今回の選挙の機会に、働く現場のかたたちと
大勢お目にかかったのですが、その中で青年部
といわれる若い方たちが熱心に憲法問題や平和
の問題について取り組んでいるのに出会いました。
今日(26日(日))は、鉄道関係の仕事をしている20代の青年10数名と、東京大空襲・戦災被害資料センター(館長:早乙女勝元 江東区北砂1-5-4)を訪ねました。日曜だったこともあり、団体での見学者や個人での見学者も何人もいらしていました。
私たち一団は、まずビデオで、館長早乙女勝元さんのお話とこの空襲を再現した映画「戦争と青春(工藤夕貴主演)」* の一部を見ました。雨のように焼夷弾が落とされ、家々はあっという間に燃え上がり、炎に包まれながら人々が逃げまどう姿は、ありきたった表現ですが、この世の地獄のようでした。
そのあと、戦争の時の資料(焼夷弾や防空ずきん、疎開地からの子どもと親との書簡、学校で書いた習字と思われる「神風」の文字など)を見ました。ある青年が感想で「神風という言葉が使われていたことは知っていたが、学校でそれを習字で書かせて朱で○がつけられていたことに、その当時の教育の恐ろしさを感じました。」
と話すのを聞き、若者が習字を見てそのような感じ方ができることをすごくうれしく思いました。
そのあとで、現在私が代理人をしている東京大空襲裁判の内容(国を被告にし、損害賠償と謝罪を求めていること。国が戦争をやめる時期は終戦より前にあったのに放置したことや、戦後の軍属と非軍属の扱いの著しい違いに)について説明し、この裁判の意義についても伝えました。
国が戦争被害についてどのような態度をとっているかを話すときに、これまでやってきた中国の従軍慰安婦の事件について触れたのですが、いわゆる「従軍慰安婦」を知らない人が8割以上だったことから、教育の中で戦争の被害について、あまり教えられていないことがよく分かりました。
空襲の被害者のかたに書いてもらった陳述書(体験を書いたもの)も1,2見てもらいました。空襲後、天皇の巡幸のために、通りをきれいにしなくてはならず、死体を腐った魚をトラックに積み込むようにシャベルで積み込んだ、ということなどにもショックを受けたようでした。
また、今現在も、日本が戦争に巻き込まれそうな危険な事態にが起こっている、とここ一連の佐藤発言についての動きを話しました。そして、たまたま同日のサンデーモーニングでそれを取り上げて10分程度のまとまった報道になっていたので、それを録画していって見てもらいました。
青年たちの感想は、「こんな被害があったとは知らなかった」「高校まででは習わなかった」「子どもたちが戦争の被害に晒されることはかわいそう」「戦争を繰り返してはいけないと思う」「自分の家族が亡くなったりしたら、自殺してしまうかも知れない」など、これまで知らなかった戦争について驚いていました。
9条の問題、憲法問題について自分のこととして学んでいかなければならないという言葉も何人からも聞かれました。
話を聞いているときには、一見反応のない若者たちが、感想を求めると実はとても真剣に自分の心に照らして考えていることが分かりました。
彼らが、その思いをどうやって外に向けていってくれるかが、とても大切な問題だと思いました。
* 映画「戦争と青春」 (法学館憲法研究所のWebより)
太平洋戦争の最中、咲子の恋人である教師・風見にも召集令状が届いた。風見は徴兵を拒否し逃亡していたが、非業の死を遂げることになった。1945年3月の東京大空襲の時、咲子は風見と産んだ幼子を連れて逃げたが、幼子と離れ離れになってしまった。
咲子の姪にあたるゆかりは高校の課題で家族の戦争体験を聞くことになったが、咲子の弟=父・勇太はなかなか口を開こうとしなかった。やがて、勇太は語り始めるが、・・・。
このような話しですが、人間は生きるか死ぬかの瀬戸際には、もはや言葉では表現できないような体験をしたり、無念・痛恨の思いをしたりしましょう。生き残った後、それを思い出したくなかったり、決して人には知られたくなかったりすることもありましょう。徴兵を拒否した者は当時非国民とされ、その身内も社会から迫害される時代には、そのようなことがいろいろあっただろうと思います。
この映画は戦争の悲劇を描く壮絶なドラマです。高校生の目で戦争のことを学び考えるものとなっています。レンタルビデオなどでぜひ多くの方々に観ていただき、日本国憲法の「個人の尊厳」や平和主義の意義を確認しあいたいと思います。
<映画情報>
製作年度 :1991年
上映時間 :102分
監督 :今井正
原作・脚本 :早乙女勝元
出演 :工藤夕貴 、佐野圭亮 、井川比佐志 、奈良岡朋子、その他
大勢お目にかかったのですが、その中で青年部
といわれる若い方たちが熱心に憲法問題や平和
の問題について取り組んでいるのに出会いました。
今日(26日(日))は、鉄道関係の仕事をしている20代の青年10数名と、東京大空襲・戦災被害資料センター(館長:早乙女勝元 江東区北砂1-5-4)を訪ねました。日曜だったこともあり、団体での見学者や個人での見学者も何人もいらしていました。
私たち一団は、まずビデオで、館長早乙女勝元さんのお話とこの空襲を再現した映画「戦争と青春(工藤夕貴主演)」* の一部を見ました。雨のように焼夷弾が落とされ、家々はあっという間に燃え上がり、炎に包まれながら人々が逃げまどう姿は、ありきたった表現ですが、この世の地獄のようでした。
