戦争中の「沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があった」とする表現を修正させた高校日本史の教科書検定問題を巡り、沖縄で集会があり、そのことの報道が新聞をにぎわせました。
集会に10万人を越すなどというのは数十年前の安保闘争のころ以来とのこと。
そして、驚いたのは、会場へ向かう市民が、新聞の端に印刷されたマークを持っていくとバスがタダになるというのです。多くの市民が新聞片手に会場へ向かったということですが、バスが満席で、結局乗れない人、諦めて会場へ行けなかった人もあるということです。
公共の乗り物が、このようなときに市民の足になり、市民の表現行為を助けたということです。すごく心を動かされる一丸となった島の動きだったのですね。
このように市民が動けることは、気持ちの救いになりますね。
ところで、このような動きに対して、町村長官は記者会見で「沖縄の方の気持ちは、政治家としてしっかり受け止めて対応する」と述べていた、というのですが
気持ちの受け止めの問題ではないんではないでしょうか。
<読売新聞から>
教科書検定意見の撤回を求め、気勢をあげる県民大会の参加者(29日午後、沖縄県宜野湾市で)=板山康成撮影 沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする表現を修正させた高校日本史の教科書検定問題を巡り、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、同県宜野湾市の宜野湾海浜公園をメーン会場に開かれた。
約11万6000人(主催者発表)が参加し、「集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことを伝えるのは我々の責務」とする決議を採択した。決議文は10月中旬、福田首相、渡海文部科学相、全国会議員に提出する。
県議会、県遺族連合会など22団体でつくる実行委員会の主催で、県と県内の全41市町村が参加。米兵による少女暴行事件を発端に約8万5000人(同)が集結し、日米地位協定の見直しを求めた1995年の県民総決起大会を上回る規模で、「島ぐるみ」での政府への異議申し立てを印象づけた。
大会では、実行委員長の仲里利信・県議会議長が「(戦争体験者の)重い証言を軽々しく扱っているとしか思えない」と述べ、仲井真弘多知事は「記述を削除、修正するため県民を納得させるだけの検証を行ったのか」と遺憾の意を表明した。集団自決を生き延びた男性は当時の状況を訴え、高校生、県子ども会育成連絡協議会会長らは「次の世代に本当の歴史を伝えるべき」とするメッセージを読み上げた。
検定意見では、近年になって軍の強制があったことを否定する学説が出ていることや、当時、沖縄の守備にあたっていた特攻艇部隊の隊長らが「集団自決を命じたと記述された書籍で名誉を傷つけられた」として出版社などに賠償を求める裁判を起こしたことなどから、強制の記述について教科書会社に修正を求めた。
集会に10万人を越すなどというのは数十年前の安保闘争のころ以来とのこと。
そして、驚いたのは、会場へ向かう市民が、新聞の端に印刷されたマークを持っていくとバスがタダになるというのです。多くの市民が新聞片手に会場へ向かったということですが、バスが満席で、結局乗れない人、諦めて会場へ行けなかった人もあるということです。
公共の乗り物が、このようなときに市民の足になり、市民の表現行為を助けたということです。すごく心を動かされる一丸となった島の動きだったのですね。
このように市民が動けることは、気持ちの救いになりますね。
ところで、このような動きに対して、町村長官は記者会見で「沖縄の方の気持ちは、政治家としてしっかり受け止めて対応する」と述べていた、というのですが
気持ちの受け止めの問題ではないんではないでしょうか。
<読売新聞から>
教科書検定意見の撤回を求め、気勢をあげる県民大会の参加者(29日午後、沖縄県宜野湾市で)=板山康成撮影 沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする表現を修正させた高校日本史の教科書検定問題を巡り、検定意見の撤回を求める超党派の沖縄県民大会が29日、同県宜野湾市の宜野湾海浜公園をメーン会場に開かれた。
約11万6000人(主催者発表)が参加し、「集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことを伝えるのは我々の責務」とする決議を採択した。決議文は10月中旬、福田首相、渡海文部科学相、全国会議員に提出する。
県議会、県遺族連合会など22団体でつくる実行委員会の主催で、県と県内の全41市町村が参加。米兵による少女暴行事件を発端に約8万5000人(同)が集結し、日米地位協定の見直しを求めた1995年の県民総決起大会を上回る規模で、「島ぐるみ」での政府への異議申し立てを印象づけた。
大会では、実行委員長の仲里利信・県議会議長が「(戦争体験者の)重い証言を軽々しく扱っているとしか思えない」と述べ、仲井真弘多知事は「記述を削除、修正するため県民を納得させるだけの検証を行ったのか」と遺憾の意を表明した。集団自決を生き延びた男性は当時の状況を訴え、高校生、県子ども会育成連絡協議会会長らは「次の世代に本当の歴史を伝えるべき」とするメッセージを読み上げた。
検定意見では、近年になって軍の強制があったことを否定する学説が出ていることや、当時、沖縄の守備にあたっていた特攻艇部隊の隊長らが「集団自決を命じたと記述された書籍で名誉を傷つけられた」として出版社などに賠償を求める裁判を起こしたことなどから、強制の記述について教科書会社に修正を求めた。
軍には、住民に自決命令を出す権限はなかったとのこと。考えてみれば当たり前で、そんな法律があるわけない。だから、自決命令はなかったといってよい。
でも住民の方は強制されたと感じている。それを「命令」と表現した人もいた。
ふたりとも、同じ証言を元に発言していて、事実認識の違いはない。ただ、それをどう教科書の数行で表現するかということで意見が分かれているようです。
今回の騒動も、見事に過去から繰り返されてきたパターンと同一でしたね。
「軍の命令があった」→反証が出てひっくり返される→「広義の強制性」or「関与があった」、と論点ずらし。
沖縄県人は子供を使って叫ばせることがお好きなようですが、不勉強で、それ故に純粋な子供にプロパガンダを叫ばせる手法は、独裁国家の常とう手段です。旧ソ連や中国、北朝鮮が愛好する政治手法だということを、ここで指摘しておきたいと思います。
私も「委員」になって役所発の文章を書いたことはありますが、指導の元で委員同士話し合って書きますが、チェックがなかなか厳しく、だんだん整った文章ができあがっていきます。その過程で、個性的な文はなくなっていき、クレームが付きそうな部分や矛盾点は直されていくわけです。
研修もがっちりやっているし、なかなか立ち向かうのは大変でしょう。
しかも朝日社説をよく読むと牽強付会も甚だしく、「集団自決」問題に関しては検定意見撤回拒否を完徹した文科省の一人勝ち。まあ朝日に関しては、既に論点を検定制度の是非に(いつのまにか)移しているので、勝利宣言も可というところでしょうか。
実際この騒動でいろいろ報道を見てきましたが、検定審議官というのは凄まじく勉強しているらしいですね。所謂「専門家」でないだけに逆に多角的な見方ができて、教科書を書いた専門家がやりこめられることもあるとか。文科省に対しては、もっと自信と責任を持って、検定システムの透明化を図って頂きたいと思います。
報道では専門家の意見を聞いたとありますが、誰がどんな意見を言って、それからどう結論を導いたのか不明です。歴史の専門家なら、匿名発言する必要もないでしょう。それぞれの研究成果を堂々と発表すればいい。それとも、私が見た新聞で報道を控えただけなのか?
