子どもを、配偶者を殺された遺族が、刑事裁判に参加して、被告人に質問をしたり、「死刑が相当」とか「無期懲役に」とか刑についても意見をいえるようにする
という「被害者参加制度」の法案について、今、衆議院(法務委員会)で審議されています。
これまで、被告人を裁くための刑事裁判には、被害者は一傍聴人として法廷で傍聴することはできても、被告人に対して積極的に何かをいうことができなかったために、「被害者も積極的に関わっていきたい」と考える被害者の方たちの声によって、その法律化が考えられてきたものです。
ところが、被害者の方たちにもいろいろな考え方をされる方がいます。私たちは、被害者というと、どうしても「加害者を憎むもの」「仕返しをしたいと考えて当然」、というステレオタイプで考えてしまいがちですが、考えてみれば、「被害者」といっても一色ではなくいろいろな考え方の方たちがいて当たり前なわけです。
被告人(犯人と目されている者)をしっかり追及して、言い逃れなどさせず、あるいは亡くなった被害者に「死人に口なしで勝手に落ち度をなすりつける」ことは許さない、と考えて刑事裁判にしっかり関わっていきたいという気持ちは、当然理解できます。自分がその立場なら、法廷で泣き叫んで追及してしまうかも知れません。
ただ一方で、被害の痛手を受けたうえに、それでもせめて一矢報いようと刑事裁判に臨んで、そこで被告人の無反省な態度によって二重に傷つく、自分の思うように被告人をやりこめることができなかったという無念さが残る、むしろ失策をおかして大きな後悔が残る、などということも考えられます。
こんなことなら、なにもしなければよかった、という事態になったときの悔やむ心の傷の痛みも想像できます。
被害者のかたの中には、刑事裁判に関わる権利があればそれを行使するかどうかは被害者が選べばいいとおっしゃる方もあり、それはそのとおりだと思います。
ただ、自分が被害者で、刑事裁判に出てたとえば亡くなった家族の無念を晴らし被告人を追及できるチャンスがある時に、これを自信の無さから放棄したら遺族としての無念さが裁判官に伝わらなかったらどうしようとか、亡き遺族に申し訳ないとか思って、権利を行使すべきかどうかで苦しんでしまうかも知れません。
こんな岐路に立たされたときにも、弁護士が被害者にもしっかりと付いて支援をしくれなければ、とても不安だと思います。
被害者の刑事参加の問題は、権利は被害者にも認めればいいのではないか、とあまり問題のないように考えがちですが、このように難しい問題があるわけです。
こんな状況のもとに、
犯罪被害者の刑事裁判参加について、賛成の考えの被害者の方と、反対の被害者のかたが、衆院の法務委員会で参考人として意見を述べられたというのが、下記の記事です。
同じく被害者でありながら、お二人の意見が異なるのは、
岡村さんが「加害者に重い刑罰を科すことが被害回復につながる」という考え方なのに対し、
片山さんは、「重罰化より、加害者と被害者が対話してこそ、双方が立ち直れる」という思いを持っていらっしゃることにも大きな由縁があるようで、
やはり、被害者=応報を望む という第三者のステレオタイプの思いこみは捨てて、当事者の声に真摯に耳を傾ける必要のある問題なのだろうと思います。
・・・・・・・・記・・・・・・・・・
(読売新聞から)
参考人として陳述したのは、法案の早期成立を求める「全国犯罪被害者の会(あすの会)」代表幹事で弁護士の岡村勲さん(78)と、法案に反対する「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有(ただあり)さん(50)。
まず、岡村さんが陳述に立った。「殺された妻の名誉を傷つける発言を繰り返す被告に、法廷で何の反論もできなかった。今の裁判制度が、いかに被害者を苦しめるかを身をもって知らされた」。涙をこらえ、声を震わせながら語った。
1997年10月、弁護士として引き受けた仕事に絡み、いわれのない恨みから、妻を殺害された。被告の男に対し死刑を望んだが、無期懲役が確定。同じような悔しさを抱える被害者とともに、2000年にあすの会を設立した。今回の法案は、あすの会が04年に公表した制度案が基になっている。
一方、片山さんは、「質問や求刑などを被害者自ら行うのは負担が重い。以前に比べ、被害者の思いを代弁してくれるようになった検察官に任せるべきだ」と法案の見直しを求めた。97年11月に息子を交通事故で失った片山さんは、業務上過失致死罪に問われた被告の裁判を傍聴した経験を踏まえ、切々と訴えた。
この日の質疑では、「裁判に参加した被害者が再び傷つく恐れがあるかどうか」が焦点となった。「被害者が被告に質問すれば、逆に被害者の落ち度を追及されることもある。被害体験を繰り返し思い出すのも非常につらい」。片山さんはそう述べたが、岡村さんは「つらいと思えば参加しないこともできる。参加しないことで、その人の被害感情が軽いと考える裁判官はいない」と反論した。
2人の意見が異なるのは、岡村さんが「加害者に重い刑罰を科すことが被害回復につながる」という考え方なのに対し、片山さんは、「重罰化より、加害者と被害者が対話してこそ、双方が立ち直れる」という思いを持っているからだ。
民主党は、検察官が被害者の意向を尊重しながら被告人質問を行うなど、片山さんの意見も取り入れた修正案を提出する方向で、近く、法務委員会で採決が行われる見通しだ。
(2007年5月30日1時38分 読売新聞)
という「被害者参加制度」の法案について、今、衆議院(法務委員会)で審議されています。
これまで、被告人を裁くための刑事裁判には、被害者は一傍聴人として法廷で傍聴することはできても、被告人に対して積極的に何かをいうことができなかったために、「被害者も積極的に関わっていきたい」と考える被害者の方たちの声によって、その法律化が考えられてきたものです。
