義経には数多くのエピソードが伝えられていますが、ほとんどが後世に創作されたものと思われます。「勧進帳」はその中でも、有名なエピソードの一つで、特に弁慶の見せ場です。
兄・頼朝に追われる身となった義経。山伏姿に身を窶し、遥か奥州平泉へ落ち延びようとします。途中、吉野山中で静御前と別れ、一行はどうやら、山伏達の助けを借りて、山中の道なき道を奥州まで目指したようです。平泉藤原氏は白山に多大な寄進を行っていますから、おそらくは白山系修験のサポートがあったのではないでしょうか。それ以外にも熊野系、出羽三山系等々の修験との連携があったと考えると、面白くなってきますね。
ちなみに吉野で別れた静御前はその後捕えられ、鎌倉へ護送されます。その時御前は、義経の子を身籠っており、その子を鎌倉で出産しますが、男の子だったために…。
鶴岡八幡宮で奉納の舞を舞った際、「しづやしづ」と義経への恋慕の想いを切々と謡いながら舞う御前。居並ぶ源氏の諸将を前にしての、その命懸けの舞に感銘を受けた北条政子が御前を解き放ち、御前は晴れて自由の身に。その後御前がどのような生涯を過ごしたのか、詳細は伝えられていません。
さて、勧進帳ですが、義経一行は奥州へ向かう途中、現在の石川県にあったとされる安宅の関所に差し掛かります。関守の富樫左衛門は、義経一行が山伏に変装しているとの情報を得ており、この一行を怪しんで尋問します。一行は東大寺再建のための勧進(寄付を募ること)の旅をしているとのことだったので、当然、東大寺からその依頼を受けたことを証明する書状(勧進帳)を所持しているはず。関守・富樫はそれを見せるよう迫ります。それに対して弁慶は、見せることはできないが読んで聞かせるとして、やにわに一巻の巻物を取り出し、スルスルと開きながら朗朗と読み上げます。
実はこの巻物にはなにも書いていない、まったく白紙なんです。その白紙を目の前にして、いかにも書いてあるかのように朗朗と読み上げるところが、見せ場の一つとなっているわけですね。
関守・富樫の激しい追及をなんとか躱し、関所を通ることを許された一行でしたが、富樫は、一人の若い山伏(実は義経)が腰に下げていた笛に目を留めます。山伏にしては高価な笛に不審を感じた富樫が呼び止めます。
これはマズイ!と感じた弁慶。とっさに手にした金剛杖を振り上げると、義経に振り下ろします。
「この愚か者め!貴様のせいで、あらぬ疑いを掛けられたのだ!」
何度も何度も杖を打ち下ろす弁慶。黙ってじっと耐える義経。弁慶の目には、薄らと涙が…。
これを見た富樫は失礼を詫び、酒を振る舞う。弁慶はお礼として舞を舞う。
立ち去る一行を見送る富樫の目にも薄らと涙が。富樫にはわかっていたんです。彼らが義経一行であるということを。
忠義のためとはいえ、主人・義経を激しく打擲した弁慶は、泣いて義経に詫び、自分を討ってくれと懇願します。これに義経は逆に礼を言い、弁慶を許します。
従者は主人を思い、主人は従者を思う。この美しき主従関係。関守・富樫はこれに打たれ、わかっていながら一行を逃がす。こういう話、日本人は好きですね。でもばれたら富樫さん、ヤバいんじゃない?とは誰もいわないんだな、これが(笑)
これと同種の話は忠臣蔵にもあります。大石内蔵助が京・山科から江戸へ下向する際、探索の目を逃れるため、「日野家用人・垣見五郎兵衛一行」と偽り、江戸へ向かいますが、途中で本物の垣見五郎兵衛一行と鉢合わせしてしまうんです。大石達の宿に本物の垣見五郎兵衛が、大胆にもたった一人で乗り込んでくるんです。大石と垣見とは一対一で対峙するのですが、要は垣見が、相手が大石内蔵助であるということに気づいて、これが討ち入りのための秘密行であることを察し、見逃すわけです。おまけに垣見が所持していた通行手形を、「偽者には必要ない」と言って大石に渡すんです。良い話でしょ?(笑)
そこにある種の共感があるからこそ、見逃したくなる。義経への共感、赤穂義士への共感。日本人の魂を揺さぶり続ける物語に、日本人の心性が見える気がしますね。
