風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

東映スター・システムの極致 映画『ご存じいれずみ判官』 昭和35年(1960)

2016-06-06 06:36:32 | 時代劇










かつて、東映や日活は「スター・システム」、東宝は「プロデューサー・システム」などと云われていたそうです。


スター・システムというのは、とにかくスター俳優が一番エライ。あくまでスターさんを見せる(魅せる)ために映画を作る、ということらしく、対するプロデューサー・システムというのは、制作、監督サイドが俳優より地位は上で、俳優は制作サイドの支持通りに動く。



東映あたりの撮影所では、現場にスターさん専用の椅子が用意されていて、スターさんが座ると、なにも言わないのにタバコが差し出され、それを指に挟むと、何も言わないのに火のついたライターが差し出されたとか。まさに上にも下にも置かぬ扱い。


これが東宝の撮影所だと、スター中のスターである三船敏郎さんが、自らスタジオの庭先を箒で掃いていたそうな。

えらい違いですねえ。




その東映のスター中のスターであり、会社重役でもある片岡千恵蔵御大主演ですから、ひたすらに千恵蔵御大を「魅せる」ことに終始しており、細かいストーリーの粗なんかど返ししちゃってる(笑)






片岡千恵蔵最大のはまり役、遠山の金さんシリーズ第16作目にあたる映画で、金さんがまだ北町奉行に就任する前の話なんですね。


金さんは旗本の次男坊、兄に家督を継がせるために、わざと放蕩三昧を繰り返し、背中に彫り物まで入れて家を飛び出し、遊び人となっていました。

しかし、長崎奉行を務めていた父に、抜荷(密貿易)に加担していたとする疑いがかけられ、父の無実を晴らすために東奔西走する金さん。



もうね、冒頭の浪人者たちとのケンカシーンからして、かっこいいわけですよ。明らかな段取りだとわかる動きなんだけれども、実に華麗な動きで思わず見入ってしまう。リアルではないのだけれど、なんだろう、とても見事な歌舞伎を見せられたかのような感動を覚えるわけです。


そう、リアルさは必須ではなかったんです。この美しい「段取り」に感激する感性、時代劇にはこの感性が大事。最初から金さんが勝つことはわかりきっているわけですよ。あとはいかにかっこよく美しく、立ち回りを極めるか。


そこが大事だったわけです。



金さんはスーパーマンです。絶対負けない、なんでもできる。加賀藩の家老がどうやら抜荷にかかわっているらしいと知るや、実にあっさりと屋敷の庭先に侵入し、庭の端っこに隠れているのに、なぜか座敷の奥で密談を交わしている悪家老(山形勲)らの会話がわかってしまう。


火事になれば町火消を助けて屋根にも上がるし、娘たちが異国に売り飛ばされそうになっていると知るや、その場に駆け付け大立ち回り。


そのときの金さんおなじみの極め台詞がコチラ。


「ご存じの金さんよ!といったところで吐いて捨てるほどある名前だ。それより名札替わりに金看板の、遠山桜を見せてやらあ!」

ここで片肌を脱ぐ金さん、見事な桜吹雪のいれずみが現れる。

「なんでえ、なんでえ、なんでえ!獲れたてのフグじゃあるめえし、目をひん剥いてなんてツラしやがんでえ!いくらひん剥いて見たところで、悪に濁ったてめえたちの目の玉じゃあ、眩しくってまともにゃあ見られめえ!おう、丁度月も十六夜だ、そびら匂う夜桜を、みごと誰か散らしてみるか!」



この胸のすくセリフが終わるまで皆さんお待ちになってる(笑)。セリフが終わってから斬りかかるんですよねえ。お約束です。



ここで極め付けのシーンが、

悪家老役の山形勲さんが、大立ち回りでバッタバッタと斬りまくっている金さんに向けて、やにわに拳銃を向けるんです。どうする金さん、絶対絶命。


どうやって逃げるんだろう?観客の皆さんはハラハラドキドキしながら見ている。ところが金さん、逃げられないんですね。

山形勲さんが至近距離から銃を撃ち、金さんはそのまま川へ落ちてしまう。


金さんがやられた!?



ああ、どうなっちゃうんだろう?観客は次の展開に期待します。


シーンは翌日、例の悪家老たちが、将軍様とともに能を見る場面に移ります。



鬼の面をつけて登場する能役者。そのセリフは悪家老たちの悪行の数々を列挙、告発する内容で、色めき立つ悪家老たち。


不届き千万と捕えられる能役者たち、しかし鬼の面をつけた者だけがいない。

と、そこへ、


「遠山金四郎、ただいま参上!」の口上を上げて、長裃に着替えた金さんが、文字通り鳴り物入りで能舞台に颯爽と登場します。

まさに歌舞伎ですね、これは。


将軍様の前に平伏した金さんは、この場で悪党どもの吟味をさせてくれるよう要請します。それを鷹揚に許す将軍様。この将軍様、話が分かり過ぎる、大丈夫なのか?


まあそれはともかく、将軍様の前で、吟味を行う金さん、その姿はまさしく北町奉行、遠山左衛門尉景元。

例によってとぼける悪党ども。決定的証人は金さんという謎の遊び人以外にいない。ならばその金さんを連れて来いとはやし立てる山形勲さん。

将軍様の前で肌をさらすのは不敬であるとためらう金さんですが、こうなっては致し方なし、




「おい、望み通り金さんと、素肌に描いた金看板、共々見せてやらあ!」



ジャジャーン!片肌脱いだその肌に描かれた桜吹雪、絶句する山形勲!


「花も吉野の千本桜に、比べて劣らぬ遠山桜だ!おめえたちの散らしたつもりのこの桜も、一度ならず二度までも、こうしておがめりゃ文句はあるめえ!」




この緩急自在のセリフ回し。呼吸音すらセリフの一部と化してしまう、千恵蔵御大の「時代劇口調」は、芸術の域に達してます。






こうして悪党どもは捕えられ、「これにて一件落着」と大団円。


いやあ、よかったよかった。



あれ?そういえば銃で撃たれたんじゃなかったっけ?あれどうなったの?


まったく、全然、なんにも、


その点に触れないんですけど???????


まっ、いいか(笑)





リアルとはまったく真逆、まあなんと見事な虚構の世界か。



こうした虚構を虚構として楽しめる、


なんというか、心の余裕みたいなものを、以前の日本人は持っていたのかもしれませんね。


こういう感性、素敵だなと思いますねえ。


リアルリアルと、なんでもリアルでなきゃいけないみたいな風潮は、私には感性の摩滅のように思える。


リアルリアルと、そんなにリアルが良いかい!?


エンタメくらいは、虚構を虚構として楽しむ「余裕」が欲しいですねえ。



以前の日本人は


素敵でした。



こういう時代劇を莞爾と楽しめる、そんな日本人が、


私は好き。






時代劇はファンタジー。そのファンタジーを支えるのは、リアル非リアルを越えた域にある「表現力」。

往年の東映時代劇大スター、片岡千恵蔵。その大スターの称号は



伊達じゃなかった。







『ご存じいれずみ判官』
原作 陣出達朗
企画 玉木潤一郎
脚色 高岩肇
音楽 万城目正
監督 佐々木康

出演

片岡千恵蔵

丘さとみ
小暮美千代

千秋実

進藤英太郎

柳永二郎
阿部九州男

徳大寺伸
片岡栄次郎

山形勲

月形龍之介

昭和35年 東映映画