郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

『オペラ座の怪人』と第二帝政

2005年10月19日 | 日仏関係
映画「オペラ座の怪人」

また突然書きます。
しばらく以前から、幕末から明治初頭にかけての江戸とパリを調べています。
幕末を舞台に物語を書きたいと20年来思っていて、書きかけたこともあるのですが、どういう角度から書けばいいのか、なかなかまとまりがつかなくて、上手くいきませんでした。
それが、ちょっとひらめいたものがありまして、これならいけるかなと、書きはじめたところです。
これはご存じの方も多いと思うのですが、幕末もかなり押し詰まった時点で、フランスが幕府を応援し、イギリスが薩摩を応援するんですね。もちろん、応援するにはそれぞれの思惑があるんですが、そういった政治的意図とは別に、当時のイギリスの気風は薩長側に親近性があり、フランスの気分は江戸の幕臣になじむものがあったように思えるのです。
つまり、当時の江戸とパリには、相通じる雰囲気があったのではないかと。

それで、映画「オペラ座の怪人」です。
実のところ、ガストン・ルルーの原作も読んでいませんし、ミュージカルについても、ほとんど知らなかったにもかかわらず、なぜか頭の中にイメージが出来上がっていました。
19世紀末のパリのオペラ座の地下に醜い怪人がいて、その怪人が、歌姫だか踊り子だかの美しい少女に報われない恋をする、というだけのストーリー認識の上に、ミュージカルでは、怪人がせつない恋心をオペラ「真珠採り」のアリア(「耳に残るは君の歌声」)に託して歌いあげているらしい、という話を小耳にはさみ、どうも、そこに昔TVで見た「天井桟敷の人々」のイメージが重なったらしく、古典的な報われない恋の物語だと思い込んでいたんですね。
2月に、映画を見に行きました。いえ、悪くはなかったのですが、勝手な思い込みとは大きくちがっていました。
で、先日、付録映像付きのDVD『オペラ座の怪人 コレクターズ・エディション (初回限定生産)』を買って見るまで、なぜちがうのかもわかりませんでした。
ミュージカルには、2種類あったんですね。「真珠採り」のアリアが歌われるのは、ケン・ヒル演出の「オペラ座の怪人」で、これは、さまざまなオペラのアリアを取り入れたもの。
このケン・ヒル版に触発され、アンドリュー・ロイド・ウェバーが全曲オリジナルで作曲し、演出した「オペラ座の怪人」が、今回の映画のもとになったもので、どうりで、「真珠採り」のアリアは歌われないはずです。
2月に劇場で見たときには、思い込みゆえか、「なにかちがう」という違和感が先立ったのですが、DVDで見返してみると、これはこれでなかなかいいのではないか、という気になりました。
違和感の最たるものは、ファントム(怪人)がいい男にすぎたことでした。ジェラルド・バトラー演じるファントムは、まったく醜くはなく、といいますか、あの程度の特殊メイクでは、本来の容貌を損なうことなく、むしろ人妻でもよろめきそうなくらい、格好よくて、魅力的でありすぎる。
これでは、魅せられてあたりまえで、母にさえ愛されることがなかった怪人の思いにせつなくなる、ということはありえません。
しかし、あらためてDVDを見てみると、この映画の主旨からいけば、ファントムはこれでいいのかもしれない、むしろ主人公の歌姫クリスティーヌが清純にすぎるのではないか、と思えてきました。
一つには、附録で、オリジナル・ミュージカル初代のクリスティーヌ役、サラ・ブライトマンの映像を見たこともあるでしょう。アンドリュー・ロイド・ウェバーは、妻サラのためにこのミュージカルを作ったんだそうで、たしかに、若き日のサラの熱唱はすばらしいものです。
ロイド・ウェバー版の「オペラ座の怪人」は、怪人(ファントム)が主役なのではなく、クリスティーヌが主役なのです。主題歌で歌い上げられているように、怪人は、クリスティーヌの心の中にいます。
芝居にしろダンスにしろ歌にしろ、観客を陶然とさせる天才には、なにかが取りついているのではないか、と思えることがしばしばあります。例えばニジンスキーのように、浮き世離れしていて、日常を生きるに不器用であり、見方によってはデーモニッシュで、「よき夫でありよき父である」ことはできないのです。
幕末の歌舞伎にも、そういう役者がいました。名女形、三代沢村田之助です。壊疽で足を切り落としてなお、執念で舞台に立ち続け、その舞台の美しさは伝説になりました。
つまり、歌姫クリスティーヌをはさんで、怪しく官能的な魅力を持つファントムと、白馬の騎士そのままの青年ラウルが競う三角関係とは、芸に打ち込んで、喝采をあびつつも孤独な陶酔をとるか、「よき妻よき母である」ことを選び、平凡でも豊かな日常に幸せを見出すか、という、若き歌姫の心の葛藤の視覚化なのです。
映画のクリスティーヌ役、エミー・ロッサムは、パトリック・ウィルソン演じる熱血王子ラウルと並ぶと、実にぴったりくる若さで、もしも設定が、ラウルというできすぎた恋人がありながら、迫害されてきた醜いファントムの運命に心をゆさぶられ、博愛の情に駆られる可憐な乙女、という素直なものであったならば、サラ・ブライトマンよりもお似合いでしょう。
しかし、そうであるならば、ファントムが魅力的であっては、見る者を説得できません。危険な魅力的をただよわせるファントムは、「歌うことの官能の陶酔に身をゆだねることは、人並みの幸せを捨て、怪人となることでもあるのだ」という意味でクリスティーヌの分身の象徴であり、そのファントムにふさわしいクリスティーヌは、破滅を知りつつもなお魅せられていく複雑な心の陰りを、表現する必要があるのです。
その点で、エミー・ロッサムは若く、演技が瑞々しすぎて、サラ・ブライトマンの妖しさにはかないません。
しかし、まあ、映画ですからね。映像の美しさは格別ですし、ファントムの危険で怪しい魅力と、情熱的な白馬の騎士ラウルの魅力と、素直に、二人の対照的、かつ典型的な男性像を楽しめばいいのかもしれません。
オペラ座の地下深く、蝋燭の火が水にゆらぐファントムの隠れ家は、胎内の視覚化でしょう。花に埋もれる歌姫の化粧室の鏡の向こう、仙道を馬で、そして水面をゴンドラで、クリスティーヌがファントムに地下深く導かれていく場面は、胎内回帰願望をくすぐる世紀末の耽美、でした。
おとぎ話として見ればいいのでしょう。フロイド的で恐縮ですが、クリスティーヌは茨の城に眠るエレクトラコンプレックスのお姫さまであり、ファントムは、娘が離れていくことを許容できず、魔人となって王子さまの訪れをはばむ父親、なのでしょう。