それにしても義経は人気が高い。かくいう私も好きですが。
さて次回は、義経の…何について書こうかなあ(笑)
兄・頼朝に追われる身となった義経。山伏姿に身を窶し、遥か奥州平泉へ落ち延びようとします。途中、吉野山中で静御前と別れ、一行はどうやら、山伏達の助けを借りて、山中の道なき道を奥州まで目指したようです。平泉藤原氏は白山に多大な寄進を行っていますから、おそらくは白山系修験のサポートがあったのではないでしょうか。それ以外にも熊野系、出羽三山系等々の修験との連携があったと考えると、面白くなってきますね。
ちなみに吉野で別れた静御前はその後捕えられ、鎌倉へ護送されます。その時御前は、義経の子を身籠っており、その子を鎌倉で出産しますが、男の子だったために…。
鶴岡八幡宮で奉納の舞を舞った際、「しづやしづ」と義経への恋慕の想いを切々と謡いながら舞う御前。居並ぶ源氏の諸将を前にしての、その命懸けの舞に感銘を受けた北条政子が御前を解き放ち、御前は晴れて自由の身に。その後御前がどのような生涯を過ごしたのか、詳細は伝えられていません。
さて、勧進帳ですが、義経一行は奥州へ向かう途中、現在の石川県にあったとされる安宅の関所に差し掛かります。関守の富樫左衛門は、義経一行が山伏に変装しているとの情報を得ており、この一行を怪しんで尋問します。一行は東大寺再建のための勧進(寄付を募ること)の旅をしているとのことだったので、当然、東大寺からその依頼を受けたことを証明する書状(勧進帳)を所持しているはず。関守・富樫はそれを見せるよう迫ります。それに対して弁慶は、見せることはできないが読んで聞かせるとして、やにわに一巻の巻物を取り出し、スルスルと開きながら朗朗と読み上げます。
実はこの巻物にはなにも書いていない、まったく白紙なんです。その白紙を目の前にして、いかにも書いてあるかのように朗朗と読み上げるところが、見せ場の一つとなっているわけですね。
関守・富樫の激しい追及をなんとか躱し、関所を通ることを許された一行でしたが、富樫は、一人の若い山伏(実は義経)が腰に下げていた笛に目を留めます。山伏にしては高価な笛に不審を感じた富樫が呼び止めます。
これはマズイ!と感じた弁慶。とっさに手にした金剛杖を振り上げると、義経に振り下ろします。
「この愚か者め!貴様のせいで、あらぬ疑いを掛けられたのだ!」
何度も何度も杖を打ち下ろす弁慶。黙ってじっと耐える義経。弁慶の目には、薄らと涙が…。
これを見た富樫は失礼を詫び、酒を振る舞う。弁慶はお礼として舞を舞う。
立ち去る一行を見送る富樫の目にも薄らと涙が。富樫にはわかっていたんです。彼らが義経一行であるということを。
忠義のためとはいえ、主人・義経を激しく打擲した弁慶は、泣いて義経に詫び、自分を討ってくれと懇願します。これに義経は逆に礼を言い、弁慶を許します。
従者は主人を思い、主人は従者を思う。この美しき主従関係。関守・富樫はこれに打たれ、わかっていながら一行を逃がす。こういう話、日本人は好きですね。でもばれたら富樫さん、ヤバいんじゃない?とは誰もいわないんだな、これが(笑)
これと同種の話は忠臣蔵にもあります。大石内蔵助が京・山科から江戸へ下向する際、探索の目を逃れるため、「日野家用人・垣見五郎兵衛一行」と偽り、江戸へ向かいますが、途中で本物の垣見五郎兵衛一行と鉢合わせしてしまうんです。大石達の宿に本物の垣見五郎兵衛が、大胆にもたった一人で乗り込んでくるんです。大石と垣見とは一対一で対峙するのですが、要は垣見が、相手が大石内蔵助であるということに気づいて、これが討ち入りのための秘密行であることを察し、見逃すわけです。おまけに垣見が所持していた通行手形を、「偽者には必要ない」と言って大石に渡すんです。良い話でしょ?(笑)
そこにある種の共感があるからこそ、見逃したくなる。義経への共感、赤穂義士への共感。日本人の魂を揺さぶり続ける物語に、日本人の心性が見える気がしますね。
それにしても義経は人気が高い。かくいう私も好きですが。
さて次回は、義経の…何について書こうかなあ(笑)