ももクロは楽曲が実は途轍もなく凄い!というのは、以前から感じていたことだし、音楽に詳しい人であればあるほどに、その部分に驚嘆を覚えるらしいです。
私には音楽的なことはわかりませんが、ももクロの楽曲が他のいわゆる「アイドル」の曲とは一線を画すものであることは、強く感じていました。たぶん音楽的に、とてもレベルの高いことをやっているんだろうなあ、きっと。
なんていう風に思っておりました。
著者の堀埜浩二氏はミュージシャンであり、ライターでありイベンターでもあり、知る人ぞ知る博覧強記なお方のようです。
「本邦の音楽批評において空前にして絶後」と内田樹氏の推薦文にあるように、その多岐にわたる知識と経験、深い感性によって試みられた、「ももクロの音楽史的、楽理的分析」(内田樹氏推薦文)は、読むものをして目を開かせずにはおかない。
一体、目から何枚鱗が落ちたことやら。
曰く
「ももクロには、日本のポップカルチャー史がまるっと収まりつつも、全く新しい”響き”を伴って、歴史を更新し続ける魅力がある」
曰く
「所詮はアイドルといった旧弊な狭量ゆえにももクロを感じることができない人間は、音楽を含む全ての芸術文化の本質というものを死んでも理解できない」
曰く
「ももクロは正しくブリコルールだ。彼女たちの音楽がブリコルールの向こう側に行き着いた今、現代思想にもより進化した言葉が要請されると、俺は考えている」
曰く
「ここで指摘しておきたいのは、アイドルからアーティストになることが進化といったことでは金輪際なく、そもそもアイドルはアーティストの一分野であると同時に、アーティストを包括するものである、という点だ。要するに軸足をどこへ置きながら活動していくか、ということが重要なのである」
なにやら小難しそうで、それでいて胸のすくような言葉が並んでいますね。
その文章は音楽理論は勿論のこと、哲学や社会思想など広範囲に渡りながらも、私のような無知蒙昧な輩にもかろうじてついていけるような内容であり、なによりも、ももクロの楽曲をいかに「正当」に評価すべきかという、「ももクロ愛」に満ちているが故の文面であり、我らモノノフとしては、その点がとても嬉しく、
溜飲が下がる思いがするのです。
曰く
「ビートルズよりも、ももクロの方が軽く5兆倍は素晴らしい」
などとは、少々、いやかなり言い過ぎかもしれませんが、それもこれも「ももクロ愛」故のこと。
まあ、一つのネタだと、思ってくれればよいのであってね。
ともかくも、ももクロの楽曲に関わっている方々は、ソングライター陣もプレイヤー陣も、今日の日本のポップ・ミュージックの第一線ばかり。そうした方々にも焦点を当て、その方々の仕事ぶりが、ももクロにおいて常に最高峰であることを指摘し、また決して「上手い」とは言えない彼女たちの歌を、「上手い歌と良い歌は違う」「ももクロちゃんは声に魅力がある」とした小坂明子女史の言葉を引き合いに出して、ももクロの楽曲とその歌声が、いかに今日のポップ・カルチャーの中で光輝いているかということを、
実に多角的に掘り下げています。
全編これももクロ愛と知的刺激に満ちた、モノノフにとってはたまらない魅力に満ち、モノノフではない人にとっても、やはり刺激的で興味深い内容になっていると思われ、
音楽に一言おありの方ならば、読まずにはおれず、
一言もない方でも、読んでみて損はないでしょう。
最後に、曰く
「ももクロの場合は、表現力の幅が広がりこそはすれ、決して成熟しない」
この意味は、まさに映画『幕が上がる』のテーマそのものであり、宮沢賢治のいう
「永久の未完成これ完成である」
的な意味合いも含んでいる、まさにこの著書の中心的テーマでもあってね。
こういう点から見ても、この著者は正真正銘のモノノフであってね。
こういう方がファンになってしまうということもまた、ももクロという存在の持つポテンシャルの高さ、潜在能力の深さを物語っている、と、言えるんであってね。
「あってね、あってね」と煩い?
これも、読めば解るんであってね。
『ももクロを聴け! ももいろクローバーZ全134曲完全解説 2008~2016』
堀埜浩二著
ブリコルール・パプリッシング刊
ちなみに「ブリコルール」とは、「寄せ集め」のことだそうです。
すでにあるもの、既知のものを寄せ集めて、全く新しいものを作り出してしまうことだそうで、これには創造性と機智が必要なのだとか。
まさしく、ももクロの楽曲そのものです。実に的確な評価なのであってね。