ドラマの中で、直接的に震災の被害を描いたシーンはほとんどありません。
その代り、観光協会の室内にあった北三陸市のジオラマを使って、被害の状況を描写しています。
このジオラマ、第一話から折あるごとに画面に映し出されます。観光協会のシーンには必ずといっていいほど、このジオラマが写り込むシーンが出てくる。観光協会の菅原浩さん(吹越満)は、肝心の仕事よりもジオラマ作りに熱中しているかのようです。
アキ(能年玲奈)が観光客を呼び込む一つの拠点として、「あまカフェ」建設を提案した時も、このジオラマを使っていました。
注意深い視聴者なら、この「あまカフェ」が海沿いに建っていて、おそらく津波で流されるであろうこともわかるようになっているんです。まあ、そこまで観ていた方はほとんどいないでしょうけど。
震災からもう3年というべきか、まだ3年というべきか、ともかく震災の記憶はまだ生々しく我々の中に残っています。
朝の時間帯に、この震災をどのように描くべきかということを、クドカンさんは相当悩んだに違いない。被災者の方々を気遣いつつ、いかに視聴者を納得させられるか。
ジオラマはその解決策だったのだと思います。
現実に、被災地の被災前の街並みを模型=ジオラマで再現するという活動が行われているんです。陸前高田、大船渡、大槌等々の被災地の、以前の街並みがそうやって再現されているんですね。
この模型には、被災された方々の想いが乗っかっていると考えていいでしょう。
クドカンさんはそれをどこかで知ったのではないでしょうか。これは使える、と直感的に思ったのに違いない。
執拗なくらい、折あるごとにジオラマを写し続けた理由は、視聴者に印象付けるためであり、それは、北三陸の人々の「想い」が乗っかっているのだということ、北三陸の雛形であるジオラマ上で展開されることは、現実の北三陸で起きる出来事と同義なのだということなのです。
このジオラマのシーンは賛否を分けました。が、このドラマを愛し、思い入れを持って“ちゃんと”御覧になっていた方々は、概ね肯定的なようです。一方否定派は、あまり思い入れを強くお持ちでない方々がほとんどのようですね。
何をかいわんや。一目瞭然。やはり“ちゃんと”観ていない方々には、ジオラマの意味がわからなかったようです。
どのような立場から、どのような批評をなされようとそれは自由です。ただ言えることは、このジオラマシーンの評価の度合いが、その方の「ファン度」を示す指針となっている、ということですね。
私?私はもちろん、120%支持してます。お見事でした。
東京にいるアキは、夏ばっぱ(宮本信子)やユイ(橋本愛)との連絡を試みますが、まったく繋がらない。それが夜になってから、夏ばっぱより一通のメールが届きます。
「全員無事 ごすんぱいねぐ」
このあっさりしたメール一通のみで、夏ばっぱ等の被災の状況は一切映し出されない。クドカンさんらしいテンポの良さではありますが、やはり被災者の方々を気遣ったのでしょう。
余談ですが、この被災当日、夏ばっぱは体調を崩して寝込んでいたんです。なぜわざわざこんな設定にしたのか、考えていたんです。
思うにあれは、「夏ばっぱを絶対に死なせない」という、クドカンさんの決意だったのではないでしょうか。
夏ばっぱの家が高台にあることは、第一話ですでに示されています。だから家にいて、外を出歩いてさえいなければ、津波に呑まれる危険は回避される。さらに誰かについてもらって避難すれば、危険な目に会うようなことは絶対にない。
ヘタに夏ばっぱが元気だったりすると、動き回らないとも限りませんからね。だから体調を崩して、かつ枝さん(木野花)や六郎さん(でんでん)を側につけることによって、確実に夏ばっぱを守ったのだと思う。
一部では、震災で夏ばっぱが死ぬんじゃないか、ユイちゃんが死ぬんじゃないか、なんて噂も囁かれていたようですが、クドカンさんは登場人物を誰一人として死なせなかった。
『あまちゃん』とは、どんな苦難があろうとも、明るく笑いながら、前向きに生きて行く人々を描いたドラマです。時に滑稽でカッコ悪くてみっともなくて、それでも前を向いて、泣きながら笑って人生を歩んでいく、そんなダサくて「かっけー」人達のドラマなんです。
そうそう簡単に死にはしません。クドカンさんはそんな「甘ちゃん」じゃないです。
夜になってからユイとも電話が繋がり、アキはライヴが延期になったことを告げ、中止じゃなくて延期だから、また次に来ればいいと言います。
アキなりにユイを気遣っていたのですが、ユイはアキが思っていた以上に、大きな心の傷を負ってしまったようです。
「あたし、怖くて行けない。アキちゃんが来てよ!」
道が無くなってたの、線路が途中で終わっていたの、と言うユイ。本当はそれ以上のものを見てしまったに違いなく、トンネルの出口で見た光景と、どうしても東京へは行けないのだという事実とで、ユイは打ちのめされてしまったのでしょう。
それは、実際に被災地の現場にいるユイと、所詮離れた東京で、テレビ越しの映像でしか見ていないアキとの、埋めようがない温度差でもありました。
震災より三か月。自分になにが出来るかを逡巡していたアキでしたが、ついに東京での仕事をすべて捨てて、北三陸に帰ることを決意します。
〈続く〉