そのあと、戦争の時の資料(焼夷弾や防空ずきん、疎開地からの子どもと親との書簡、学校で書いた習字と思われる「神風」の文字など)を見ました。ある青年が感想で「神風という言葉が使われていたことは知っていたが、学校でそれを習字で書かせて朱で○がつけられていたことに、その当時の教育の恐ろしさを感じました。」
と話すのを聞き、若者が習字を見てそのような感じ方ができることをすごくうれしく思いました。
そのあとで、現在私が代理人をしている東京大空襲裁判の内容(国を被告にし、損害賠償と謝罪を求めていること。国が戦争をやめる時期は終戦より前にあったのに放置したことや、戦後の軍属と非軍属の扱いの著しい違いに)について説明し、この裁判の意義についても伝えました。
国が戦争被害についてどのような態度をとっているかを話すときに、これまでやってきた中国の従軍慰安婦の事件について触れたのですが、いわゆる「従軍慰安婦」を知らない人が8割以上だったことから、教育の中で戦争の被害について、あまり教えられていないことがよく分かりました。
空襲の被害者のかたに書いてもらった陳述書(体験を書いたもの)も1,2見てもらいました。空襲後、天皇の巡幸のために、通りをきれいにしなくてはならず、死体を腐った魚をトラックに積み込むようにシャベルで積み込んだ、ということなどにもショックを受けたようでした。
また、今現在も、日本が戦争に巻き込まれそうな危険な事態にが起こっている、とここ一連の佐藤発言についての動きを話しました。そして、たまたま同日のサンデーモーニングでそれを取り上げて10分程度のまとまった報道になっていたので、それを録画していって見てもらいました。
青年たちの感想は、「こんな被害があったとは知らなかった」「高校まででは習わなかった」「子どもたちが戦争の被害に晒されることはかわいそう」「戦争を繰り返してはいけないと思う」「自分の家族が亡くなったりしたら、自殺してしまうかも知れない」など、これまで知らなかった戦争について驚いていました。
9条の問題、憲法問題について自分のこととして学んでいかなければならないという言葉も何人からも聞かれました。
話を聞いているときには、一見反応のない若者たちが、感想を求めると実はとても真剣に自分の心に照らして考えていることが分かりました。
彼らが、その思いをどうやって外に向けていってくれるかが、とても大切な問題だと思いました。
* 映画「戦争と青春」 (法学館憲法研究所のWebより)
太平洋戦争の最中、咲子の恋人である教師・風見にも召集令状が届いた。風見は徴兵を拒否し逃亡していたが、非業の死を遂げることになった。1945年3月の東京大空襲の時、咲子は風見と産んだ幼子を連れて逃げたが、幼子と離れ離れになってしまった。
咲子の姪にあたるゆかりは高校の課題で家族の戦争体験を聞くことになったが、咲子の弟=父・勇太はなかなか口を開こうとしなかった。やがて、勇太は語り始めるが、・・・。
このような話しですが、人間は生きるか死ぬかの瀬戸際には、もはや言葉では表現できないような体験をしたり、無念・痛恨の思いをしたりしましょう。生き残った後、それを思い出したくなかったり、決して人には知られたくなかったりすることもありましょう。徴兵を拒否した者は当時非国民とされ、その身内も社会から迫害される時代には、そのようなことがいろいろあっただろうと思います。
この映画は戦争の悲劇を描く壮絶なドラマです。高校生の目で戦争のことを学び考えるものとなっています。レンタルビデオなどでぜひ多くの方々に観ていただき、日本国憲法の「個人の尊厳」や平和主義の意義を確認しあいたいと思います。
<映画情報>
製作年度 :1991年
上映時間 :102分
監督 :今井正
原作・脚本 :早乙女勝元
出演 :工藤夕貴 、佐野圭亮 、井川比佐志 、奈良岡朋子、その他
数ヶ月前、こちらで(米国。私はこちらに住んでいます。)[ Victory in the Pacific ] というタイトルのテレビ番組をみました。 PBS ( Public Broadcast System. 公共放送システム。)が制作している American Experience というシリーズの一つなのですけれど、サイパンでの集団強制死の現場(女性ががけから飛び降りたところ、とびおりた後木の枝に引っかかって生きのこった人(当時5歳だった)の証言など)、沖縄戦の現場、ポツダム宣言受諾に関する一連のできごとなどと共に、東京大空襲に関すること(天皇が焼け尽くされた現場をあるいているところ、家を失った人たちの姿・表情など)も米軍の立場からですけれど、とりあげていました。私はこの番組のDVDを購入して2ー3度見ましたけれど、映像は現場の様子を想像するのにやくだちますね。 若いひとたちが関心をもって杉浦さんの話しに応答されていたとのこと、いいですね。
空襲による一般の戦災被害者には、国から補償が行われていないのですね。戦後に「非戦災者税」なるものがありましたが、それでバランスをとったつもりなのでしょうか。
米国からコメントをありがとうございます(ネットでは簡単に海を越えますね!)。
米国で見る日本の外交(特に対アメリカ、対それ以外の比較)はいかがでしょうか。
日本の軍事はどうでしょうか。
東京大空襲の裁判は、被害を受けたから賠償せよ、とだけいっているのではなく、戦争はもうこりごりだという被害者のかたの思いが根底にあります。
繰り返してはいけないのです!
