風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

『あまちゃん』と3.11 震災前後①

2014-03-07 13:42:22 | あまちゃん


翌日のライヴを控えてレッスンを続けるアキ(能年玲奈)とGMT5のメンバー。

そのライヴを観に、東京へと向かうため北鉄に乗るユイ(橋本愛)。

体調を崩し、家で寝ている夏ばっぱ(宮本信子)。ばっぱを世話するかつ枝(木野花)、六郎(でんでん)元夫妻。



2011.3.11は淡々と過ぎて行き、突然、夏ばっぱの携帯、娘の春子(小泉今日子)に買ってもらった携帯から鳴り響く警報。飛び起きるばっぱ…。

北三陸のシーンはここまで、場面は東京へと移り、奈落でレッスンに励んでいたアキたちを見舞う地震、ステージセットの一部が崩壊するほどの激震の中、身を挺してアキを守ろうとする安部ちゃん(片桐はいり)の姿が写し出されます。

春子や荒巻(古田新太)は、それぞれのオフィスでおろおろするばかり。無頼鮨にいた鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は種市(福士蒼汰)に導かれ、屋外へ避難していく。



北鉄に乗っていたユイを襲う激震、大吉(杉本哲太)の判断で汽車はトンネルの中で緊急停車します。事態が呑み込めず、副駅長の吉田(荒川良々)と無線で連絡を取り合う大吉。そこへ吉田からの一報。

「大津波警報発令!避難します!」



この時点で、なにが起こっているのか分かっていた人はほとんどいなかった。私もそうでした。岩手県の内陸部に住んでいる私の周囲では、地震後停電となったものの、どうせ数時間か遅くとも明日には復旧するだろうとタカを括っていました。

実際に電力が復旧したのは4日後のこと。その間ラジオだけが唯一の情報源でした。

そのラジオを通じて、状況は把握していたつもりでしたが、本当に呑み込めたのは、電力復旧後、テレビで津波の映像を見てからです。



アキもまた同じでした。それまでは呑気に明日のライヴの心配をしてばかりで、事態がまったくわかっていなかった。それがテレビで津波の映像を見るに及んで、未曽有の災害が起こっていることをようやく理解していく。




トンネルの中で停車したままの汽車内では大吉が、「北鉄はディーゼルだから停電しないし、暖房も切れません」と乗客を安心させます。子供の乗客が「腹へった」と訴えかけると、やはり乗車していた鈴木のばっぱ(大方斐紗子)がゆべしを出してきます。「ゆべしもありますよ」と、場をなごませる大吉。

外の状況を把握しようと、意を決して電車から降りる大吉。己を鼓舞するかのように「ゴーストバスターズ」を歌いながら、トンネルの出口へと向かって行く。

トンネルの出口で、大吉がみた光景は…。その後ろから、ユイがゆっくりと近づいてくる。



大吉「ダメだ!ユイちゃん、見るな!見ちゃダメだ!」

ユイ「……もう遅い」


二人が見た光景は、我々視聴者に直接見せられることはありませんでした。しかし、二人の表情、特にユイの表情に、彼女の目になにが写ったか、すべてを物語っています。

「あの日」を経験した日本人なら、みんなわかることです。



                   



一気に書き上げるつもりでしたが、少し長くなるかもしれない。

分割して、ゆっくり書いて行くことにします。ということで、

今日はここまで。

〈続く〉

「ダサい」と「かっけー」の狭間 その2 ~『あまちゃん』にみる東北論~

2014-03-04 13:44:31 | あまちゃん


「ダサい」には、“野暮ったい”“田舎臭い”という意味もあるようです。



例えば『あまちゃん』の中で言えば、「ブティック今野」で販売されているような“独特の色合い”の洋服類などは、都会的にみれば「ダサい」の範疇に入るのでしょう。

「ブティック」「今野」「ダサダサ」なんて言われても、御主人のあつしさん(菅原大吉)は寧ろ嬉しそうに笑っているばかり。これはある種の、東北人の特性を表しているともいえます。

東北人というのは自虐的なところがあって、自分の故郷を卑下したような言い方をすることがよくあります。「田舎ですから」「なんにもありませんから」なんて常套句ですね。

そうして仲間内でも、自虐的なギャグで笑い合う。でもこれは仲間内だから許されること、他所の人に同じことを言われたら頭に来る。

「ブティック今野」のギャグにしても、仲間内だから許される。これが仲間でも常連でもなんでもない人に言われたら、そりゃ腹が立ちます。そういうものです。

東北という土地が歩んだ歴史的背景がそうさせるのか、東北人は本当は故郷が大好きなくせに、それを素直に表せないところがある。愛情の表現に屈折したところがある。そして都会から来た人に対しては、どこか自信無げなんです。

