杉浦 ひとみの瞳

弁護士杉浦ひとみの視点から、出会った人やできごとについて、感じたままに。

・映画案内 ~ 「無言歌」試写から

2011-10-02 18:56:41 | 趣味
1949年の毛沢東の革命後、1956年毛沢東は自由な批判を歓迎すると言った。
人々は未来を思い、はつらつと発言をしたものだ。
しかし、その数ヶ月後、彼らを弾圧する「反右派闘争」が始まった。
彼らは、「右派」とされ、中国の甘粛省(西部ゴビ砂漠)の収容所、労働教育農場経送られた。
労働によって、思想を改造する労働改造を命じられるのだが、
そこでは農場とは名ばかりの収容所だった。

彼らは、壕といわれる昼間も暗い土膚がむき出しの穴倉に、運んできた自前の布団を敷いて生活をする。
食事は水ばかりのようなおかゆを小さな洗面器のようなホウロウの器によそられて食べる。
労働は、荒野の開墾だが、労働はきつく、食事も満足でなく死者が増える。
隣に寝ていた者がなくなれば布団ごと荒縄で巻き上げて、荒野に捨てに行く。

皆飢えて、わずかな植物の種や、たまにいる野ネズミをたべ、
なにかにあたったのか嘔吐した他人の吐瀉物の中の実さえ拾ってむさぼる。

見ているだけで救いのない、陰鬱な映像。


この映画を見て、これは見たことがある光景だと感じたのは
アウシュビッツの強制収容所の被収容者であって帰還したプリーモ・レーヴィがその著書「アウシュビッツは終わらない」(朝日選書)
の中に書き記した光景を、文字で想像していたことと、この映画の光景まったく同じだったから。

この本を読むことになったのは、慰安婦事件で被害者だった彼女たちが置かれた状況を裁判所に知らせたかったからだった。

当時の彼女たちの痩身状態を見ることはできないが,
たとえばナチの強制収容所の中での食餌生活については証言があり,その痩身状態の写真はある。
強制収容所での生活について、至るところで食餌のことが書かれていた。

「腹が減っているが明日はいつスープを配るのか」
「5分後にパンの配給がある・・・その神聖な小さな灰色の固まりは,隣人のものは巨大に,自分ものは涙が出るほど小さく見える」
「暖かいごった煮にで早く腹をふくらませたいと,獣ののようにいらだっているくせに,先頭につきたいと思うものは誰もいない。最初のものに一番水っぽいスープがあたるからだ。」

強制収容所では,このような栄養不良の状態で餓死する被収容者があるのだが,その映像は「夜と霧」(V.Eフランクル みすず書房)
の中にある。
「無言歌」は収容者が厚い衣類(汚れて綿のはみ出した)を着ているから、痩身は分からなかったが
最後に、衣類さえもはぎ盗られたやせ細った骸が運ばれていくシーンがある。
それも符合していた。


「慰安婦」だった女性は、戦後夫にまみえたが、何らかの理由で夫は西の方へ連れて行かれて帰ってこなかった。
この映画のような収容者となっていたのかも知れない。
妻が日本軍のスパイだったという理由で、この映画のような運命を辿ったことはあり得たかも知れない。

「無言歌」では、医師の妻が、同じく医師であった夫を訪ねて上海からこの労働農場を尋ねてきた。
夫は既に、なくなっており、妻は身体の底から絞り出すような声で号泣した。
「慰安婦」だった彼女は、尋ねていく知識も経済力もなく夫と生き別れ、自分は運が悪いと嘆くことしかできなかった。


とにかく、重い映画だが、強制収容所も、労働改造も、想像では分からない世界を
目の当たりに見せてくれる。
12月17日ロードショー


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