ところが、被害者の方たちにもいろいろな考え方をされる方がいます。私たちは、被害者というと、どうしても「加害者を憎むもの」「仕返しをしたいと考えて当然」、というステレオタイプで考えてしまいがちですが、考えてみれば、「被害者」といっても一色ではなくいろいろな考え方の方たちがいて当たり前なわけです。
被告人(犯人と目されている者)をしっかり追及して、言い逃れなどさせず、あるいは亡くなった被害者に「死人に口なしで勝手に落ち度をなすりつける」ことは許さない、と考えて刑事裁判にしっかり関わっていきたいという気持ちは、当然理解できます。自分がその立場なら、法廷で泣き叫んで追及してしまうかも知れません。
ただ一方で、被害の痛手を受けたうえに、それでもせめて一矢報いようと刑事裁判に臨んで、そこで被告人の無反省な態度によって二重に傷つく、自分の思うように被告人をやりこめることができなかったという無念さが残る、むしろ失策をおかして大きな後悔が残る、などということも考えられます。
こんなことなら、なにもしなければよかった、という事態になったときの悔やむ心の傷の痛みも想像できます。
被害者のかたの中には、刑事裁判に関わる権利があればそれを行使するかどうかは被害者が選べばいいとおっしゃる方もあり、それはそのとおりだと思います。
ただ、自分が被害者で、刑事裁判に出てたとえば亡くなった家族の無念を晴らし被告人を追及できるチャンスがある時に、これを自信の無さから放棄したら遺族としての無念さが裁判官に伝わらなかったらどうしようとか、亡き遺族に申し訳ないとか思って、権利を行使すべきかどうかで苦しんでしまうかも知れません。
こんな岐路に立たされたときにも、弁護士が被害者にもしっかりと付いて支援をしくれなければ、とても不安だと思います。
被害者の刑事参加の問題は、権利は被害者にも認めればいいのではないか、とあまり問題のないように考えがちですが、このように難しい問題があるわけです。
こんな状況のもとに、
犯罪被害者の刑事裁判参加について、賛成の考えの被害者の方と、反対の被害者のかたが、衆院の法務委員会で参考人として意見を述べられたというのが、下記の記事です。
同じく被害者でありながら、お二人の意見が異なるのは、
岡村さんが「加害者に重い刑罰を科すことが被害回復につながる」という考え方なのに対し、
片山さんは、「重罰化より、加害者と被害者が対話してこそ、双方が立ち直れる」という思いを持っていらっしゃることにも大きな由縁があるようで、
やはり、被害者=応報を望む という第三者のステレオタイプの思いこみは捨てて、当事者の声に真摯に耳を傾ける必要のある問題なのだろうと思います。
・・・・・・・・記・・・・・・・・・
(読売新聞から)
参考人として陳述したのは、法案の早期成立を求める「全国犯罪被害者の会(あすの会)」代表幹事で弁護士の岡村勲さん(78)と、法案に反対する「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有(ただあり)さん(50)。
まず、岡村さんが陳述に立った。「殺された妻の名誉を傷つける発言を繰り返す被告に、法廷で何の反論もできなかった。今の裁判制度が、いかに被害者を苦しめるかを身をもって知らされた」。涙をこらえ、声を震わせながら語った。
1997年10月、弁護士として引き受けた仕事に絡み、いわれのない恨みから、妻を殺害された。被告の男に対し死刑を望んだが、無期懲役が確定。同じような悔しさを抱える被害者とともに、2000年にあすの会を設立した。今回の法案は、あすの会が04年に公表した制度案が基になっている。
一方、片山さんは、「質問や求刑などを被害者自ら行うのは負担が重い。以前に比べ、被害者の思いを代弁してくれるようになった検察官に任せるべきだ」と法案の見直しを求めた。97年11月に息子を交通事故で失った片山さんは、業務上過失致死罪に問われた被告の裁判を傍聴した経験を踏まえ、切々と訴えた。
この日の質疑では、「裁判に参加した被害者が再び傷つく恐れがあるかどうか」が焦点となった。「被害者が被告に質問すれば、逆に被害者の落ち度を追及されることもある。被害体験を繰り返し思い出すのも非常につらい」。片山さんはそう述べたが、岡村さんは「つらいと思えば参加しないこともできる。参加しないことで、その人の被害感情が軽いと考える裁判官はいない」と反論した。
2人の意見が異なるのは、岡村さんが「加害者に重い刑罰を科すことが被害回復につながる」という考え方なのに対し、片山さんは、「重罰化より、加害者と被害者が対話してこそ、双方が立ち直れる」という思いを持っているからだ。
民主党は、検察官が被害者の意向を尊重しながら被告人質問を行うなど、片山さんの意見も取り入れた修正案を提出する方向で、近く、法務委員会で採決が行われる見通しだ。
(2007年5月30日1時38分 読売新聞)
そうしましたら、刑事裁判における当事者はあくまで被告人と検察官だとありました。
今の今まで、被害者の方の参加が認められてこなかったのは、被害者の方が刑事裁判に参加することによって、真実を明らかにするべき刑事裁判で、裁判官が真実を見極められなくなる恐れがあるのではないかという問題意識があるようでなりません。
だとしたら、刑事裁判という手続内での被害者の方々の参加を積極的に推進していくというよりは、民事刑事の他第三の制度として、何らかの形で、被害者の方の気持ちが汲んでもらえるような制度があるといいなと思います。
被害にあったことのない者は本当の被害者の方の気持ちはわからないかもしれませんが、
ふとそう思いました。