おかもろぐ(再)

趣味のブログ

<< ようこそ! >>

主な記事のインデックス
ゲーム関連
ゲームクエスト投稿文
クラシックCD紹介
旅行記
日野日出志作品紹介
   

日野日出志「かわいい少女」「猟人」

2013-12-23 20:52:07 | 日野日出志
 実は同一のひばりヒットコミックス「ぼくらの先生」および「幻色の孤島」から、今回は「かわいい少女」「猟人」を紹介。いずれもホラー描写は少なく、どちらかというとサスペンスの要素が強いと言えます。

 「かわいい少女」では、旅の写真家が夕暮れに山間の村落を探しているシーンから始まります。なんとか村にたどり着いた写真家がしばらく村を散策していると、お寺で誰かの葬儀が行われている様子。そろそろどこかの家に宿泊を頼もうかと考えた矢先に、一匹の猫とすれ違います。どこか不安になった写真家は一軒の民家に入ると、さっきの猫がいます。びっくりしていると奥から小さな少女が現れます。



 マンガチックな絵ではありますが、日野日出志作品の中ではごくまっとうな「かわいい少女」と言えるでしょう。それにひきかえ、あえて猫があまりにもかわいくなく描かれています。少女の話によると、昔この村に猫を抱いた旅の僧侶が通りがかったところ足を怪我してしまい、難儀していたところを村人に助けられ、空き家となっていた寺で療養していました。怪我も治った頃、村人達は僧侶にぜひこの村にとどまってほしいと懇願し、僧侶は寺に住む事になってお上人さまと敬われるようになりました。

 そんなある日、村の若者の多吉が病で亡くなってしまい、年老いた母親が一人残されてしまうのでした。僧侶は多吉をねんごろに供養し、一晩中ずっと太鼓を打っていました。翌日母親がお上人さまにお礼を言いにいくと、多吉は猫に生まれ変わって50年生きると言い、母親も夜だけなら猫になって多吉と話をする事が出来るとのこと。母親は夜な夜な猫になって多吉と会っている事を村人達が聞き、その光景を目の当たりにした村人達も夜には皆で猫に変わるようになったのでした。



 そして少女の懐から出された手は猫のように毛むくじゃらで爪があり、写真家は思わず逃げ出してしまいます…。このページで少女の顔がどんどん歪んでいくのが見せ場です。

 おそらくその後、写真家は村の様子を見て少女に一本とられたことに気付くでしょう。想像力豊かな少女の話には強い説得力があって、写真家がそれに呑み込まれてしまうのが恐ろしくもあり滑稽でもあります。そしてこの少女と写真家の関係は、日野日出志と読者の関係にもそのまま当てはまるような気がします。


 一方、猟犬を連れ猟銃を持った猟人が吹雪の山を行くところから「猟人」は始まります。獲物を探していると、急斜面で握っていた木の枝が折れてしまい、猟人は谷底へ転げ落ちてしまいます。気が付くと、囲炉裏のある民家の中。奥から老人が現れて、鍋料理や酒で猟人をもてなします。老人は山奥に住んでいる事もあって時々人恋しくなるから、猟人が来てくれたのは嬉しいとのこと。おもわず二人は酒を飲み過ぎ、猟人は狩猟談義を老人にぶつけます。



 このあたりのセリフのやり取りが筒井康隆の小説みたいで、なかなか面白い展開とテンポです。絵もデフォルメ化が進行していて、一見ほのぼのした雰囲気もありますが、それでいて時々挿入される剥製の絵や暗い背景が緊張感を持続させています。

 酔いつぶれて眠っていた猟人は寒さで目を覚まします。たき火が消えていたようで、老人が薪を持って入ってきます。酔いがさめた猟人は妙にしんみりとしてしまい、老人が言うには「吹雪の音には日頃の動物達の怨みがこもっている」。気まずくなりかけたところで老人は自分のコレクションを見せようと言い出し、とある部屋に案内されたところ…。



 酒を飲みながらのやり取りを全て返されてしまいます。ここの老人の顔はいい絵ですね。目の焦点は定まっているし、影も効果的です。頭蓋骨は生々しくはありませんが、その悪意の無さが逆に恐ろしくもあります。なんでも、老人は迷い込んだ猟人達の頭蓋骨を100個集めるのが一生の悲願であり、今までに99個手に入れていたために夕べは嬉しくて飲み過ぎてしまったそうで…。

 老人は「んじゃ何かね 人間以上の動物がいれば 人間を狩猟してもいいのかやね……」と言っていましたが、老人はなにも自分を人間以上の存在とは考えておらず、むしろ動物も人間も対等だと考えているからこそ人間に銃を向けるに違いありません。それにしても二重の意味で人を喰った話と言えましょう。

 上記の両作品はいずれも山里の民家が舞台で、会話の妙で話が進行していくという共通点がありました。日本の民話と映画という日野日出志作品の原点に近いところで、サスペンス的な見せ方を追求したのがこれら作品なのかも知れません。