ドラマの中に「まめぶ」という料理が出てきますよね。甘いんだかしょっぱいんだかわからない“微妙な味”と評される、ちょっと残念な郷土料理。

ある方が、あれは東北人の自信の無さの象徴だ、と書いていまして、成る程なと納得したんです。たしかにあれは、東北を象徴している料理だなと。

そしてその「まめぶ」を、素直においしいと評した子がいます。

それが、天野アキ(能年玲奈)なんです。

あれはアキが、東北を受け入れた、東北に溶け込んだことの象徴だったんですね。

よく出来てます。






東京ではまるでぱっとしなかったアキが、北三陸にきた途端にきらきら輝き始めた。アキの目には、北三陸は「かっけー」の宝庫だったんですね。海や山といった大自然、そこに生きる人達。

そして「海女」というもの。

アキにとっては、北三陸はきらきらと輝いているように見えたに違いない。それが反射して、アキを輝かせることになった。生き生きとさせた。それがさらには、周辺の人達をも輝かせていくことになるんです。

アキの母、春子(小泉今日子)は流石です。そこのところを良く見抜いています。

「アキは変わってない。みんなが変わったんだよ。それって結構凄いことなんだよ」

“外”からやってきたアキだからこそ、東北の内包する輝きを見つけることができた。地元の人にとっては当たり前すぎて面白くもなんともない海女というものに着目し、それが「海女カフェ」建設にも繋がって行く。

アキが輝かせたというより、元々東北が、東北人が持っていた輝きというものを、アキが引っ張り出したということでしょう。でもアキにはその自覚がまるでない。ただやりたいことをやってきただけ。

結構どころか、かなり凄いことです。




                  




東北人というのは、「よそ者」に対する警戒心が強く、なかなかすぐには心を開きません。それは水口さん(松田龍平)に最初に向けられた態度によく表されていますね。

でも一度受け入れると、後は鬱陶しいくらいに世話を焼いてくる。東北人にはそういう特性があります。



ユイ(橋本愛)の母親のよしえさん(八木亜紀子)は、功さん(平泉成)と結婚した後、北三陸でもかなり奥地というべきところに、家族と暮らしていました。

元々地元の人ではなかったよしえさんは、まったく縁もゆかりもない土地に暮らしながら良妻賢母であろうと務め、おそらくは地元の人達ともあまり交流していなかったのでしょうね、地元の人達には「よそ者」的な目で見られていたのかも知れません。そうした無理と寂しさとが、功が病に倒れたことがキッカケとなって爆発してしまい、家出をしてしまいます。

でも、よしえさんは帰ってきました。「スナック梨明日」で、常連さんたちの前で、よしえさんは気持ちを吐露します。

私は、家族と暮らしたこの北三陸が好きなんだ、と。

故郷の有り難味は、離れてみて初めてわかるものです。よしえさんもまた、離れてみて初めてわかったんです。

北三陸は、自分の「故郷」になっていたのだ、ということに。

その「故郷」に帰りたいと思った。何を言われてもいい、なんと思われてもいい。家族の思い出の残る「故郷」に帰ろう。

よしえさんの偽らざる気持ちに、どなたのセリフだったか失念したのですが

「一度出て帰ってきたからには、もうよそ者ではねえ」

よしえさんが「スナック梨明日」の常連さんたち=地元の人達に受け入れられた瞬間です。




東北人の良い面も悪い面もすべて咀嚼して、そこに泣きと笑いと感動を加味しながら、東北の素敵さを見せて行く。これは自身も宮城県の田舎町、若柳町出身の宮藤官九郎だからこそ書ける脚本でしょう。

本当に憎たらしくなるくらいに、

見事です。




さて、そのクドカン脚本が、3.11とその後の東北を、東北人をどのように描いたのか。

次回以降、考察してみたいと思います。



                 







書き忘れたことをひとつ。

『あまちゃん』では、ヒビキ一郎(村杉蝉之介)を筆頭とした、いわゆる「オタク」さんたちが重要なファクターとして登場します。

一般的には「ダサい」と定義されるオタクさんたちによって、アキやユイは発掘されたし、震災後の北鉄再開前後を、オタクさんたちが盛り上げて行くことになる。

ここにも、「ダサい」と「かっけー」の狭間が見えます。

クドカンさんの、ダサいを悪とする風潮に対する、アンチテーゼなのかもしれない。                 

「ダサい」と「かっけー」の狭間 ~『あまちゃん』にみるアイドルのかたち~

2014-03-01 13:05:23 | あまちゃん


                     