沖縄の集会関係者なども矛先を納めるようですが、問題を矮小化されてしまったようで後味が悪い。
事実関係などは、密室ではなく、公開の場ではっきりさせるべきです。
これを機に、沖縄戦の実体をきちんとまとめることも必要かと思います。
確かに、教科書を書いたのは文科省ではない。ただ意見を言っただけで、問題の表現を書いたのは教科書会社ですね。
官僚は謝らない(誤らない、わけはないのに)。
お帰りなさい。
上記の検証によると、参加人員は2万名に満たなかったようです。
歴史は史料の検証によって作られるべきものであって、集会や国会の決議によって作られるものではない。
そうですね。あの時は「軍人政治家は…」などと差別意識丸出しの発言が飛び交っていましたし。私も雰囲気に飲まれてちょっと平常じゃなかった。
お互い杉浦先生のこのブログに場を借りている身ですから、自重しましょう。
>国民主権の憲法は、お上から国民にくだされたものではないのですからね。
そうそう、GHQが認可して日本人に…とか軽口をたたくと、泥沼にはまりこむのでパス。(笑
ここからマジメ。私は、主権を持つ国民が憲法によって自らに義務を課していると考えているのですが、取りあえず書き直しますね。
「憲法では国民は「就学の義務」を負い、文科省がその受け皿としての公教育を管理している以上、そこで使う教科書内容に責任を負うのは当然」
こんなもんで。
>>日本国憲法なんか守らなくてもいいんだよ
>教えていいと思いますよ。
いや、ご存じの通り私は「一般人は日本国憲法を守らなくて良い」とする考えを否定しています。自衛隊も違憲と決まったわけではありませんしね。
ついでに言えば、別に学校で「日本は自衛隊を持ってもいいんだ!」などと授業をしたことはないですよ。子どもたちに考えさせる時は、両論併記がモットーです。
反日の丸君が代教師のように、子どもたちに政治的主張を一方的に刷込むような最低な真似はしたくもない。
>わかりませんか?不思議だなあ?
わかりませんね。
あなたの「義務教育で不登校になっても罰せられない」「働かなくても罰なし。でも、納税は、罰あり。」からは、「納税は罰則があるから積極的に義務を果たす」としか読みとれません。
またここを私物化しそうな勢いなので、憲法論議はここらで終了します。杉浦先生が「憲法と国民」などをテーマにしたエントリーを投入した時にやりましょう。
「国民に負わせ」と、とんでもない筋違いの文言があったので、こりゃあてっきり「少なくとも」と同じで「就学の義務」も取り違えているなと、思ってしまったのです。
ただ、本音は「就学させる義務」を「就学の義務」と言うのはおかしいと思っています。「学につかせる」という訳は、私の漢文力では不可能なのです。(たぶん私の漢文力のなさゆえでしょうm(_ _)m)
国民主権の憲法は、お上から国民にくだされたものではないのですからね。(どうも、取り違えている気がしたのです)でなかったら、改正に国民投票なんて不要でしょう?法律案に原則国民投票がなくて、憲法改正にあるということの違いからもわかるでしょう?
>日本国憲法なんか守らなくてもいいんだよ
教えていいと思いますよ。「黙れ!」と言論の自由を奪ってることなど日常茶飯事ですよ。ついでに「だから、私は憲法に違反する軍隊を持つことを認める主張をしても罰せられないのだよ」と言えばよろしい。あれ?でもあなた公務員ですよね。まずいね。
>納税の義務との違い
わかりませんか?不思議だなあ?勤労には職業選択の自由があることですしぃ、、、ただ、働けるのに働かない人は、生活保護を駄目という根拠になる程度かな~
>公教育を管理している以上、そこで使う教科書内容に責任を負うのは当然でしょう
憲法の範囲内でお願いしますね。また、公教育を理由に個人の自由権を侵害しないことも大事ですよね。
国民の義務は、「納税」「就学」「勤労」ですね。
「就学義務」のために、国は義務教育学校を整備している。
「勤労」の義務を課しているのだから、これも受け皿が必要ですね。仕事を探しているのに見つからない「失業者」には、国で仕事を用意するというのも必要ではないですか。賃金は最低賃金を支給する。障碍などで仕事が見つからない人にはそれなりの仕事を用意する。で、生活保護は原則廃止というのはいかがでしょう。もちろん、片親家庭などには対策は必要ですが。
「義務」に対する私の考えはご存じのはずですが。
>26条は、就学の義務ではありません。(略)親に義務付けただけのものです。
「第26条の2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
保護者へ就学義務を課し、受け皿として公教育を設ける。文科省はその管理をし、監督責任を負う。なにかおかしいところでも?
>国民が〈自分の〉国のために積極的に負う義務は納税だけです。
>働かなくても罰なし。でも、納税は、罰あり。義務の違いをおわかりいただけましたか?
就学義務には罰則があります。学校教育法90条91条。
「納税だけ」が「積極的に負う義務」である「違い」をご教授頂ければ幸いです。エントリーの主旨とは違ってきますが。
>あなた教員でしたよね?こんな基本的なこともご存じなかったのですか?
まさか「公務員でない一般人は、日本国憲法なんか守らなくてもいいんだよ!」なんて、子どもたちに教えられませんわな。
しかし、最近コメントの口調が荒れておられるようですが。体調でも崩しておられるのでしょうか? 人ごとながら心配しております。ご自愛下さい。
広辞苑を見たら「修学義務」がありました。「の」が入っていませんでしたが、意味が変わるとは思えません。
「就学義務」と言えば親の義務、というのは常識。これを別の意味にとらえたのはTOJCさんのほうで、「こんな基本的なこともご存じなかったのですか?」とは、勘違いの失礼な発言ではないですか?
