郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

『春の雪』の歴史意識

2005年12月08日 | 映画感想
春の雪公式サイト

昨日、見に行ってきました。
当初、行くつもりはなかったんです。原作小説『春の雪』には思い入れが強すぎますし、どうやってもうまく映画化できるはずがない、と思ってましたので。
『春の雪』は、あくまでも『豊饒の海』の中の一巻、なんですよね。とはいうものの、昔、どなたか文学評論家の方が似たようなことをおっしゃってましたが、『春の雪』で情感豊かに流れていた小説の時間が、2巻『奔馬』、3巻『暁の寺』ではとまり、4巻目の『天人五衰』では、もうなんといいますか、枯れてしまうんですよね。
 にもかかわらず、『天人五衰』の最後で、再び、あの『春の雪』の時間が流れて、感動させられてしまう。つまり、です。最後の感動を味わうためには、もどかしくも味気ない膨大な時間を活字で追う、という苦行が、必要になってくるわけです。
いえ、もしかすると、最後の感動は、中途が味気ないから、あるのかもしれないのです。
これを、どうやったら映画にできると?
いえね、映画と小説がちがうことくらいは知っています。映画はむしろ、上手く原作離れをした方がいいんです。
原作に入れ込んでいたにもかかわらず、映画は映画としていいと思った成功例を上げるならば、『ベニスに死す』と『ロード・オブ・ザ・リング』が双璧でしょうか。

結局『春の雪』を見に行く気になったのは、ひとつには、週刊新潮のコラムで「脇役がいい」と書いてあったからで、大楠さんの蓼科はちょっと見てみたいかも、と思ったりしまして。
いや、大楠さんもよかったのですが、出演していることさえ知らなかった石橋蓮司を、思わぬ場面で見まして、あまりの存在感に感動しました。

で、全体としてどうだったか、といいますと、よかったですよ、けっこう。ともかく映像がきれいでしたし、主役の二人も、けっしてぶちこわしにはしていません。
こうでもするしかないかな、みたいな、あきらめが先だったこともあります。
ただね、思ったよりもよかっただけに、欲が出てきた部分も多々あって、書かないではいられない気分です。
下は、あんまりにも、私が思ったと同じことを言っておられるので、つい、リンクさせていただきました。西村氏って、これまで政治的なご発言しか存じませんでしたが、感覚の鋭い方ですね。

酔夢ing voice 西村幸祐 没後35周年の憂国忌

上映中の「春の雪」を大部前に試写で観たが、小説の冒頭と結末の重要なシーンが脚本にないことが残念だった。それは、冒頭の日露戦争の写真を清顕が眺めるシーンと、月修寺を失意の清顕が訪ねたときに、門跡と清顕が話していると障子の向こうから聞こえる聡子の泣き声がカットされていたことだ。

この前半、日露戦争の写真が出てこない、という点です。
これは、映画がうすっぺらくなっている大きな要因です。
小説は、日露戦争の写真の描写と、提灯行列の思い出を述べることからはじまっていて、これは、近代日本の歩みの中にこの物語を位置づける、重要なシーンです。
幕末維新からの息せき切った日本の近代化は、日露戦争で坂を登りきり、目標を失うんですね。清顕の祖父、初代松枝侯爵は、薩摩系の明治の元勲、つまり下級武士からの成り上がり、幕末の志士という設定ですから、西郷従道あたりをモデルと考えればいいわけです
清顕の叔父二人、つまり維新の志士だった祖父の息子二人は、おそらくは日露戦争で、戦死しています。
近代日本の生々しい苦闘が、明治大帝の崩御で、もはや歴史となって、その上に、松枝清顕の優雅はあります。
そして、維新から日露戦争までの創生期は、物語に通底して、重要な場面で顔をのぞかせるのです。
例えば、松枝侯爵邸の卓球室で、父侯爵が、聡子を妊娠させた清顕に激昂するシーン。その部屋には、祖父侯爵の肖像画と、日本海海戦の大きな絵が飾ってあります。夫とともに幕末の動乱をくぐった祖母は、「宮様の許嫁を孕ましたとは天晴れだね」と、喜ぶのですが、それは、「今は忘れられた動乱の時代、下獄や死刑を誰も怖れず、生活のすぐかたはらに死と牢獄の匂ひが寄せていたあの時代」を、一見軟弱な孫が、眼前に蘇らせてくれたからです。
このシーン、映画では、岸田今日子演じる祖母の台詞から、後半の「それだけのことをしたのだから、牢へ入っても本望だろう。まさか死刑にはなりますまいよ」という部分を省き、卓球室の二枚の絵も、たしか、なかったと思います。あったにしても、はっきりと映し出しては、いませんでした。
岸田今日子は名演でしたが、その台詞が意味する喜びを、なんら映像で説明してくれないものですから、小説を読んでいなければ、平板な昔気質に見えかねません。
つまり、冒頭、日露戦争の写真のシーンを削るということは、歴史の厚みを無視して、単なる懐古趣味で大正風俗を見せてしまう、ということなんですね。