で、話をもとにもどしますが、「オペラ座の怪人」は、パリのオペラ座、オペラ・ガルニエを舞台にしています。設定では、1870年のお話です。1870年は明治三年で、維新の戦火がおさまって間もなくのころ。
原作がそうなっているのでしょうけれども、実のところ、オペラ・ガルニエが完成したのは1875年なんですね。
にもかかわらず、なぜ1870年なのか。
答えは簡単です。1870年には普仏戦争が起こり、栄華を誇った第二帝政は瓦解して、続いた悲惨な内戦がパリの浮かれ気分を吹き飛ばしてしまうのです。
経済の発展には、政権の安定が不可欠ですから、フランス革命による政情不安により、フランスの産業、経済は、イギリスに大きく遅れをとります。以降、ナポレオンの帝政、王政復古、共和制と、ヨーロッパ全土をまきこんでフランスは揺れ動きますが、1852年、ナポレオン三世による第二帝政がはじまり、それまでの遅れを取り返すかのような好景気にフランスはわきます。
ペリーの浦賀来航が1853年(嘉永6年)ですから、フランスの第二帝政は、そのまま日本の幕末なのです。
この第2帝政期、パリは大きく変貌をとげます。中世の面影を残す都市の改造に着手したのは、セーヌ県知事、オスマン男爵で、道路を大きくひろげ、石畳を敷き、清潔で壮麗な近代都市をめざしたこのパリ大改造は、オスマン大改造と呼ばれています。
オペラ・ガルニエは、1862年の着工です。オスマン大改造の一環であり、ナポレオン三世好みの絢爛豪華なバロック様式が採用され、第二帝政に花開いたパリの神髄となるべき建築だったのですが、完成したとき、帝政は消滅してしまっていたのです。
共和制を舞台にしたゴシック・ロマンなぞ、気の抜けたシャンパンのようなものでしょう。「オペラ座の怪人」の舞台は、瓦解の予兆の不安を紛らわすように、豪奢な泡沫の夢をむさぼる、第二帝政の最末期でなければならなかったのです。