たいていの不登校は親が登校を阻止しているわけではないから違反とはいえないですが、登校をうながすことがなければ、就学義務違反になりうるでしょう。
以前も書いたと思いますが、現憲法(帝国憲法は違います)は「国家が国民に」の図式のものではありません。国民主権の意味をご存知ないようですね?
だから、義務は国から負わされているわけではありません。国民が〈自分の〉国のために積極的に負う義務は納税だけです。
26条は、就学の義務ではありません。人みな教育を受ける権利がありますから、子供が、その権利の行使を妨げられないように親に義務付けただけのものです。だから、義務教育で不登校になっても罰せられないでしょう?常識ですよ。あなた教員でしたよね?こんな基本的なこともご存じなかったのですか?
勤労の義務も同じ。働かなくても罰なし。でも、納税は、罰あり。義務の違いをおわかりいただけましたか?
確かに初めてじゃないですよね。「近隣諸国条項」なんてマスコミの誤報に端を発した政治介入そのものですし。
>原則どおり粛々と問題を処理すれば済むんですね。ところがそのような対応ができなくなった。
沖縄は基地問題・経済問題などを抱えています。政府・国民にはそれらに対する贖罪意識があり、ガス抜き・社交辞令のつもりの発言が逆に過剰行動を呼び込んでしまった感があります。文科省としては時間を稼いで沈静化を図りたいところでしょうが、事ここにいたってはそうもいかないでしょう。
私は検定システムの改善を望んでいますが、辻元氏がいつもの調子だと、辻元氏の知名度がアップするだけで何も解決しないことになるのではと懸念しているものです。
>「検定意見を撤回せよ」という大会スローガンは、「政治による教育内容への介入」をやめよ、と求めているんです。
では、そういう行動をお取りになればよろしい。次回の教科書検定へ向けて、抗議行動・啓発活動を盛り上げていけばいいと思います。しかし結局は政府による教育内容への介入を要求している。「我々の意に添った政治介入はOK。しかし本質は見極めろ。」と言われても。(苦笑
>検定意見は文部省が介入した
憲法で「就学の義務」を国民に負わせ、文科省がその受け皿としての公教育を管理している以上、そこで使う教科書内容に責任を負うのは当然でしょう。それを「介入」と呼ぶか「管理責任」と呼ぶかは、人次第。
問題は、検定の時に「公正中立」「学術的」にされたかで、まずは担当者の方で、これを主張すべきです。学問的根拠を示して堂々と自説を主張し、それを元に議論をすればいいのです。
ところが、沖縄県民の動きを「政治圧力」のような扱いにし、政治的な動きにしてしまっている。
沖縄の方にとっては自決強要があったかは重大問題でしょうけれど、教科書が訂正されて「勝った」と矛先を納めたのでは、根本的な解決になりません。問題はこれだけではないし、社会科だけが問題なのではない。もうすぐ改訂がまとまろうとしている学習指導要領にも同様な問題があります。
審議会の委員が人ごとのような発言をしているようですが、無責任です。自分たちが審議して決めた以上、どういう根拠でそういう主張ができるかをきちんと納得できるように説明すべきです。
まったく、その通りです!!本質がわかっていない人って多いのですね。教員(教師)にもそんな人がいるなんて。。。
あ、なるほどね、と言いたいところですが、果たしてこれが初の前例でしょうか?
そこに私の深い懸念を感じています。これまで政府による非常に多くの施策がたくさんの審議会で決定されてきました。原則公開を謳いながら、実際は非公開という審議会は少なくありませんでした。政府の言う「公立中正」「学術的」を維持するために、審議委員に選ばれる人は、おおむね官許の人物だということからも懸念は深まるばかりなんです。
今回、県民大会の「圧力」で政府が動き始めました。これ自体が「政治による教育内容への介入」であるという見方も成り立ちます。政府の言うように「政治の介入」をすべて排除するならば、県民大会に何人集まろうと、淡々と法令(?)通りに黙殺すべきだとお思いになりませんか。ところが無視できなかった、そこで今回は検定制度に支障が起きない形をとって、教科書会社の申請に基づいて審議会をもう一度行なうと言う。審議会の趣旨を考えるとそれは矛盾です。一事不再理からもそんなことは許されませんし、一度決定したことは動かない、という原則を守るべきです(右翼系メディアは当然そう主張しています)。原則どおり粛々と問題を処理すれば済むんですね。ところがそのような対応ができなくなった。人数の多寡はともかく沖縄県民あげての集会が成立してしまったからなんです。その結果政府は事実動いているし、再度の審議会を予定している。これは明白に「政治による教育内容への介入」にほかなりません。
もう一つ大事なことは、「検定意見を撤回せよ」という大会スローガンは、「政治による教育内容への介入」をやめよ、と求めているんです。検定意見は文部省が介入した、という主張なんですね。これまで私が質疑と答弁を見た限りでは、文科省は全くその責任を取るつもりはないし、責任はなかったと言い逃れようとしています。今日(10月19日)行なわれる辻元清美さんの質疑に私が注目しているのは、責任逃れしようとする政府の逃亡をどう突破できるか、というところにポイントがあるんだと思っています。しくじっても次の機会はありますが、辻元さんののキャラクターから考えて、期待できると思っているんですよ。
ps. 私の文章の誤り「18日の衆議院安保委員会の質疑と答弁は要注目」で面食らった方々、ごめんなさい。19日です。
もともとは、政治的圧力での検定意見だったのでしょうけれど、「沖縄県民の怒り」の圧力で政治家が動き、検定意見がねじ曲げられた、という流れになってしまいそうです。これでは修正させた方が政治介入になってしまいます。事実はそんなことで決められるものではありません。
そうではなくて、検定の責任者がちゃんと顔を出し、歴史学の研究成果はこうである、根拠論文は○○学会のこれで、それによると事実はこうである、というような説明をしてもらい、それをもとに事実が何であったか議論し直しべきではないでしょうか。
審議したはずの委員が人ごとのような発言をしていたのでは話になりません。委員長を証人喚問するぐらいのことは必要ではないでしょうか。
詳しいご説明ありがとうございました。疑問が氷解しました。
テレビでチラ見しただけで「往復を無料とは何と豪気な」と思ったもので。
>バス経営者だって採算を無視して協力することはできません。
