風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

義経 ~その2~ 鞍馬から平泉へ

2013-01-08 15:56:41 | 義経
源九郎義経は、源氏の棟梁源義朝とその愛妾常盤御前との間に生まれた子です。正室の子でないとはいえ、源氏の棟梁家の血を引く立派な御曹司。いずれまた源氏が兵を挙げるに際しては、その先頭に立つに相応しい血筋です。当時は血統というものが今以上に尊ばれていましたから、その行く末は源氏の残党にとって相当に高い関心事であったはずです。

幼少の義経=牛若(入山後、遮那王を名乗る)が鞍馬寺に預けられたのは10歳前後頃のことのようです。初めの内は学問に励んでいたいたようですが、ある日突然学問を捨て、夜な夜な鞍馬山中において、武芸の訓練に明け暮れるようになった。…と、軍記物などには書かれているようです。軍記物ですので、どこまで本当かはわかりません。ただ、何者かが遮那王出生の秘密=源氏の棟梁の子であることを、遮那王に漏らしたとしたら、己の出自に目覚めた遮那王が、平家への復讐心から憤然と武芸に励むのは当然有り得ることでしょうね。さて、その漏らした何者か、とははたして、源氏の残党か、はたまた…。
いずれにしろ鞍馬の山中ということで、天狗や魔物の憑依があったやもしれず。それが「八艘跳び」などの体術に繋がる一方、後年の悲劇へと繋がっていったのかもしれません。

義経の母、常盤御前は義朝の死後、子供達(今若、乙若、牛若)の命を助けることを条件に、平清盛の愛妾となりますが、愛妾だった期間はさほど長くはなかったようで、常盤御前はその後すぐに、元大蔵卿・藤原長成という人物に嫁ぎます。その経緯はよくわかりませんが、最初乳飲み子だった牛若が清盛の下にいたのは、せいぜい2~3歳くらいまでのことのようです。大河ドラマで牛若が、清盛のことを父と慕うシーンがありますが、はたして牛若に、清盛の記憶があったかどうか。

さて、牛若=遮那王は16歳になっても剃髪・出家をしようとしない。仏門に入ることを条件に命を助けられているので、このままでは清盛との約束が果たせない。あるいは鞍馬寺の僧侶あたりが、常盤御前に「なんとかしてくれ!」と相談を持ちかけたかもしれません。常盤としても、このまま放っておいたのでは遮那王自身の身はもちろんのこと、夫・長成卿の身にもどのような類が及ぶかしれない。そこで、ある人物が思い浮かんだのでしょう。
その人物とは藤原基成。元陸奥守。陸奥守の任期が切れた後もそのまま奥州に住みつき、その娘を奥州平泉藤原氏三代・藤原秀衡に嫁がせ、自らも政治顧問格として平泉で権勢を振るう人物。
この藤原基成は、常盤の夫長成とは極近い親戚なんです。奥州平泉ならば、京の都から遥かに遠く、また17万騎ともいわれる大軍勢を擁し、いかな平家といえども、地理的政治的軍事的に、簡単には手を出し難い相手。遮那王を逃がすに、これほどうってつけの場所はない。
また藤原基成にも、遮那王に対してはある種の負い目があったのではないかと思われます。というのは、基成の弟に藤原信頼という人物がいるのですが、この人物、実はかの源義朝、遮那王の父義朝と結託して平治の乱を起こした張本人だったのです。
いってみればこの信頼のせいで、義朝は敗死したともいえるわけで、弟の行為が遮那王達を過酷な運命に追いやってしまったことを、ずっと気にかけていたのかもしれません。
だから基成は、遮那王を平泉に預けたいとの連絡を受け、必死になって秀衡を説得したのではないでしょうか。秀衡にしてみれば、せっかく朝廷や平家とも、駆け引きをしながら上手くやってきたのに、徒となるかもしれない源氏の子倅をなんで預かる必要があるのか?と思ったことでしょうが、あるいは基成の心情に配慮しつつ、最終的には、源氏と平氏双方への“保険”世の趨勢がどちらに転んでもうまく切り抜ける“切り札”として、遮那王=後の義経を預かることとしたと思われます。

こうして遮那王=義経は鞍馬山を脱走し、金売吉次なる金属商人(実在不明)に伴われ、一路平泉を目指します。遮那王16歳。その波乱の生涯の本格的なスタートでした。

義経 ~その1~ 勧進帳

2013-01-06 16:29:38 | 義経
義経には数多くのエピソードが伝えられていますが、ほとんどが後世に創作されたものと思われます。「勧進帳」はその中でも、有名なエピソードの一つで、特に弁慶の見せ場です。

兄・頼朝に追われる身となった義経。山伏姿に身を窶し、遥か奥州平泉へ落ち延びようとします。途中、吉野山中で静御前と別れ、一行はどうやら、山伏達の助けを借りて、山中の道なき道を奥州まで目指したようです。平泉藤原氏は白山に多大な寄進を行っていますから、おそらくは白山系修験のサポートがあったのではないでしょうか。それ以外にも熊野系、出羽三山系等々の修験との連携があったと考えると、面白くなってきますね。