日野日出志作品紹介のインデックス

リゲティ:自動演奏楽器のための作品集

2013-12-08 20:03:25 | CD


ジェルジー・リゲティ:
・コンティヌウム
・ハンガリアン・ロック
・カプリッチョ 第1番
・インヴェンション
・カプリッチョ 第2番
 バレル・オルガン:ピエール・シャリアル

・100台のメトロノームのための「ポエム・サンフォニック」
 メトロノーム:フランソワーズ・テリュー

・ムジカ・リチェルカータ
 バレル・オルガン:ピエール・シャリアル

・ピアノのための練習曲より
・コンティヌウム 2台のプレイヤー・ピアノへの編曲
 プレイヤー・ピアノ:ユルゲン・ホッカー

SONY: SRCR 2155



 このところドイツ・オーストリア系の重めのディスクが続いていたので、今回は別の路線。ハンガリーのジェルジー・リゲティによる自動演奏楽器のための作品集です。

 以前のリゲティ作品の紹介ではトーンクラスターの技法を主に紹介しましたが、ほかにも特徴があります。ここでジャケット写真をみてみましょう。このアインシュタインを思わせるおじさんがリゲティで、もともとはまさに物理学を志していたそうです。そのためか、作品には数理的な要素が強く感じられるような気がします。このディスクで全て自動楽器による演奏で、そのメカニカルな特徴がより強調されたと言えるでしょう。

 とはいえ、実は一曲を除いて本来は人間が演奏するための作品で、その自動楽器バージョンでの収録。けれども、いずれもこんな曲を人間が一人で演奏できるのか?ってくらいの難曲だと思われます。

 まずはこのディスクと同じ音源であろうバレル・オルガン(自動オルガン)バージョンの『ハンガリアン・ロック』の動画をどうぞ。



 もうほとんどテクノかつプログレッシブでカッコイイ! パズルゲームみたいな音楽です。速い9/8拍子で普通にリズムを追うだけでも大変なのに、複雑な旋律とハーモニーを伴っていて聴き取るだけでも大変です。終盤は一変してシンプルで透き通った和音進行となり、以前紹介した『ルクス・エテルナ』を思わせます。

 他の収録曲もこのような作品で、人間ではとても正確にはできないようなリズムを、粒がそろったまま聴く事ができるという興味深いディスクです。11曲からなる『ムジカ・リチェルカータ』(「探求された音楽」のような意味)もジョークが効いていて、機械がひねりの利いた音楽をまさに機械的に奏でるのがユーモラス。『ピアノのための練習曲』からは6曲を抜粋。それらのタイトルは「目眩」「悪魔の階段」「無限柱」などで、そう思って聴くとCGで作られたそんな光景が見えてくるよう。

 リゲティとしてはこれら作品を正確に演奏する事を求めていたのか、あるいは演奏者の好みのフレージングやクセを(むしろ)強調して欲しかったのかはわかりません。ただ、どちらの演奏もこれら作品の魅力である事は間違いないでしょう(ただしまともに演奏できれば)。



 こちらは『ハンガリアン・ロック』ハープシコードでの手動演奏バージョン。演奏は台湾の打楽器奏者Ying-Hsueh Chen。技術的に凄いのはもちろんですが、なかなかの熱演で聴き入ってしまいます。



 『ムジカ・リチェルカータ』7曲目の手動演奏。右手の歌うようなワルツに対して、左手のアルペジオは拍子とは関係なく進行。一種のポリリズムと言えますが、むしろ左手は雰囲気のような効果。シンプルな楽譜面ですが、手動での演奏は困難を極めそう。

 もう一曲、このディスクで唯一の人間による演奏を想定されていない『ポエム・サンフォニック』は100台のメトロノームによって演奏されるという、何を言っているのかわからない作品も収録されています。メトロノームはリズムを取るための機械であって、楽器ではありません。この曲ではそれを100台も使って一斉に動かし、それぞれが固有のリズムを取ってグチャグチャの騒音を鳴らします。ところが中盤になると振り子の勢いがなくなったメトロノームは止まり、リズムの断片のようなものが聴こえてきます。そして終盤では生き残った数個のメトロノームが明確なリズムを刻み、やがて全て止まる、という驚きの仕掛けを持っています。動画もいくつかあるようなので、興味のある方は探してみてください。


クラシックCD紹介のインデックス

ワーグナー・ストーリー

2013-12-01 21:44:33 | CD


リヒャルト・ワーグナー:
・歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲
 指揮:ビイストリック・レズッカ(ビストリーク・レジュハ)
 スロヴァキア・フィルハーモニック・オーケストラ

・楽劇「ワルキューレ」ワルキューレの騎行
 指揮:カルロス・ウンガー
 サウスウエスト・スタジオ・オーケストラ

・楽劇「神々の黄昏」より 葬送行進曲
 指揮:ジョネル(イオネル)・ペルレア
 ウルッテンベルグ・ステート・オーケストラ

・歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
 指揮:ビイストリック・レズッカ(ビストリーク・レジュハ)
 スロヴァキア・フィルハーモニック・オーケストラ

・楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
 指揮:ビイストリック・レズッカ(ビストリーク・レジュハ)
 スロヴァキア・フィルハーモニック・オーケストラ

・歌劇「タンホイザー」序曲
 指揮:アルフレッド(アルフレート)・ショルツ
 フィルハーモニア・オーケストラ・ロンドン

ピジョン: FX-221



 私の好きな安物CDです。タイトルは「ワーグナー・ストーリー」といって、いかにもクラシック愛好家以外の層を狙ったようなシリーズ。ジャケットは奇麗な写真だけど音楽とは何の関係もなく、単に「○○・ストーリー」というシリーズとしてインテリア的な統一感があればいいという狙い。CDケースは逆開きで、なけなしの個性を演出。それと、こんな事まで言うのも我ながらどうかと思うけど、製品コードの「FX」というのも中二っぽいです。そして何より、カルロス・ウンガー指揮とかサウスウエスト・スタジオ・オーケストラとかは、もしかして幽霊指揮者・幽霊オケなのではないでしょうか? なんとも偽名くさい。なんせ他にもアルフレッド(アルフレート)・ショルツの名前もありますし(詳しくはこちら)。ここまでくると安物CDの数え役満と言っていいでしょう。

 でも私は全然構わないのです。特にワーグナーの音楽は、指揮が凡庸であっても、オケが頑張って鳴らせばそこそこの熱演になってしまうのです。金管楽器が分厚い和音をフォルテシモで鳴らし、弦楽器がシャカシャカやって、とにかく音を出すだけで聴く人を圧倒するパワーがワーグナーの音楽にはあるのです。その特徴として、特定の人物や出来事を表すライト・モチーフというフレーズの導入、半音階の多用、シーンの切れ目に影響されない無限旋律、巨大なオーケストラ編成などが挙げられます。特にライト・モチーフについては現在の映画音楽の原型と言えるでしょう。

 ワーグナーの主要な作品はほとんどが歌劇(楽劇)で、全曲を聴くと数時間どころか数日かかるようなものもあります。したがって、それらの有名な部分がまとめられてCDになっていることが多くあります。このディスクもそういったものの一つで、「ローエングリン」と「ワルキューレ」について今回はちょっとだけ書いてみましょう。

 歌劇「ローエングリン」はアーサー王伝説に出てくる騎士ローエングリンのエピソードを描いた作品で、その中の「結婚行進曲」が有名です(一番有名な「結婚行進曲」はメンデルゾーン作曲)。第3幕への前奏曲は華々しく勇ましいオーケストラ・ピース。とにかく上に書いた通り、金管楽器が分厚い和音で旋律を奏で、弦楽器が高音でシャカシャカやる、という音楽。音楽の素材は多くなく、とにかくテーマを繰り返し流すだけだと言えますが、それだけに記憶に残って一緒に歌いたくなります。

 ところがこの「ローエングリン」はヒトラーが大好きだったようで、ナチスに利用されたという経緯があります。ヒトラーが演説の前にこの第3幕への前奏曲を流して聴衆を高揚させたとのことです。確かにワーグナーのこの手の作品は全能感がありますし、それに続く言葉を正当化するような強制力を感じます。そんな不幸な使われ方もありましたが、音楽の価値と魅力に変わりはありません。



 動画はフランツ・ウェルザー・メスト指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。わりと軽めかも知れません。

 楽劇「ワルキューレ」は4日間にわたって上演される『ニーベルングの指輪』の中の一つ。ワルキューレとは、北欧の主神オーディンのもとに戦死した勇士の魂を運ぶとされる女神達のこと。英語ではヴァルキリー。「ワルキューレの騎行」は、「ホーヨートーホー! ハイヤハー!」という掛け声とともにワルキューレ達が岩山に集まってくるシーンの音楽。やっぱり音楽の細かい構造はなく、一つのテーマで押し切った感はありますが、その説得力は尋常ではありません。

 映画「地獄の黙示録」でこの曲が使われているのは余りにも有名。それも、アメリカ軍の戦闘ヘリに乗った軍人がこの曲を大音量で流しながらベトナムの村を焼き尽くす、というシーンで。これも現実で考えると褒められたシーンではありませんが、その音楽の効果のほどは絶大と言えましょう。全てを正当化する強制力がここでも活かされているのです。



 こちらの動画はダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。

 ワーグナーの音楽のこういう特性のためか、私の友人には「クラシックは聴かないけどワーグナーだけは聴く」という友人がいます。善良な男なので、大それた事をしないとは思いますが……



 蛇足で、レトロゲーマーの皆さんにとって「ワルキューレの騎行」といえばジャレコの「フィールドコンバット」。面白いかどうかもわからない謎のゲームでした。

クラシックCD紹介のインデックス