そこに全体主義の危険な臭いを。いや、半分妄想です。(笑
>>きちっと「軍の強制・誘導・命令」と書き込ませなければならない。
ここで言う「軍」とは何を指すのでしょう。ガマ内の一部下士官に限定し、明記するのなら良いのですが、士官以上からの強制・命令とも取られるような記述ならば、高校生の学びたい「真実の歴史」からは甚だしくかけ離れる結果となりますが。
>>文部科学省の責任を明確にすること。
文科省が審議会を盾にして責任逃れをしていることは明白。今後の検定過程公開に期待します。
ついでに「近隣諸国条項」もさっさと廃止して、文科省・審議会の責任の下に検定を行ってほしいものです。
それにしても、政治による教育内容への介入に前例を作るのはたいへん危険だと思うのですが。
正:「また、今回の『半額サービス』はバス協会による自発的申し出ではなく、仲里利信県民大会実行委員長の要請(2007年9月12日)て実施した経緯がありました。
http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2007/10/16-1389.html
集団自決をめぐる教科書検定問題は超党派の課題だ――10・15総決起集会集会と要請団との面談(辻元清美ブログ: つじともWEB。2007年10月16日)
== 部分引用開始 ==
今後、問題となることは3点あります。
一つ目は、記述内容を「軍の関与」などの言葉でごまかさないようにチェックすること。きちっと「軍の強制・誘導・命令」と書き込ませなければならない。
二つ目は、教科書会社からの修正申請で「なかったこと」にするのでなく、文部科学省の責任を明確にすること。
そして三つ目は、なぜ「安倍政権下」でこんなことが起こったのか、プロセスを明らかにすること。
== 部分引用終了 ==
んー。本文に「検定意見」の文言を使いながら、どうしてその文言が上の文章に出てこないのかな? いえ、使わなくとも同じだと理解はしています。言い換えれば「文部科学省の責任を明確にすること」、「なぜ『安倍政権』でこんなことが起こったのか」は、とりもなおさず検定意見を押し通したその問題点を追及する、と解すべきですが、事情を知っている人にしか伝わらない表現になっているのがちょっと残念でした。
とはいえ、18日の衆議院安保委員会の質疑と答弁は要注目。照屋寛徳さん、糸数慶子さん、山内トクシンさんなど永田町には沖縄出身の議員が揃っていますし、沖縄から167人の大要請団も押しかけたうえ、民主党代表の小沢一郎さんも「政府、文部科学省と戦う」、「政府は審議会を隠れ蓑にして責任を押し付けている。歴史の事実が検定によってねじ曲げられた。政府・文部科学省と戦っていきたい」と強い決意を明言していますので、私は辻元さんの奮戦を大いに期待しています。
◆気になっていたバス「無料券」について
>「えらく資金があるんだな~」と思っていたもので、「気持ちの救いになりますね。」と喜ぶ杉浦さんに比べて俺は何て心が汚れているんだとヘコんだものですから
何もヘコむことはございません。ちょっと考えるとわかるはずですが、実質五割引なんです。だってそうでしょ? タダになるのは往きだけで、帰りは近くの人を除きほとんどの人はバス代を払います。バスを出したのは産經新聞によれば沖縄県バス協会(会長・中山良邦・沖縄バス社長)。協会は業界団体なんでしょう、片道運賃が無料になったのは、会場周辺行きの路線がある琉球バス交通、沖縄バス、東陽バスの3社。普段のバス乗車人口と比べ、この日に限って四万数千人(産經推定)から十一万人(主催者発表)もの需要が生じるわけで、当日のバスは超満員だったということから臨時バス調達などに若干費用がかかったとしても、半額であれば十分採算はとれるはずです。バス経営者だって採算を無視して協力することはできません。沖縄はヤマトよりも深刻な不況をかかえていますから。
実はこのバス運賃片道無料は今回が初めてではありませんでした。米海兵隊員三名が12歳の少女を集団強姦した事件(1995年9月4日)で米軍が被疑者を警察に引き渡さなかったため開かれた「米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する沖縄県民総決起大会」(1995年10月21日。八万五千人)のときも片道無料でした。この大会でも今回同様に新聞広告掲載のバス乗車券は、コピー可だったため、読谷高校の生徒会などが大量にコピーして全校生徒に配布した逸話すらあるようです。また、今回の「半額サービス」はバス協会による自発的な主催者の仲里利信実行委員長の要請(2007年9月12日)があったからなんです。
いずれにせよバス会社に損害はなかったと思います。
(本音は)民主にも期待できないし。。。社民党の衰退がなんとも情けないですね。瞬間的な与党でほとんどすべてを失いましたね。総理も議長もすることはなかった。(涙)村山かあ。。。
そうではなくて、検定の経過が問題ではないでしょうか、いったい誰が、そういう検定基準を決めたのか。責任のなすりあいで、責任のありそうな人が人ごとのように言っていたりする。
自決の問題が大きく取り上げられていますが、同じような問題は、他の部分にも他の教科にもあります。根本的なしくみを変えなければ解決になりません。
総責任者のはずの文部大臣が、やめた後に教科書検定を人ごとのように批判していたことがありました。指導要領の作成をしていたはずの人が、人ごとのように指導要領批判をしています。指導要領を書いた人が教科書を書いて、検定に引っかかっています。無責任態勢になっているようです。
このようにお粗末な陰謀によって、官僚の好き勝手にされる教科書検定なら、法律がどう変わろうと、良い教育など期待できるはずがありません。
林博史さんの記事を、ブログに掲載してありますので、トラックバックしておきます。これを見た方は、おおいに転載してください。
真っ向から水を差したのが、産經の10月7日付け朝刊一面トップ記事「沖縄教科書抗議集会 参加者『11万人』独り歩き 主催者発表にモノ言えず」でした。これが政府にとって大きな助け舟となったようです。一面トップの広告・コラムを除く紙面の半分以上を、この記事で埋め、この日の朝刊各紙にくらべ異彩を放っていました。私がそれに気付いたのは同日未明ごろかな、2ちゃんねるやブログで、「1平方メートル当たり4人」が頻出、これは一体なんだろうとリンク先記事を読んで納得。
