京都新聞に去る10月14日に掲載された記事です。
結婚という制度の問題点を考えてもらおうと、「反婚」を掲げたデモが13日、京都市内で行われた、というもので、
1人で子育てをする女性や、性差別の問題に取り組む人ら約50人がウェディングドレス姿や男装で参加し、「婚姻制度には差別がいっぱい」などと訴えたということです。
企画した「陽のあたる毛の会」の女性は(30)は10代で出産し、1人で子育てされ、養育を通じてさまざまな問題に突き当たり、結婚制度についての勉強会を左京区で始められたということです。
その方によれば
「子守りをしてくれる人を探しても家族制度が壁になったし、友達に結婚しない生き方を理解してもらえない。
『反婚』という言葉を作って呼びかけると、結婚という慣習に違和感や疎外感を感じている人がたくさんいた」ということです。
この運動に2つのことを感じました。
ひとつは、結婚という人生を大きくかえる選択には、気づかずにいたが、たしかにいくつもの矛盾や不合理も存在していることの自覚と、でもそのことに人はあまり意識を向けてこなかったということです。
もう一つは、これまで「結婚おめでとう」とお祝いするということ安定してきた社会の中の安定感が揺らぎはじめるということ。これは、良い悪いということではなく、「結婚します」と聞くと、これまでは「おめでとう」ととりあえず、周囲もはばかることなく祝辞をいえたけれど、このような指摘を聞くと
大きな声で「結婚おめでとう」といっていいかな? とちょっと躊躇する、その不安定感です。
これに似たものとして、他人の配偶者を呼ぶ時に呼び馴らされてきた「ご主人」「奥さん」という呼び方があると感じています。
私も、言葉を発する時に、「ご配偶者」「おつれあい」「パートナー」といずれも性別が分かりにくくなるな、話が伝わりにくくならないかな、ということを感じつつ言葉を選びます。
妻、夫という言葉が三人称の敬語で使えると便利だろうな(「お妻さん」「お夫さん」?)と思います。
ただ、結婚についても、これまで、それは当然受け入れることであり甘受すべきことと思わされて辛い思いをしてきた方たちもいるわけだから、そのことに目を向け、自覚を持つということはいいことだと思います。
無神経の上で築かれてきた社会の安定感が揺らぐことは、こんな功罪があると感じますが、既成概念はこのようにして見直され、既成概念によって制約されてきた人の価値は、こうやって回復していくのだと思います。
社会は、このような日常の変化の中で常に同じ形ではとどまらないし、こうやってまた既成概念が動いていくものだということを目の当たりにする記事でした。
結婚という制度の問題点を考えてもらおうと、「反婚」を掲げたデモが13日、京都市内で行われた、というもので、
1人で子育てをする女性や、性差別の問題に取り組む人ら約50人がウェディングドレス姿や男装で参加し、「婚姻制度には差別がいっぱい」などと訴えたということです。
企画した「陽のあたる毛の会」の女性は(30)は10代で出産し、1人で子育てされ、養育を通じてさまざまな問題に突き当たり、結婚制度についての勉強会を左京区で始められたということです。
その方によれば
「子守りをしてくれる人を探しても家族制度が壁になったし、友達に結婚しない生き方を理解してもらえない。
『反婚』という言葉を作って呼びかけると、結婚という慣習に違和感や疎外感を感じている人がたくさんいた」ということです。
この運動に2つのことを感じました。
ひとつは、結婚という人生を大きくかえる選択には、気づかずにいたが、たしかにいくつもの矛盾や不合理も存在していることの自覚と、でもそのことに人はあまり意識を向けてこなかったということです。
もう一つは、これまで「結婚おめでとう」とお祝いするということ安定してきた社会の中の安定感が揺らぎはじめるということ。これは、良い悪いということではなく、「結婚します」と聞くと、これまでは「おめでとう」ととりあえず、周囲もはばかることなく祝辞をいえたけれど、このような指摘を聞くと
大きな声で「結婚おめでとう」といっていいかな? とちょっと躊躇する、その不安定感です。
これに似たものとして、他人の配偶者を呼ぶ時に呼び馴らされてきた「ご主人」「奥さん」という呼び方があると感じています。