ちなみに吉野で別れた静御前はその後捕えられ、鎌倉へ護送されます。その時御前は、義経の子を身籠っており、その子を鎌倉で出産しますが、男の子だったために…。
鶴岡八幡宮で奉納の舞を舞った際、「しづやしづ」と義経への恋慕の想いを切々と謡いながら舞う御前。居並ぶ源氏の諸将を前にしての、その命懸けの舞に感銘を受けた北条政子が御前を解き放ち、御前は晴れて自由の身に。その後御前がどのような生涯を過ごしたのか、詳細は伝えられていません。

さて、勧進帳ですが、義経一行は奥州へ向かう途中、現在の石川県にあったとされる安宅の関所に差し掛かります。関守の富樫左衛門は、義経一行が山伏に変装しているとの情報を得ており、この一行を怪しんで尋問します。一行は東大寺再建のための勧進(寄付を募ること)の旅をしているとのことだったので、当然、東大寺からその依頼を受けたことを証明する書状(勧進帳)を所持しているはず。関守・富樫はそれを見せるよう迫ります。それに対して弁慶は、見せることはできないが読んで聞かせるとして、やにわに一巻の巻物を取り出し、スルスルと開きながら朗朗と読み上げます。
実はこの巻物にはなにも書いていない、まったく白紙なんです。その白紙を目の前にして、いかにも書いてあるかのように朗朗と読み上げるところが、見せ場の一つとなっているわけですね。
関守・富樫の激しい追及をなんとか躱し、関所を通ることを許された一行でしたが、富樫は、一人の若い山伏(実は義経)が腰に下げていた笛に目を留めます。山伏にしては高価な笛に不審を感じた富樫が呼び止めます。
これはマズイ!と感じた弁慶。とっさに手にした金剛杖を振り上げると、義経に振り下ろします。
「この愚か者め!貴様のせいで、あらぬ疑いを掛けられたのだ!」
何度も何度も杖を打ち下ろす弁慶。黙ってじっと耐える義経。弁慶の目には、薄らと涙が…。
これを見た富樫は失礼を詫び、酒を振る舞う。弁慶はお礼として舞を舞う。
立ち去る一行を見送る富樫の目にも薄らと涙が。富樫にはわかっていたんです。彼らが義経一行であるということを。

忠義のためとはいえ、主人・義経を激しく打擲した弁慶は、泣いて義経に詫び、自分を討ってくれと懇願します。これに義経は逆に礼を言い、弁慶を許します。

従者は主人を思い、主人は従者を思う。この美しき主従関係。関守・富樫はこれに打たれ、わかっていながら一行を逃がす。こういう話、日本人は好きですね。でもばれたら富樫さん、ヤバいんじゃない?とは誰もいわないんだな、これが(笑)

これと同種の話は忠臣蔵にもあります。大石内蔵助が京・山科から江戸へ下向する際、探索の目を逃れるため、「日野家用人・垣見五郎兵衛一行」と偽り、江戸へ向かいますが、途中で本物の垣見五郎兵衛一行と鉢合わせしてしまうんです。大石達の宿に本物の垣見五郎兵衛が、大胆にもたった一人で乗り込んでくるんです。大石と垣見とは一対一で対峙するのですが、要は垣見が、相手が大石内蔵助であるということに気づいて、これが討ち入りのための秘密行であることを察し、見逃すわけです。おまけに垣見が所持していた通行手形を、「偽者には必要ない」と言って大石に渡すんです。良い話でしょ?(笑)

そこにある種の共感があるからこそ、見逃したくなる。義経への共感、赤穂義士への共感。日本人の魂を揺さぶり続ける物語に、日本人の心性が見える気がしますね。

それにしても義経は人気が高い。かくいう私も好きですが。

さて次回は、義経の…何について書こうかなあ(笑)




るろうに剣心

2013-01-02 14:46:30 | 時代劇
というわけで(何が?)、新春第一弾は、大友啓史監督、佐藤健主演の映画「るろうに剣心」を取り上げてみます。

本当は劇場で観たかったのですが、なかなか時間が取れなくて、結局DVDにて鑑賞しました。

時代劇といえば、その最大の見せ場は殺陣ですが、この作品の場合は殺陣というより、「ソード・アクション」と言った方がピッタリきますね。これまでの時代劇が積み上げてきた殺陣の様式の、良い部分は残しつつ、まったく新しいものに仕上がっています。佐藤健の高い身体能力が、さらにそのアクションの質を高めており、非常に説得力のある画に仕上がっています。
日本のアクションものの最大の弱点は、その“わざとらしさ”にあったと思うんです。かつてのJACが犯した過ち…それを繰り返している限り、日本のアクションに明日はない。この作品のアクションは、マンガ的ではあっても決してわざとらしくはない。日本のアクションの新しい地平が見えてきた気がします。