かなり長い記事なので翌朝図書館で現物を見に行き、破格な扱いに二度びっくりしてしまいました。しかも執筆した記者の署名まであります。なるほどね、世論の火消し方法にはこんなやり方もあるのかぁ。けれどその内容はお粗末。見出しは扇情的ですが、本文には県民大会主催者側の人数の計算方法もそれなりに載せたうえで、打ち消すような記述をこれでもかと並べ、最後の殺し文句は「戦前の大政翼賛会と同じだ」。
宜野湾海浜公園とその周辺地図も掲載され、会場となった同公園の多目的広場は公園全体の約五分の一程度の広さ。地図の下に「開きスペース」があることを示す上空からの写真も載せていますが、この航空写真は何時に撮ったのでしょうね、キャプションは「9月29日午後」としか書いていません。午後1時(大会2時間前)、午後2時、午後3時、午後4時、と時間によって込み具合は変化するはずですよね。東京ドームとの比較で、本文記事では「東京ドームのグラウンド部分」としながら、地図上では「東京ドームの大きさ」と表現を微妙に変え、誤読を誘導する初歩的な詐術的レトリックまで用いた記事になっています。
ブログなどが県民大会を報告する写真を見ると、肩と肩をくっつけあってぎっしり詰めて座る姿もかなりあり、「1平方メートル当たり4人」以上の部分も相当あるように見えました・・・が、実は問題はそんなところにはないのでしょう。
参加人数が「四万数千人だった」との報道について聞かれた渡海文相の返答は、見事なものでした。「人数は重要だが、今回の大会は県民の代表たる知事が出席し、各界、各層、各党派の皆さんが参加している点が非常に大きい。そのこと(人数の多寡)で私自身の考えが大きく変わるとは考えていない」(沖縄タイムス、他紙に見当たらないので下にリンクをつけておきます)。
産經はもっぱら中央での世論の沈静化を狙った。沖縄タイムスが後追い報道をしたものの、他紙は無視したと、こういうことになるのでしょうか。人数の多寡よりも層をなす参加者の実質を重視した渡海文相の見識は評価すべきでしょう。また、非公開となっている審議会の一部公開を示唆した(「透明性を上げる必要がある」「非公開の理由をちゃんと説明して、それ以外は公開で行うことが疑義を生じない上で大事だ」)ことや、今日の衆議院予算委員会では日本共産党の赤嶺政賢さんの質問に対し、「審議会のあり方を見直したい」ことにまで言及する対応には少々驚かされました。
共産党の赤嶺さんは予算委員会に新聞を持参して質問していました。琉球新報の記事で、文科省調査官が審議会に介入していた事実を報道。審議会の日本史小委員会委員を務める筑波大学教授・波多野澄雄の発言「『集団自決』について『議論はなかった』」とする明言をとりあげていますから、審議会を見直すための大きな理由になります(これも下にリンクをつけておきます)。渡海さんの審議会見直し発言は、先に挙げた沖縄タイムスの記事やこの記事を意識して、「審議会は専門的、学術的立場から中立公平に審議するもの」と答弁してきた対応を見直そうとしていると見ることができます。
担当大臣ですから、こちら側は大臣の発言を掛け値なしに受け取るほど甘い対応をするわけには参りません。単なる時間稼ぎの可能性もありますから、眉に唾をつけて聞いておく必要があります。とはいえ、敵ながら天晴れな発言と受け止めるか、巧妙な火消しなのか、を見極めるためにも、今後の言動をしっかり見つめる必要があるでしょう。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200710091700_01.html
検定審議一部公開を検討/教科書で文科相(沖縄タイムス2007年10月9日夕刊一面)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27964-storytopic-1.html
文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議(琉球新報2007年10月10日。署名・与那嶺路代つき)
1 会場警備の警察によれば、「会場の広さや空きスペースから考えて2万から3万の間だろう
2 労組や自治会を使い、果ては県外から組織的動員。決して、県民の自発的参加の成果ではなかった。
3 会上には琉球独立派、革マル、中核派の姿も。
4 知事は、挨拶だけでそそくさと退散。決して、積極的に関与していたのではなく、自分の政治的立場を守るためのパフォーマンスに過ぎなかった。
まあ、後は読んで判断してください。結局、マスコミや左翼団体による扇情大会だったわけです。これが、沖縄県民の総意だと思ったら、大間違いになります。
今や、米軍基地問題は沖縄最大の利権です。反基地運動が高まれば高まるほど、本土から落ちる金は増える。11万人集会の正体は、沖縄版「整備新幹線早期着工県民総決起集会」なのです。
平和な今なら簡単にそう言えます。だから「民間人は降伏したかったはずなのに、日本軍に自決を強制された!」とかの考えが出てくる。
しかし、当時はそうではなかった。第二次大戦末期では沖縄ならずとも、「降伏して辱めを受けるよりは自決」の雰囲気が漂っていたのは間違いないでしょう。少なくとも表向きは。
>住民にとって、相手国の情報は軍隊からもたらされるものに頼るしかない。
新聞・ラジオの情報があったでしょうが、何故マスコミは独自の情報を流さなかったのでしょうか?
軍の圧力によって自由な報道が出来なかったからではありません。
ほとんどすべての新聞社は日露戦争からこの方、自社の利益向上のため戦意高揚記事を書き続けました。中国大陸で戦線が拡大したのもマスコミが世論を煽ったためですし。
マスコミが世論を煽り、軍を煽り、停戦・平和に努力する政府を「弱腰」と攻撃し、気が付けば世間はすっかり「一億玉砕」に染め上げられていたわけです。
>少しでも住民の犠牲を少なくする努力をするのが軍人の仕事ではないでしょうか。
仰るとおりですが、それは軍上層部の仕事。命令拝領が第一の下士官の仕事ではありません。軍人と言えども、孤立したガマの中では何をしたらいいのかわからない、ただのオッちゃんです。冷静な判断をし、リーダーシップが取れるかどうかは個人の資質にかかっていたでしょう。
>「死ぬよりひどい目にあうぞ」と言えば脅しになる。さて、どうだったのか。
そう言ったのは、日本軍なのか、世間なのか。さて、どっちだと思われますか。
そんな国の軍隊に降伏しても安全とは言えなかったでしょうが、助かる可能性も少なくはなかったのではないですか?