メジャー・デビュー以来30年以上、ヘヴィ・メタルシーンの頂点に立ち続けているイギリスのバンド「アイアン・メイデン」。

そのアイアン・メイデンのリーダー、スティーブ・ハリスはアマチュア時代、或るレコード会社の担当者にこう言われたそうです。

「髪を切ったら契約してやる」

当時はイギリスをはじめ世界中でパンク・ロックの嵐が吹き荒れていました。ハード・ロック関係は風前の灯状態。イマドキ髪なんか伸ばしている奴は、時代遅れの

「ダサい」奴。

しかしスティーブは屈せず、インディーズで地道なライヴ活動を続け、その努力が実を結びついに80年、メジャー・デビューを果たし、世界的ビッグ・バンドとなって現在も活躍しています。



80年代頃、渋★あたりの○一さんとかいう人に感化された人達が、続々とハード・ロークから離れていきました。

昨日まで「レインボー最高!」とか言ってた人達が、“エライ人”がなにかを言っただけで一斉にそちらへ靡いて行った光景は、未だに忘れられません。そんな人達の中には

「ヘヴィ・メタルなんて後数年で消えるよ」

などと嘯く輩も出てくる始末。でも現実はどうでしょうか。ヘヴィ・メタルは消えましたか?

こういう時流に流され、“権威”に流されする人達は果たして、「かっけー」んでしょうか?


                 
                   「ヘヴィ・メタルは信念」メタルゴッドことジューダス・プリースト




あれほどアイドルに憧れていたユイ(橋本愛)はすっかり荒れてしまい。「アイドルなんてダサい」と言い出す始末。これにアキ(能年玲奈)が返したセリフが秀逸です。

「ダサいなんて初めから知ってるよ。でも楽しいからやってたんだべ!ダサいくらいなんだよ!我慢しろよ!」




夢に向かって頑張っている人を、他人は時に「ダサい」と言って揶揄の対象とします。

確かに、実現するかどうかわからない夢に向かって歩くより、堅実な道を歩んだ方が確実だし、間違ってはいない。

世の中には、夢を実現させた人より、夢破れた人の方が圧倒的に多い。そんな博打みたいな人生を歩むより、堅実な人生を歩んだ方が遥かにお得。

でも本当に心から成し遂げたいと思う夢ならば、それはやってみなければ絶対に後悔します。

成るか成らないかは、それこそやってみなければわからない。でもやらずに後悔するよりは、やって敗れた方が遥かに悔いは残らない。

だからやり続ける。そういう人は「かっけー」人なんです。



天野アキという子は、そうした人の「かっけー」に敏感な子なんですね。そういう「かっけー」人を応援したいと思ったし、自分も「かっけー」人になりたいと思った。



アイドルというのはある意味、応援される存在です。

人というのは面白いもので、誰かを応援することによって、逆に自分が応援される、誰かを元気づけることによって、逆に自分が元気づけられるんです。

震災時、被災者を励ますつもりで被災地に入った人達が、逆に被災者の皆さんに励まされた。そういう話はよく聞きます。自分がしたことは自分に返ってくる。

アイドルというのは、誰かに応援されることによって、逆に誰かを応援することができる、元気づけることができる。

アキにとっては、最高に「かっけー」存在だったのです。


                 



「かっけー」というのは「ダサい」時期を乗り越えなければ得られない称号です。

『あまちゃん』には、そうした「ダサい」を乗り越えて、「かっけー」を手にした人達が多く登場します。



東京に憧れていたユイは、紆余曲折を経て北三陸に残ることを決意します。そんな折に、北三陸に来た芸能プロデューサーの荒巻(古田新太)が、ユイに誘いをかけますが、ユイは

ユイ「あたし、東京には行きません。ここで、アキちゃんと水口さんとやっていきます。潮騒のメモリーズで」
「東京も北三陸も、わたしにとっては同じ日本なんで、おかまいねぐ」
「私たち、おばあちゃんになってもずっと、潮騒のメモリーズです」

アキ「です!」

荒巻「それは……カッコイイね!」



ユイもまた、「ダサい」を乗り越え「かっけー」の称号を得た一人です。

アキの御蔭で。




「ダサい」と言われることを怖がっている奴こそ、ホントに「ダサい」奴なんでしょう。

「ダサい」の向こうにしか「かっけー」はない。

「ダサい」くらい我慢できない奴は、所詮「甘ちゃん」なんだよ。



自戒を込めて。