようなのです。
新選組と斬り合ったことも、なかったとはいえません。
戦前には、それが誇張されて伝説となるほどにプラスイメージだったのでしょうし、戦後も昭和30年代には、まだ、そういう風潮が濃厚にあったのでしょう。
ところが昨今では、「人斬り」どころか、「剣豪」でさえ、マイナスイメージであるようなのです。
で、やっと桐野です。といいますか、「人斬り」といわれる中村半次郎像の変遷について語りたかったのですが、話がそれて、前触れだけで終わってしまいました。
次回に続きます。
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桐野利秋は俊才だった
続・中村半次郎人斬り伝説
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なににあきれたって、ホリエモンの描きぶりに、です。
私はなにしろ、「男は容姿」を信条としておりますので、以前からホリエモンは嫌いです。
昨今、ニュースを見ていたらかならずあの顔を拝まされるのには、うんざりしていました。
とはいえ、別に極悪人だと思っているわけではなく、やたらに持ち上げておいて、叩くとなったらこれまたいっせいに叩きまくるマスコミに、うんざりしていただけです。持ち上げるにしろ、叩くにしろ、あの顔は拝まされるわけですから。
で、ニューズウィークの記事です。
記事の著名は東京支局長クリスチャン・カリル氏と平田紀之氏。
物語仕立てで、冒頭に、ドラマティックに六本木ヒルズにある事務所の手入れを描いたあげく、「フジテレビに敵対的買収を仕掛け、日本の企業文化を激変させた男に、いったいなにが起きたのか」と、問いかけてはじまります。
芸が細かいですねえ。「企業文化」ときましたか。
別にホリエモンが「日本企業」を激変させたわけじゃないんですけどね、「企業文化」として置けば、いったい企業文化がなになのか、指す内容が曖昧ですから、ラフな格好でテレビに出まくった程度のことを、「日本企業のビジネススタイルを根本から変えるという野望」なんぞという、美辞麗句で飾れるわけですね。
で、あげくの果てに、フジテレビとの攻防戦を「買収には失敗したが、もっと大きな戦果を上げた。リストラを進めて体力を強化し、株主価値を上げなければ買収される可能性があることを、日本企業に知らしめたのだ」と評価するとなると、物語仕立ての筋書きが露わになって、読む気が失せてしまいます。
公平を装いながら、フジテレビは悪役、ホリエモンは改革の旗手で善玉、という図式は、堅持しているわけなんですよね。
なるほど、検察の真の狙いが、フジテレビ買収劇に動いた外資系金融機関への牽制にあったことは、事実でしょう。しかし、それが言いたかったのなら、もっと他に書くべきことがあるでしょう。ホリエモン善玉物語が、そのまま外資系金融機関善玉につながるような印象操作をする前に、です。
ともかく、テレビのワイドショーにしろ、このニューズウィークにしろ、いいかげん、陳腐な勧善懲悪物語仕立ては、やめていただきたいものだと思うのです。
もっとも、これがエンターティメント、大衆的なフィクションとなりますと、仕方のない面があることは確かです。
勧善懲悪とまでいかなくても、人物をある程度類型的に描きわけ、はっきりとした対立の図式を描いて見せなければ、お話がおもしろくならないですし、第一、わかり辛いでしょう。
で、ここでようやっと話が、桐野につながります。
戦後もある時期まで、時代小説における剣豪、つまりすぐれた剣の使い手であることは、ヒーローの条件であり、プラスのイメージが強かったでしょう。ある時期って、おそらく……、高度成長が終わるころまで、なんじゃないかと思うんですけど。
これは、架空のヒーローではなく、幕末の志士たちについてもいえることで、剣にすぐれていた、というのは、賞賛に価することだったんですね。
ところがある時期から、剣の使い手であることは、あまりいいイメージにつながらなくなったような気がするのです。
いえ、それはそれで、人気の種でないこともないのですが、「腕はたったがけっしてむやみに人は斬らなかった」とか、言い訳じみたセリフがついてみたり、するようになったわけなんですよね。
桐野につなぐ前に、ちょっと土居通夫の話を。
土居通夫は、宇和島藩出身の志士で、後に関西で実業家になり、通天閣は土居通夫の「通」をとって名付けられた、という通説ができていたほど、大阪経済の発展に尽力した人です。
司馬遼太郎氏が、『花屋町の襲撃』(『幕末』収録)という短編で、この人をモデルにして「後家鞘の彦六」という剣豪を描いているのですが、花屋町の襲撃は、陸奥宗光たちが、龍馬暗殺の仇討ちに、新選組に守られた紀州の三浦休太郎を襲った実際の事件ですし、最後に土居通夫の名を出して、実録風に書いてあります。
以前に、知り合いから、土居通夫のことを旅行案内本のコラムに書くというので、相談を受けたことがありました。『花屋町の襲撃』に書いてあることは事実か? と言うのですね。
いや、小説ですしね。虚実とりまぜで、おまけに私が知っている範囲では、花屋町の襲撃に土居通夫が加わっていた、ということ自体、司馬さんのフィクションであるらしかったんです。
それで、同じ司馬遼太郎氏の随筆『剣豪商人』(『歴史の世界から』収録)を、紹介しました。
ところが、ここに書いてあることは事実か?、とたたみかけられますと、これもちょっと首をかしげざるをえません。一度、調べたときに、剣豪だと言われていた事実があり、新選組と斬り合いをした、というような話は読んだんですけど、それもどこまで事実やら、という感じでしたし、「剣の腕がすぐれているので、土方歳三が新選組に入らないかと誘った」というあたりなど、後に実業家になってからの伝説くさいんですよね。
で、結局、「短いコラムだから、司馬遼太郎氏はこう言っている、と書けばいいですかね?」と聞かれ、「それならまちがいないと思います」と答えておきました。
が、それでも問題は起こったんです。
北海道旅行の最中に携帯が鳴り、なにかと思えば、「読者の方から電話があって、土居通夫が剣豪だったなどと、司馬遼太郎がそんな嘘を書くわけがない、と言われて困っているんです」と。
これには、あきれました。出典を告げてことなきを得たのですが、なにやら、剣豪と書かれることが、悪いことであるかのような抗議だったらしいのです。
『剣豪商人』の初出は、昭和36年の『歴史読本』です。
つくづく、時代の変化だよなあ、と、思いました。
土居通夫が剣の達人であったことは、事実だったようなのです。
新選組と斬り合ったことも、なかったとはいえません。
戦前には、それが誇張されて伝説となるほどにプラスイメージだったのでしょうし、戦後も昭和30年代には、まだ、そういう風潮が濃厚にあったのでしょう。
ところが昨今では、「人斬り」どころか、「剣豪」でさえ、マイナスイメージであるようなのです。
で、やっと桐野です。といいますか、「人斬り」といわれる中村半次郎像の変遷について語りたかったのですが、話がそれて、前触れだけで終わってしまいました。
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