住民にとって、相手国の情報は軍隊からもたらされるものに頼るしかない。降伏するとどうなるか、というのは言われたまま信じてしまうでしょう。
勝ち目がないとなれば、相手と交渉するなりして、少しでも住民の犠牲を少なくする努力をするのが軍人の仕事ではないでしょうか。
自殺を強要したかどうかですが、銃を向けて「殺すぞ」と脅しても意味はないですね。「死ぬよりひどい目にあうぞ」と言えば脅しになる。さて、どうだったのか。
なぜ、自決されたのか?
日本軍の兵隊さんが、強制したから?
ならば、両手を上げ、降伏した人達は、助かったの?
その無垢の民がいる沖縄に無差別艦砲射撃をしたのは誰?
その沖縄を守る為に、鹿児島から飛び立った飛行機は・・・
もう少し、冷静に、多面的に検討した記述があった方が良いと考えます。
それにしても、悪の日本軍を主張する方って、不思議と米軍の行為を批判しない・・・。戦争の記述なんだから、どちらも書いた上で、今後このような戦争は止めようと主張する方が説得力があると思うのですが。
鉄甲機さん、タダバスの新聞実物を捜していただきありがとうございます。こういうものだったのですね。
TTさん、
「宜野湾市内にある会場を何度か訪ねていますが、会場の面積は約2万5000平方メートル、つまり160メートル四方に過ぎません。当日の航空写真を見ると空きスペースもあり、どう数えれば11万人にもなるのでしょう」という記事のご紹介、ありがとうございます。
主催者発表11万人を否定するのに、会場面積を指摘してその数の矛盾をつく視点は、裁判でも使えます。
>杉浦さま
私が間違っていたようです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062247005-n3.htm
>県バス協会は会場まで行く運賃を片道無料にすることを決定。地元紙に無料乗車券が掲載された。
>日系人が呼びかけて、おとなしくガマから出てきて助かった、というのがありました。
日本軍兵士がたまたまアメリカ留学の経験があり英会話が出来たので、彼を先頭にして降伏して助かったという事例もあるそうです。
死に直面した絶望感の中で「美しい玉砕」「潔い自決」という熱病に冒され、集団心理で抑えが効かなかったというのが私の考えです。「日本軍が強制した」という言い方は誤解を招き、「日本軍兵士が強制した」と言うのも沖縄戦のごくごく一面でしかありません。教科書ならば、もっと深く考えさせる記述が必要でしょう。
>軍隊の役割
「国民を守る義務を持つ国家を守る」だと思います。一人ひとり全ての国民を守ることは出来ない。
沖縄はもう普通の状態ではなかったというのが正解だと思います。
・沖縄は米軍上陸まで戦禍を被ることがほとんど無く、切迫感が少なかった。その、ある意味平和な状態の中で民間にも「戦陣訓」思想が鼓舞され、純粋に信じられるようになった。特に沖縄では本土からの差別意識もあって、より熱心に皇国民たろうとした。
・サイパン集団自決を「玉砕」とする美化報道。
・泉県知事と軍部との確執により、住民疎開が甚だしく遅れた。また「軍隊と一緒なら安全」と信じ込んだ多くの民間人が軍の指示に背き、軍と行動をともにした。
・米軍の猛攻により日本軍連絡系統が粉砕。孤立行動を余儀なくさせられる。
・中国大陸では民間人の服装をしたゲリラ活動が活発で、捕虜としたゲリラを日本軍は処刑していた。おそらくその中には無実の民間人もいた。また国府軍・共産党軍も日本軍捕虜・民間人を処刑していた。その情報は沖縄の人にも入っていた。
・ガマの中に火炎放射をする米軍の姿などを見ると「鬼畜米英」が補強され、降伏すれば殺されないという確信が持てなかった。
<「リンドバーグ日記」>(日本の反論」米田健三著 より引用)
「日本兵士殺害に関する将軍の話----実戦参加経験がないまま帰国する軍曹が、せめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。
偵察隊に捕らえられた一人の日本兵捕虜が軍曹の前に引き立てられた。軍曹は言った。
『俺にはこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』
『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』
偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。
このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた」(六月二一日)
「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』
と将校の一人が答えた。
『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
『(原文伏字)では二〇〇〇人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった一〇〇人か二〇〇人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう』
『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』
と、別の将校が調子を合わせる」(六月二十六日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ。飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかだから」(七月二一日)
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」(七月二一日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」(七月二四日)
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米軍の捕虜虐待なんて、最近でも何度も取り上げられているのに、WW2の時の日本相手ではありえないなんて信じている人の頭はどうかしている。
これもGHQによる愚民化政策の賜ですね。
WW2では、米軍は、日本人捕虜を、米軍が不当な尋問や拷問から保護し、良好な給養(食事)や収容施設を保証しなければならないPOW(Prisoner of War=戦争捕虜)として取り扱うのではなく、日本軍指揮官が軍紀、及び給養の責任を負うものとし、JSP(Japanese Surrendered Personnel=降伏日本軍人)と命名した。むろんジュネーブ条約違反です。
これにより、日本人捕虜は、不当な尋問や拷問にさらされながら、自分たちで捕虜収容所を建て、畑を耕し て飢えをしのがなければならない事態に追い込まれたんです。
中には、人も住まない孤島に島流し同然に放置され、食糧も ないまま1千人余が餓死したケースなどもありました。
このような米軍による日本人捕虜への残虐行為は、沖縄のように、本土に近づくに従って、占領統治への影響を考慮して、影を潜めていきました。(中、ソはその限りにあらず)
あなたは、HIVキャリアの方とエイズ患者の方を同一視しているのですよ。
>免疫機能がどうやって外部を攻撃するのですか?
という質問の答えになってないことがわかりませんか? 無理もないかな?と思えないでもないですね。以前ハンドルネームの件で、杉浦先生に「やんわり」批判された(ご遠慮くださいと私はとりましたよ)のに相変わらず持論の展開ですものね。。。
所詮、軍隊を免疫にたとえることに無理があるだけのことです。なんとか、防衛のみの軍隊が存在することを主張したいのでしょうが、、、、無理!
>ないものねだりは止めようということです
余計変ですよ。。。
「戦時下で国民を守るのは?」という質問に対し「警察」です、ならわかります。しかし「軍隊が『必ずしも』国民を守るものではない」に対し、「国民を守るのは警察です」はおかしいと言ってるのです。「そうです。軍隊は国民を必要に応じて殺すことさえあります」とか、「軍隊が守るものは国体ですから、国民を犠牲にしても仕方ありません」とか、「軍隊は、国民のために戦っているので、国民に危害を加えることは絶対にありません」とかが、答になるべきではないでしょうか?