そのために、若い人からとりあえず「戦争反対がWAVE」と動いてほしいのです。
この館の中のものすべてを、また放映されるビデオを、自分のこと、自分の家族のことに置き換えて、苦しいほどの臨場感を感じてもらうにはどうしたらいいのか。
先日はそう思って、いろいろと青年たちに話しました。
「戦争はイヤ」という素直な思いを多くの人が持ち、声を挙げるようになるためには、どうしたらいいんでしょう。
応答を有り難うございました。
こちらから見る日本の外交ですか? 連邦議会の下院がとりあげた「従軍慰安婦の人権を守る」決議案が7月30日に、下院全体会議で全員一致で可決されるまでの色々な出来事は、杉浦さんの質問に応答するのに、とてもいい事例だと思います。 長くなるので詳細ははぶきますけれど、日本政府がロビーストをやとったり、日系のダニエル・イノウエ上院議員(民主党。ハワイ州選出)の協力をえたりして、裁決させないようにしたことは、見苦しいことでした。 また、自民党と民主党の40数人の国会議員が6月にワシントン・ポストに、従軍慰安婦とされた方たちの人格を貶める内容の意見広告をだしたことで今までこちらではっきり見えなかった、日本で「太平洋戦争」を正当化している人たちの姿が見えるようになったのではないでしょうか。 民間では数年前までヒロシマ・ナガサキ・デーの前後に、日本被団協から派遣された被爆者のかたたちが私達の地域にこられた時には、私たちの所にホーム・ステーされて、きちょうな時を過ごさせていただきました。 民間外交として貴重だと思います。
杉浦さんは先の参議院選挙で社民党候補者として立候補されましたね。 落選されたのは残念でしたけれど、社民党と関係をもたれていると思いますので、 こちらの民主党の中で、デニス・クシニッチ下院議員(平和省創設運動をされている)、マイケル・ホンダ下院議員(「従軍慰安婦の人権を守る」決議案の主な提案者)、今回も大統領選挙に立候補されているジョン・エドワーズ元上院議員(上院議員の時、イラクに対する戦争を支持する投票をしましたけれど、 間違いだったと表明しました。ヒラリー・クリントン上院議員は間違ったとは決していいません。 エドワーズ氏の妻はガンの治療をしながら、大統領予備選挙の運動を夫と一緒にしています。民主党、共和党支持者をとわず、すばらしい人として尊敬を集めているそうです。子供のころお父さんが軍人で立川基地にすんでいたそうです。)などと交流関係をもっているのでしょうか。もっているならば、いいのですけれど、もっていなければ、杉浦さんや上原公子さんたちが、始めれたらいかがでしょうか。 こちらで、社民党の外交がみえてくると、こちらの人たちにもいい影響があるのではないかと思います。
丁寧なコメントありがとうございます。
私は従軍慰安婦の裁判の代理人もしているので、アメリカ下院での決議は、大きな関心を持っているところです。
アメリカがこのような決議をしたことについての評価はともかく、日本側が見苦しい行動を採ったことから、やはり、この国は外交について理解が足らないのかな、と不安に思いました。
(日本は一事が万事でしょうか?)
民間でもアメリカと交流を図ることは非常に大切だとはおもっています。
平和省の活動で間接的に存じあげているデニス・グシニッチさんはじめ、良識派として支持を受けていらっしゃる方たちと、関わっていけたら、何か実質的にも、また形としても何とか関わっていけたらいいですね。
ありがとうございました。