西村氏のおっしゃる後半、聡子の泣き声については、勘違いなさっているのではないかと思うのですが、原作でも、それを聞くのは清顕ではなく本多ですし、本多が聞くシーンは、ちゃんと入っていました。
たたあれは、小説があまりにも名文で、小説から受ける感慨を映画が再現してくれているかというと、できていません。
しかし、あれを映像で表現するのは、至難の技でしょう。

もう一つ、これはやめて欲しかった、という変更があります。
小説で、禁忌の恋の憧憬を表象するのは、清顕が少年のころ、宮妃のお裾持ちをしたときの描写です。
儀式のときの皇族女性の大礼服は、ティアラーにマント・ド・クールだったんですが、裾を引く長いマントを、美しい華族の少年がささげ持つ慣例がありました。清顕も選ばれて宮妃殿下の裾を持ち、そのときに軽くつまずくんですが、美しい宮妃は、「許す」というようなかすかな笑みを、清顕に贈られるんですね。華麗な宮廷儀礼のその一こまは、清顕の父侯爵にとって……、つまり世俗の目で見るならば、「宮廷と新華族とのまったき親交のかたち」であり、「公卿的なものと武士的なものとの最終的な結合」だったのですが、清顕にとっては、おそらく、恍惚とする滅びへの誘惑、であったのです。
このモチーフは、清顕の聡子への恋において、底流となるのですが、映画はまったく描くことなく、代わりに、聡子を女雛としたお雛様の幻をもってきているんです。
これは、あんまりな通俗絵解きで、「ちょっと待って」とため息がでました。

皇族女性の礼服が、お雛様のような袿袴姿から洋装に変わったのは、明治19年、鹿鳴館の舞踏会が華やかなりしころです。これを推進したのは、長州の志士だった伊藤博文と井上聞多の元勲コンビ。二人とも、幕末には火付け暗殺にかかわり、聞多などは刺客に襲われて一命をとりとめ、全身に刀傷が残っていました。
明治の時代に、「宮廷と新華族とのまったき親交のかたち」として、「公卿的なものと武士的なものとの最終的な結合」として、伝統の宮廷衣装は、マント・ド・クール、ロープ・デコルテ、ロープ・モンタントといった洋装に、とってかわられたのです。
つまり、下級武士に担がれた天皇家は、公卿の長であった伝統を捨てて、近代日本にふさわしく、西洋的な皇室となったのであり、三代目の清顕にとっては、それはもう、自明の現実なのです。
お雛様ではなく、西洋の姫君の外見の奥に、清顕が、王朝文化の優雅の本質を見ようとしていることを、無視するべきではないでしょう。
問題は、それでも残る日本的なるもの、なんじゃないんでしょうか。
あるいはそれは、自己を消滅させなければ見出しえないものだと、三島由紀夫は、認識していたのかもしれませんが。

ひとつ、映画に教えられたことがあります。
読みようによってはこの四部作、本多の清顕への生涯をかけた恋の物語なんですね。
こちらの方のこのお言葉にも同感なので、リンクさせていただきました。

'春の雪' from おかぼれもん。.