>軍の任務ではなかった
あなたの論理に少し付き合います。
軍の任務ではないので、国民に危害を加えてもよいととれますよ。「国民を守る」積極的な存在は警察だったでしょう。しかし、軍隊にも積極的でなくても「国民を守る」務めがあるのではないですか?
ごめんなさいm(_ _)m 20行ルールを逸脱してます。
まあ、最高責任者として、文部科学大臣とか首相とかになるでしょうが、実際に検定基準を決めた現場責任者が出てきて説明しないと話にならないような気がするのですが、、、。
テレビドラマですが、日系人が呼びかけて、おとなしくガマから出てきて助かった、というのがありました。それがまともかと思いますが、そうではなかったという事実はあったのでしょうか?
ところで、軍隊の役割は、国民を守ることかと思っていましたが、違いますか?
でも「降伏すれば、、、」は、「降伏した人たちは、、、」が普通でしょう。文意が通じなかったではありません。
悪用する者(国)があるということです。だから、侵略に備える免疫も必要なのです。
この世の中は、善人だけでできているのではなく、悪人・下衆も限りなく存在する。いわんや、国際社会では、他国は腹黒いと疑ってかかって当然のところです。日本国憲法があてにする「平和を愛する諸国民の公正と信義」は、実は存在しないのです。
>HIV患者の免疫に対する認識は違ってますよ。
免疫不全の人間は、軍事力のない国家と同じです。免疫がないと、他国からの僅かな侵略にも、抵抗することができずに死に到ります。つまり、降服です。
>「『必ずしも』国民を守るものではない」に対して、「国民を守るのは、警察です」という論理のおかしさ
おかしくありません。ないものねだりは止めようということです。
>でも「ならば、両手を上げて降伏すれば、助かったの?」は、歴史上の事実をタラ、レバの話にしてますよ。
タラレバというより、実際に両手を挙げて出て行った人達はどうなったのかというのを問いたい文章だったのですが、私は、まともじゃないので文意が通じなかったようですね。
こう書かれていれば、まともですね。でも「ならば、両手を上げて降伏すれば、助かったの?」は、歴史上の事実をタラ、レバの話にしてますよ。
免疫機能がどうやって外部を攻撃するのですか?それとも、自己を他者の攻撃から守るだけなら、侵略戦争は起こらない。ならば、侵略に備える免疫は不要では? 言わずもがなですが、HIV患者の免疫に対する認識は違ってますよ。
>それは警察の仕事である
「『必ずしも』国民を守るものではない」に対して、「国民を守るのは、警察です」という論理のおかしさにあなたほど論理的な人が気がつかないのですか?
問題は、集団自決について、軍が命令した事実があったかいなかです。なかったと分ったのだから、教科書から消して悪いことは何もない。その点を「命令が問題なのではなくて、関与があった」と話をすり替えている。問題は、命令の存否。それだけ。
>「軍隊が必ずしも国民を守るものではない」ということだと思います。
戦争や事変で、自国民を守るのは、警察・内務省の任務であって、軍の任務ではなかった。例えば、放火現場に到着した消防に対して「なぜ、放火犯を捕まえないんだ?」と問うのと同じナンセンス。それは警察の仕事である。
なお、軍隊は国家という存在の免疫機能である。免疫は時にリューマチやアトピーという形で人体を攻撃する。また、病原菌が人体に入れば、これを撃退するために発熱させ、人体を苦しめる。しかし、免疫がなければ生命は生きていけない。免疫のない人体は、HIV患者と同じである。
日本軍の関与云々という記述が有った場合に、その時に起きていた事項も、バランス良く書いた方が良いし、もう少し広い視野で考えた方が良いと考えたのですが、やっぱり、これも話題そらしなんでしょうか?
(喧嘩を売ってるのではなく、素朴な疑問。荒れそうならスルー可)
そうでもないようです。
なにせ。主催者発表ですから。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071003/edc0710030254001-n1.htm
160メートル四方しかないところに11万人って・・・。
主催者は、参加学生に「醜くとも真実を知りたい」ってしゃべらせてましたが、この学生は、目の前の状況と、報道内容とのギャップに対して、今頃どう思っているのやら。
学術研究の成果に対して、県民が納得しないから変更せよ、というのは、朝鮮人と同じレベルです。
以下、朝鮮人の歴史認識に関する引用
関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。
古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥
古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。
古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁)
このような、実証のない民族感情を満足させるためだけの「正しい歴史」に終始する学問を、朝鮮人は「民族史学」と自称しています。
今回の沖縄での騒乱も朝鮮人の目には違和感なく映るようです。
沖縄って民度が低いですね。
おまけに、悪名高き近隣諸国条項にならって沖縄条項を創設せよとは・・・。
#ミンス党が沖縄を特亜に売り渡すと公約するのもむべなるかな!?
追いつめられて孤立し、米軍の嵐のような砲火にさらされたガマの中で、極限状態に陥った兵が民間人を殺傷したこともあったでしょうし、「俺とともに死んでくれ」と自決を強要したこともあったでしょう。逆に民間人から「こんな苦しい思いをするくらいなら」と言い出したこともあったかもしれない。自決用の手榴弾にしても「ガマの中で日本兵から渡された」と言う人もいれば、「事前に村長から渡された」と言う人もいます。日本兵含めて全員投降して生き残ったガマもある。これらの様々な状況をひっくるめて「日本軍が強制した」とまとめるのは、余りにも恣意的であり乱暴なのではないでしょうか。
沖縄戦を「真実に近い単純なこと」で表現するのなら、「(集団自決に)追い込まれた」が一番真実に近いと思います。集団自決に至るまで、沖縄の歴史的地勢的特殊性・軍の方針と県知事との対立・本土からの兵と県民との意識の乖離・予想を遙かに越える米軍の猛攻などなど、沖縄の方々はまさに追い込まれたわけですから。そしてそこから学ぶべき事は決して「悪の日本軍」ではなく、兵だけでなく民間人まで蝕む戦争の狂気、非道さ、むなしさであるはずです。
>バスがタダという話
いえいえ。私は「会場までのシャトルバスが出た」というのをニュースで聞いて、「えらく資金があるんだな~」と思っていたもので、「気持ちの救いになりますね。」と喜ぶ杉浦さんに比べて俺は何て心が汚れているんだとヘコんだものですから。(笑
いったい、これまでの研究で明らかになっている歴史事実(定説)は何なのか。検定の根拠は何なのか、検定は間違っていたのか、検定の責任は誰なのか、そのあたりをはっきりさせるべきでしょう。
検定が正しかったというのなら、事実は多数決で決まるわけではないのだから、いくら大騒ぎになろうと変える必要はない、根拠をはっきり示して説明すべきでしょう。責任者が出てきて、発言すべきです。
間違っていたというのなら、どういう過程で間違いが生じたのかをはっきりさせ、やはり責任者が記者会見をするなりして、なぜそれが正しいと判断したのか、なぜ間違っていたと気がついたのかと明らかにすべきです。沖縄で騒いでいたから間違いでした、なんてのは理由にならない。
どうも、責任があいまいなまま終わってしまいそうが気がします。
日本軍の兵隊さんが、強制したから?