第二帝政末期パリと、幕末の江戸を結びつける出来事がありました。
1867年(慶応3年)、つまり維新の前年、普仏戦争の4年前に行われた第二回パリ万国博覧会です。
これは、日本がはじめて参加した万博で、幕府は、将軍の弟・徳川民部公子を筆頭にした使節団をパリに送りこんでいるんですね。薩摩と佐賀も参加し、倒幕に傾いていた薩摩藩は、パリでも幕府に噛みついたりしているのですが、江戸の商人やら芸者やら芸人やらも、万博でにぎわう花の都パリへ、くり出しています。
万博といえば、近代化と進歩の祭典、であるはずです。
しかし、第二帝政下のこの万博には、反近代の夢がただよっていたのではないでしょうか。ちょうど、オペラ・ガルニエを代表とするこの時代の建築が、書き割りのように、過去への豪奢な夢をつめこんでいたように。
パリの万博会場のまわりには、広大な庭園がしつらえられ、その庭園には、エキゾチックなオリエントのパヴィリオンが立ち並んでいました。江戸の水茶屋も、その中にあったのですが、それは、夢のように不思議な空間でした。
また、この万博には、世界各国から王族が集い、華麗な社交をくりひろげ、パリの歓楽に身をひたしました。
その中でも異彩を放っていたのは、身分を隠してパリを訪れた、弱冠22歳の美貌のバイエルン王、ルドヴィヒ2世です。ルキノ・ヴィスコンティの映画「神々の黄昏」で知られるババリアの狂王ルートヴィヒ2世は、フランスの太陽王ルイ14世に憧れ、ワーグナーの描く中世に酔いしれ、その過去への夢を書き割りのような築城に託したことで、身を滅ぼします。
ちょっと意外かもしれませんが、ルートヴィヒの築いた三つの城、ノイシュヴァンシュタイン城、リンダーホフ城、ヘーレンキームゼー城のうち、リンダーホフ城には、直接に、パリ万博の影響がうかがえるのです。
王は、万博終了後にイスラム様式のパヴィリオンの一つを買いとり、リンダーホフ城に運んで再建するとともに、その庭には、万博会場で注目をあびた洞窟のような水族館をまねて、ゴンドラが浮かぶタンホイザーの人口洞窟を作りました。
映画「オペラ座の怪人」のファントムの隠れ家は、リンダーホフ城の人工洞窟に似ていますが、それははからずも、「オペラ座の怪人」の舞台である第二帝政末期の万博に、ルーツを持っていたんですね。
ルドヴィヒの城が壮大な舞台の書き割りであったように、フランス第二帝政の象徴であるオペラ・ガルニエも、最初から舞台の書き割りじみた存在であり、地下の洞窟には、過去の幻影という名の怪人を宿す必要があったのでしょう。

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2 コメント

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大好きなのです (kino)
2006-01-29 09:46:41
TBありがとうございました。

私は、去年この映画にハマって、いまだに何度見ても飽きません。

映画というのは、時代背景をはじめとする いろんな知識を持って見るとますます楽しめますね。

また勉強になりました!

返信する
kinoさま (郎女)
2006-01-29 23:25:33
こちらこそ、ありがとうございます。

私もDVDを買ってからすっかりはまってしまい、もう何回も見ています。

はまり方が遅かったので、なかなかお仲間がみつからなかったので、お邪魔できて楽しゅうございました。



当初は、ジェラルド・バトラーが、タイム・ラインに出ていたことさえ、気づかなかったうかつさでした。

あらためて買ってみましたら、あんまり面白くなかったタイム・ラインも、ジェラルドの出てくる部分は、とてもよかったです。
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