そうそう、この本多は、原作の本多と飯沼をミックスさせたのかな?
そう思うと、友情を超えるか超えないかのぎりぎりのラインのシーンは、
(雪の降るなか、寺の前で倒れた清様を本多が抱き起こすシーンです)
なにげに、三島の姿を投影しつつ鑑賞してしまい、ぐっときました。

ぐっときつつ、やはり映画は、ちょっと安易に輪廻転生をあつかいすぎている、という印象もぬぐえませんでした。清顕が本多に残す最後のセリフ、「又、合うぜ。きっと合う。瀧の下で」が、どうしても浮いてしまうんですよね。
蝶を飛ばして、ごまかされてもねえ。つーか、蝶でごまかすのならば、冒頭と最後に、年老いた本多をもってきてもよかったですね。『オペラ座の怪人』のように、そちらの方はモノクロで。
ああ、そうなんです。徹底して作り物の世界にしてしまうならば、『オペラ座の怪人』の乗りが欲しかった。

ともかく、久しぶりに、原作を読み返してみましたが、いつ読んでも美しい文章です。
くらべるのもおこがましいのですが、これを読んでいると、文章を書くのがいやになったり。


最後に、帝国劇場のシーン、「この階段、どこかで見たような」と思ったら、なんと、上野の国立博物館でした。高松城の中のお屋敷とか栗林公園とか、見たことのある場所でけっこう撮影していて、附録目当てにDVDを買ってしまいそうな予感がします。

トラックバックをいただいて、タイの王子たちについて、書き忘れたことに気づきました。
大仏のシーンはほんとうにきれいでしたけれども、王子たちの背景にあるものを、もう少し映像で語ってくれてもよかったのでは、という物足りなさがありました。
絢爛豪華なタイの寺院の映像とか、小説の描写がすばらしいだけに、入れてもらいたかったところです。

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三島由紀夫の恋文


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映画『山猫』の円舞曲

2005年11月21日 | 映画感想
ルキノ・ヴィスコンティ監督『山猫』、完全版DVDを購入して見ました。

山猫 イタリア語完全復元版

いえね、けっこうなお値段で迷っていたのですが、幕末物語の参考になる映像として必要だろう、と言い訳しつつ、買った次第です。
「山猫」の舞台は、イタリア統一戦争時のシチリア。幕開けの1960年といえば、万延元年。横浜開港の翌年で、桜田門外の変が起こった年です。明治維新まで、あと8年。
この時代を舞台にした映画といえば、南北戦争を扱った『風と共に去りぬ』もあるのですが、ハリウッド映画は時代風俗を正確には再現しませんので、やはり『山猫』だよなあ、と。

かつて見たルキノ・ヴィスコンティ監督の映画の中で、『山猫』それほど印象に残るものではありませんでした。さっぱり感情移入できなかった、とでもいうんでしょうか。同じくヴィスコンティの「老い」をテーマとしている作品で、先に見た『家族の肖像』がお気に入りだっただけに、ついくらべてしまったんですが、なにしろ若かったものですから、「老い」に共感できるわけもなく、となれば、対比して出てくる若さなんですが、『家族の肖像』のヘルムト・バーガー演じる青年にくらべて、『山猫』のアラン・ドロン演じるヒーローは、功利的かつ健康的にすぎた、とでもいうんでしょうか、思春期に感情移入できる役柄では、なかったんですね。

あらためて見返してみた『山猫』は、よかったですね。
『山猫』あたりまでのヴィスコンティは、個を描くことよりも、時代を描くことの方に、より重点を置いているんですね。イタリアのリソルジメントがなんであったか、シチリア貴族社会の断片を切り取ることで、全体を見事に、そしてリアルに伝え得ている作品だと思えます。

有名な舞踏会のシーン。なによりもこれを見返してみたかったんですが、ぐぐっていたら、私が感じていたことを、より深く解説してくれているサイトにめぐりあいました。

古典と古典舞踏 第10回「ワルツ」その2


そうでしたか。あのワルツは、ヴェルディでしたか。

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