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【ゲームクエスト】里見の謎

2010-11-24 19:30:14 | ゲームクエスト
里見の謎(プレイステーション)

2007年6月26日掲載

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 本作「里見の謎」はスーファミ時代以前のRPGだ。グラフィックもそうであるし、稚拙なシナリオもそうである。だから駄目だ、というつもりは全く無く、だからこそいいのだと言いたい。私は本作が「大人のゲーム」であると断言する。本作が迷えるゲーム業界とゲーマー達の道しるべとなることを祈りつつ、私はキーボードを叩くとしよう。

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 ゲームって、抽象化されたルールで勝負をやりとりするものだ。いわば「ゲームのお約束」という記号が必要なんだ。見た目をいくらリアルにしたって関係ない。敵と遭遇するたびに画面がぐわーって切り替わって戦闘シーンになるなんて、その記号の最たるものだ。

 プレステが発売された頃、「ゲームの記号を廃し、記述にするんだ」なんて声をよく聞いた。リアルであり何でも出来るようなゲームは確かに誰にとっても夢であり、目指すべきものだ。だがそれは無限の彼方に存在するものであり、決して到達出来ないことを誰もが知っている。仮に到達できても、それは単なるヴァーチャル体験プログラムであり、それが面白いかどうかなんて誰もわかりはしないのだ。ゲームってリアルになれば楽しいのか?

 最近、「ゲームを無理に3Dにする必要は無い」と言う人が多い気がする。このことは、ゲームがリアルになることによって失われるものがあることを、多くの人が気づき始めたからなのではないか? 携帯ゲーム機用のソフトが売れているのと無関係ではないのではないか?

 「画面がスーファミ並み」で何がいけない? 大人なら、記号化された画面ほどゲームにのめり込めるものだ。

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 命ってかけがえの無いものだ、仲間って大切だ、自然って美しい、みんなゲームが教えてくれたことだ。

 馬鹿にするな! そんなことゲームに教えられなくたってわかっていることだ! ゲームっていつから道徳の授業のようになってしまったのだろう。ゲームに言われて初めてわかった、なんて奴はゲームなんかしてる場合じゃあない。

 ゲームを通じて得る感動があるとすれば、それは自分のプレイの姿勢に由来するものだ。ゲームの側が無理やり感動させないでくれ。

 もう一つ注意しなければならないことがある。「ゲームで命の大切さがわかった」ということと、「ゲームで人を殴る爽快感がわかった」ということは、ゲームに影響されているという点ではほとんど同じことなんだ。ゲームに好影響があるというのならば、ゲームの悪影響も認めなければならない。そうでなければあまりにも都合が良すぎる。

 それが嫌なら、ゲームの中に自分を置いてはいけない。自分の中にゲームを置くんだ。それが大人のゲームの楽しみ方だ。

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 本作は言わずと知れたクソゲー・バカゲーだ。だが、本作をプレイした上で、それでも嫌いだという人は、私の周りにはいない。プリミティヴな画面も、感動とは無縁の展開も、やたらと強い敵共も、ディスクアクセス無しで切り替わる戦闘シーンも、自ら楽しもうとするプレイヤーにとってはこの上ない福音だ。全てに突っ込みを入れつつ楽しもうじゃないか。入手可能性の低さが残念だが、本作最大の突っ込みどころである「・・・ to be continued」は、携帯ゲーム機によって実現するための予言であることを期待したい。

 ヘボ将棋を指すように、ヘボ将棋に口を挟むように、余裕のある大人が楽しむゲームだ。子供向けのゲームに見えるが、実はゲーム歴20年以上のベテラン向きである。大人とは、自分自身に学べる者のことなのだ。