杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・悟浄歎異 -沙門悟浄の手記-

2009-05-03 00:57:43 | 趣味
中島敦の作品で、「山月記」以外のものを読まないといけない、という子どもの宿題の話を聞いて、虎になる以外にどんな作品があるのかな、と勝手にネットで検索していて見つけたのが、「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」。

誰でも知っている西遊記の中で三蔵法師のお供の沙悟浄が、一行のことについて書いた、という形式をとっている短編。
このなかでの、孫悟空についての描写は、なるほどと思わされ、子どものころにも、大人になっても私(たち?)が飽きることなく孫悟空に夢とロマンを感じる理由がよく分かるのです。
以下、その抜粋です。

「悟空(ごくう)は確かに天才だ。これは疑いない。それははじめてこの猿(さる)を見た瞬間にすぐ感じ取られたことである。初め、赭顔(あからがお)・鬚面(ひげづら)のその容貌(ようぼう)を醜いと感じた俺(おれ)も、次の瞬間には、彼の内から溢(あふ)れ出るものに圧倒されて、容貌のことなど、すっかり忘れてしまった。今では、ときにこの猿の容貌を美しい(とは言えぬまでも少なくともりっぱだ)とさえ感じるくらいだ。

その面魂(つらだましい)にもその言葉つきにも、悟空が自己に対して抱いている信頼が、生き生きと溢(あふ)れている。この男は嘘(うそ)のつけない男だ。誰に対してよりも、まず自分に対して。この男の中には常に火が燃えている。豊かな、激しい火が。その火はすぐにかたわらにいる者に移る。彼の言葉を聞いているうちに、自然にこちらも彼の信ずるとおりに信じないではいられなくなってくる。
彼のかたわらにいるだけで、こちらまでが何か豊かな自信に充(み)ちてくる。彼は火種(ひだね)。世界は彼のために用意された薪(たきぎ)。世界は彼によって燃されるために在る。

 我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動を促(うなが)す機縁だったりする。もともと意味を有(も)った外(そと)の世界が彼の注意を惹(ひ)くというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界に空(むな)しく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてを温(あたた)め、(ときに焦(こ)がす惧(おそ)れもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、渠(かれ)・悟空(ごくう)の眼にとって平凡陳腐(ちんぷ)なものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息(ためいき)をついて、讃嘆(さんたん)するのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼を瞠(みは)るのも、この男である。
(青空文庫から抜粋)

中島敦という夭折の作家は、河童(沙悟浄はかっぱではなかったでしたっけ?)にもなるのか、とGWのひととき楽しみました。

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1 コメント

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Unknown (鉄甲機)
2009-05-03 23:02:28
 沙悟浄=河童というのは日本だけでの解釈です。河童自体、日本の妖怪ですし。

 原作では沙悟浄は元天上界の役人、捲廉大将だったのが仕事でミスしたので、罰として下界の水妖(ここが日本で河童と解釈された所以)に落とされたのです。
 孫悟空や猪八戒ほどキャラが立ってないので、西遊記を映画や小説にするときはいろいろ思い切った解釈で描かれることが多いようですね。
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