私も、言葉を発する時に、「ご配偶者」「おつれあい」「パートナー」といずれも性別が分かりにくくなるな、話が伝わりにくくならないかな、ということを感じつつ言葉を選びます。
妻、夫という言葉が三人称の敬語で使えると便利だろうな(「お妻さん」「お夫さん」?)と思います。
ただ、結婚についても、これまで、それは当然受け入れることであり甘受すべきことと思わされて辛い思いをしてきた方たちもいるわけだから、そのことに目を向け、自覚を持つということはいいことだと思います。
無神経の上で築かれてきた社会の安定感が揺らぐことは、こんな功罪があると感じますが、既成概念はこのようにして見直され、既成概念によって制約されてきた人の価値は、こうやって回復していくのだと思います。
社会は、このような日常の変化の中で常に同じ形ではとどまらないし、こうやってまた既成概念が動いていくものだということを目の当たりにする記事でした。
ただひがんで、真っ当に生きている人達を妬んで、自分勝手な主張を押し付け、何かにつけて騒ぎ立てたいだけな様な気がしてなりません。
婚姻制度の問題点を考えてもらうというのが趣旨だそうだが、だったらウェディングドレス姿や男装等、そんな格好をする必要はどこにもありません。
主催者は10代で出産していろいろ大変な思いをしたそうだが、それは無責任に子供など作るからいけないのではないですか。
なぜ京都市はこんな事やらせたのですかね。僕が市長だったら、こんな馬鹿な事自分の街で絶対にさせません。
彼女らに何があったかは知らないが、自分の勝手かつ歪んだ思考を人に押し付けてはいけない。それをしてしまうと、自分がみっともなくなる。それが教訓ですかね。
うちの「主人」と外で言いながら、そのご主人様をアゴで使っている奥(の実力者)様が多い現実。
いつぞや英語で習ったがMrs.??.??は夫のフルネームにMrs.つけるそな。
でもアメリカのワイフのほうがキツいとか、
しかし、お財布の紐をぎゅっと握っている日本の主婦は最強。
もっと強い中国の妻、結婚しても姓は変わらない、しかしこれは夫の家にはいれてやらねーぞいつでも返品OKという封建時代の名残だそうな。もう何がなにやらわかりません。
だから、名前の呼び方でいちいち目くじらたてないで各家庭それぞれでいいんじゃないの?
憲法9条守ろうと外で主張しても家帰って平和の対極たるDVやってる大作家先生を見てると、
呼び名なんかどーでもいいから夫婦仲が良いほうがいいでしょ?
でも、むずかしいのは、他人様の呼び方。
志村さんの「お婿さん、お嫁さん」もだめとすると・・・。
「夫さん(ふーさん)」「妻さん(さいさん)」
なんてのは、いかがでしょうか。
>第三者の配偶者を呼ぶ敬称に使える言葉を思い出しました。「お婿さん・お嫁さん」です。
それは甘い。
「嫁」とは女偏に家。女性は家にいるのが当然という前時代的思想です。「婦」も女偏に帚。女性は家で掃除をしているべきという悪しき思想を表しています。
固有名詞を呼ぶ場合も呼び捨てはNG。「~さん」が当然です。
「お父さん」「お母さん」も、女性を抑圧する家族制度からくるものですからNG。子どもには両親のことを固有名詞で「~さん」と呼ばせるように教育しましょう。
とかいうことが、以前読んだフェミニズムの本に書いてありました。(笑
いやいや親の都合で結婚させられた人もいないでもないが、そういう人は除いて祝福することがいけないなんて、息苦しい世の中になったもんですね。別に反婚の人をくさすために言っているわけでもないから堂々とおめでとうを言えばよい。
むしろ事実婚でもいいでしょうからもっと結婚を奨励し、両親そろった子育ての環境をふやしましょう。年金やら社会の多くの問題が解決するでしょう。
フランスでは伝統的家族の価値を見直して出生率が増えたということです。
そもそも平安時代の貴族や江戸時代の庶民を考えれば、事実婚でき婚は当たり前です。
法律婚至上主義やら純血主義は、それ相応の格式のある家庭(と自ら自覚している人々)が気にすればよいだけです。
ところで「ご主人・奥さん」以外に第三者の夫・妻を呼ぶ適当な敬語は、一晩考えましたが、ありませんね。「パートナー」「お連れ合い」または固有名詞で呼ぶしかないことに気がつきました。