ならば、両手を上げて降伏すれば、助かったの?
その無垢の民がいる沖縄に無差別艦砲射撃をしたのは誰?
その沖縄を守る為に、鹿児島から飛び立った飛行機は・・・
もう少し、冷静に、多面的に見た方が良いかと思います。
蛇足:11万人ですか・・・沖縄の人も大変だったでしょうね。私の地元も8・6になるとわけのわからん人達がたくさん来てますから。
ただ、参加するときの「足」まで考えることは、仮に支援側が行ったこととしても、あっぱれだと思います(ある党が、選挙に病院からストレッチャーで送迎するというあっぱれ(?)も噂で聞いたことがありますが)。
日本軍が強制した、と入れない場合に沖縄民の特殊性とか、天皇への忠誠とか、もっとおかしなことになったりはしないでしょうか。ことに真実に近い単純なことをまず伝えることも重要かと思います。
単に主催者或は後援(応援?)している新聞社がチャーターしただけではないかと思う私は、商業主義に毒されすぎでしょうか。
報道を見る限り検定撤回派の方々は、関与・強制・命令、この三つを意図的に混同しておられるようですね。
>「集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことを伝えるのは我々の責務」
沖縄戦の集団自決を学習するに当たって、日本軍の関与を否定するような無能な教師がいるとお考えなのでしょうか。だいたい教科書のたった数行で、「日本軍が自決を強制した」と入れるだけで、すべてを理解できるほど沖縄戦は単純なものだったのでしょうか。
「悪の日本軍」というレッテルを貼ることは、戦争の非情さを見損なわせ、悲惨な沖縄戦の実情やその悲劇を招いた背景を見誤らせる可能性が高いと思うのですが。
そこはそれ、一般庶民の「気持ち」と、政治家とりわけ大臣の「気持ち」はまったく位相が異なる、ということなんでしょう。「集団自決」削除の是非で、どちらが是でどちらが非かということを明言すれば、その発言に自分が拘束されてしまうからです。ですから町村さんの発言の真意を試みに解釈してみるならば、そんなに大勢の集会になるとは思わず、「困った・・・(気が進まないけれども)無視するわけにはいかなくなった」、という感じになるんでしょうか。
問題の根幹には教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会と、その審議制度の運用にあります。ところが実際には何の審議も行なわれず、文部科学省の調査意見を追認したにすぎなかったことが9月12日の時点で発覚しています。沖縄戦の専門家がいなかったため、議論にならないから話し合いもなかったのは「歯痒い思いだ」と語った委員すらいるんです(下記沖縄タイムス記事参照)。審議会を政府が恣意的な運用をした疑いは濃厚です。沖縄の人々の怒りはここにあると思います。ヤマト(本土)のマスコミはこのような報道をしませんから、どうして沖縄はそんなに怒っているんだ、と思う人がいても不思議ではありません。
政治家が審議会に介入できないなどと言いながら、結局は政府・文部省主導で答申を出させた責任については頬かむり。町村さんも文部科学相・渡海紀三朗さんも「(中立で)公正な手続きに基づいている」と言い募り、渡海さんもまた「沖縄県民の気持ちに何ができるか、いろいろと考えたい」と述べています。自分や政府には責任がないという姿勢を通したい、というわけです。
審議会の結論は尊重しなければ、制度上の欠陥が問題になってしまいますから、審議委員に対して面子が立たない。ですから審議会にも責任はない、ということにしたいのでしょう。政府が審議会の結論を動かすのではそもそも審議会とは何だったのか、というジレンマに立たされてしまう。まさに「困ったちゃん」状態になっているわけですね。というわけで出てきた「気持ち」という表現、その実体には何の中身もない空疎な言い逃れに過ぎません。
ですが、何もしなければ沖縄県民の怒りの火に油を注ぐことになります。そんなわけで官房長官も文相も鎮火へと動かざるを得ないし、事実、動き始めた。それこそ政治家の介入になるじゃないか、と言われるジレンマも自覚しているはずです。政府は自らが構築したシステムのどの部分にも、なるべく傷を与えない方策を考え出すのに腐心しています、また大阪地裁の岩波訴訟にも影響がでない方法も。本音はそこにあります。どこかに傷ができたら、その部分は絶好の攻撃対象にされてしまうでしょうから。
沖縄タイムスを資料に、同社の協力を得られれば、今国会で政府を徹底追及する価値は大いにあると思います。一般に、分野に限らず「審議会」ほど胡散臭い会合はない、と信じて疑いません。その圧倒的多数は御用学者ではありませんか。ね、そうでしょ?
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070916.html#no_1
[「集団自決」軍命削除] 文科省の意図が見える(沖縄タイムス社説2007年9月16日)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709121300_01.html
検定 審議実態なし/小委、文科省意見を追認 「集団自決」軍命削除/沖縄戦研究者は不在(沖縄タイムス2007年9月12日)
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200706231300_01.html
文科省「関与」鮮明に 修正前提の審査求める 「集団自決」検定(沖縄タイムス同6月23日)
事実経過:
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200603301300_02.html
「沖縄戦の記述減/高校教科書」後半: 消えた「軍の残虐行為」/「自決強要」も自主削除(沖縄タイムス2006年3月30日)
http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu.html
沖縄タイムス:沖縄戦「集団自決」問題特集一覧(総集編)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/tosho/meibo/06022718.htm
教科用図書検定調査審議会委員名簿・臨時委員名簿(2006年3月1日~3月31日)