訪問の「訪」の字は「とむらう」とも読みます。
これは「弔う」と同じ意味なのだそうです。
例えば松尾芭蕉。芭蕉翁は西行など先人達が歌を詠んだ「歌枕」の地を訪ねて廻りました。
そう、文字通り「訪ねた」のです。
これは、先人達の魂の軌跡を辿ることで、先人の想いを知り、供養することに繋がるのだとか。
能という古典芸能は、そのほとんどに怨霊が登場します。
怨霊はこの世に残した未練やら恨み辛みやらを切々と語り、それを聞いてあげることで、怨念は昇華され、成仏できるのです。
芭蕉翁もまた、平泉を訪れた際に、戦場に散った兵達に想いを馳せ、歴史的名句を残しています。
皆さんも観光地などを訪れた際には、ただ飲み食いするだけじゃなく、その地の先人達の想いを辿るのも、一つの供養となり得るかも知れませんよ。
さらには感謝の思いなどを置けば、
なお一層、よろしいかと。
夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