佐藤健演じる緋村剣心は、幕末の頃、長州の桂小五郎の下にあって、多くの人をその剣技で血祭りにあげた男、緋村抜刀斎。神速と呼ばれるほどのスピードで、複数の敵をあっという間に斬り殺す。その凄まじいほどの腕前故「人斬り抜刀斎」と恐れられた人物。鳥羽・伏見の戦いの後、剣を捨て、10年間その行方は遥として知れなかったが、緋村剣心と名を変え、維新の成った東京へ現れる。

では他の主要人物を簡単に紹介しましょう。
神谷薫(武井咲)。神谷活心流師範。人を活かす剣「活人剣」を旨とする神谷活心流の道場を一人守る女性。

斎藤一(江口洋介)。元新撰組隊士。維新後は藤田五郎と名を変え、警察官となる。劇中では政府の要人・山縣有朋(奥田英二)と近しい関係にあるらしい。「悪則斬」を旨とし、人を斬ることを捨てた抜刀斎=剣心には批判的。

武田観柳(香川照之)。実業家、らしい。その有り余る財力をもとに、新型アヘンを使って日本を我がものにしようという邪心を抱く。香川さんは例によってかなり凝ったメイクをしており、いかにも胡散臭く、悪そうな人物を嬉々として演じています。

高荷恵(蒼井優)。高荷家は代々医者の家系だったが維新後凋落し、恵は生きるために観柳に仕え、新型アヘンの製造に携わるが、観柳の計画に恐れを抱き逃亡、剣心や薫のもとに身を寄せることとなる。

相楽左之助(青木祟高)。自称“ケンカ屋”。伝説の人斬り抜刀斎に興味をもって近づくが、剣心の人間性に魅かれ、そのままダチとなる。乱暴者だが根は素直で気の良い奴。演じる青木さんと、元総合格闘家・須藤元気とのバトルシーンは屈指の名シーン。

鵜堂刃衛(吉川晃司)。主に警察官を相手に、無差別殺人を繰り返し「人斬り抜刀斎」を名乗る。その究極の目的はただ一つ。本物の抜刀斎=剣心と戦うこと。そのため薫を人質に取り剣心を誘いだす。怒りに震える剣心。果たして剣心は、元の人斬り抜刀斎へ戻ってしまうのか…。モニカこと吉川さんの鬼気迫る演技に注目。


なかでも注目はやはり、鵜堂刃衛です。彼は鳥羽・伏見の戦いでなんとか生き残った一介の兵士でしたが、戦場に残された一本の刀を手にした途端、その刀に斬られた人々の念、痛み、苦しみ、怒り、怨みの念が、刃衛の中に入ってきた。その剣は、緋村抜刀斎、人斬り抜刀斎が捨てて行った刀だったのです。以来、刀衛は人斬りとなり、抜刀斎を追い求めるようになる。それはいわば、剣心の過去。剣心が捨てたはずの過去が、人の姿をとって剣心を追ってきたわけです。剣心は自身の、過去の亡霊と戦うことになるわけです。

人間にとって大事なことは、今とこれからを生きること。決して過去に捕われてはいけない。しかし時に過去は、強烈に人間を引き戻そうとする。それが辛い過去であればあるほどに、強い誘惑となって誘う。剣心にとっての刃衛はまさに過去の自分。刃衛を斬れば、また過去に引き戻される。しかし斬らねば薫殿が死ぬ。
どうする剣心!

私はネタばらしはなるべくしたくないので、ここから先は、実際に作品を観ていただくとしまして(笑)ドラマ的にもよく出来ています。重い過去を背負った男が、いかに今を生きていくのか。その過去を知る者達の中には、今のありかたを否定し、過去の姿へもどるよう促す者達もいるでしょう。しかし一方では、あくまでも今の姿をそのまま受け入れてくれる者達もいる。剣心にとってそれが、薫殿であり、左之助だった。
その薫殿の命を救う道が、刃衛を斬ること以外にないのなら…。

まあ、ネタばらしになるかどうか。薫殿のセリフ。
「あなたが殺した多くの人達のために、あなたが助けた多くの人達のために、あなたは人斬りに戻ってはいけない」
このセリフが、物語のすべてを語っているような気がしますね。今を生きよ剣心!
どんな苦痛が伴おうとも、己が選んだ道を突き進め!

剣心の持つ「逆刃刀」は通常の刀とは逆向きに刃が付いている。つまり、常に刃は、自分に向かっているんです。
斎藤一のセリフ
「自分に向けた刃は、いつか自分を苦しめることになる」
その刃の一つが、刃衛であったということでしょう。それでも剣心は、自分自身に刃を向け続ける。
過去を忘れず、しかして過去に戻らぬために。



御静聴ありがとうございました。本日はこれにて。