風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

義経 ~最終章~ 義経を考える

2013-01-16 22:21:09 | 義経
日本の歴史の中で、東北とはどのような“位置”にあったのか、どんな役割を果たしてきたのか。ずっと考えていました。

私が思う東北の歴史とは、一言でいえば「反骨」です。それは単純な反権力とか反社会とかいうことではないし、ましてや反天皇でもない。いや寧ろ東北は、中央などよりももっと純粋に、親天皇だったのではないかと思っています。これは理屈ではなく、そう考えなければ、自分の中でしっくりこないのです。うまく言えませんが。

反骨とは、理不尽なるものに対して断固立ち向かう態度です。東北とは常に、“真っ直ぐ”在ろうとする者達の、最後の砦だったような気がする。それはすなわち、艮金神が隠棲せられた地、その霊的磁場がなせる技か。

義経はただただ父の徒を討つため、ただただ兄の助けになるため、それだけを考えて突っ走ったと考えていいでしょう。まあ、御本人に直接お会いしたわけではないので(笑)わかりませんが、おそらくはそれ以上の野心など、持っていなかったのではないでしょうか。ただただ父のため兄のため、源氏のために戦い続けた。それなのに…。
義経の悲劇は、その真っ直ぐさ故の悲劇だった。あるいは鞍馬の魔物どもも、その悲劇に加担したかもしれませんが。

そういう意味で義経は、極めて”東北的”であるといえる。義経の中には“東北魂”が根付いていたわけです。

東北魂とは本来、すべての日本人のDNAに深く刻み込まれているものです。原日本人ともいうべき人々の血を強く受け継いでいる東北人には、特にそれが顕著に現れやすいということだと思います。義経の場合、最も多感な時期を平泉で過ごした日々が、その東北魂、つまりは日本魂を強く呼び起させたのではないでしょうか。
だからこそ、義経は多くの日本の人々の共感と同情を呼んだ。それは世代を超え時代を越え、長く長く語り伝えられてきたのでしょう。

判官贔屓とは、日本魂の伝承でもあったのだ。




こんな感じでどうでしょう?物凄く短めにまとめてみましたので、あるいは分かり難いところがあるかもしれませんが、そこはご了承下さい。

真っ直ぐ在ろうとした東北人ということで、次は「ならぬものは、ならぬものです」幕末の会津藩を、少し取り上げてみましょうかね。

次と言っても、本当にこの次とは限りませんが…(笑)