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【ゲームクエスト】ティズ トウキョウ・インセクト・ズー

2011-01-31 20:19:08 | ゲームクエスト
ティズ トウキョウ・インセクト・ズー(プレイステーション)

2009年4月23日掲載、これもちょっとどうなんでしょう。

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 夏休みのある日、不思議な少女に出会った主人公のリョウは突然カブトムシになってしまった。リョウは戸惑うが、カブトムシの仲間達とともに「お母さん」を探して森や砂漠など様々な場所を冒険することになった。だが、そこは閉鎖間近の「東京昆虫博物館」の中であり、環境の制御が失われて気温が低下していく。虫たちの運命はどうなるのか、なぜ主人公が虫になったのか・・・。

 これが「ティズ トウキョウ・インセクト・ズー」のあらましである。なかなか興味深い展開であり、クリアしてしみじみとした気分を味わった。素晴らしい作品である。絵本が原作であるらしい。本作のことがとても気に入っているという人もいるだろう。

 だが私は納得していない。なぜなら、本作のオビに「ゲームを、ゼロから変えてみた。Playing Movie Game」と書いてあるからだ。こうきたら、あとは私のいつもの主張である。

 「作品」としては素晴らしくとも、これは断じて「ゲーム」ではない。ゼロ(原点)から変えてしまったものはもはやゲームではない。もしオビに「インタラクティブ・デジタル絵本。お子様の誕生日プレゼントに最適!」と書いてあれば私も納得できるのだが。

 例えば「ラーメンをゼロから変えてみた」としよう。麺の代わりにご飯を、スープの代わりにカレーを入れてみたとしよう。果たしてこれをラーメンと言えるのか? こんなものは「ラーメンどんぶりに入ったカレーライス」であると誰もがわかるのに。

 知恵(と操作技術)を使って勝利を目指し、その過程を楽しむのがゲームだ。かつてゲーマーはゲーム戦士だったものだ。ゲームとは何かを「描く」ためのものではないのだ。描かれたものを「観るだけ・読むだけ・眺めるだけ」のものはゲームではない。ゲームではなくなったものを「革新的なゲーム」みたいに表現してはならない。

 面白ければなんだっていい、と言う人もいるだろう。全くそのとおりだ。面白ければゲームでなくともいいのだ。これはゲームである、とさえ言わなければいいのだ。売れるものを作るのは企業として当然で、消費者がそれを求めているのである。ただし、国内に限り。

 日本のゲームが世界に通用しなくなってきていると言われている。ごく端的に言って、その原因を私は次のように考えている。かつての日本のゲームは緻密な設計のために世界に認められていた。だがゲーム機の性能向上に伴って、「緻密」であることと「繊細」であることが混同され、(ゲーム以外の)何かを繊細に「描く」ことにばかり向かってしまい、緻密さが失われたのである。繊細さとは日本人の特性なのだろうが、海外で必ずしも理解されるとは限らない。今後の日本のゲーム業界に必要なのは、何かを繊細に描くためのクリエータではなく、ゲームを緻密に設計する職人なのである。

 本作はプレステ初期に発売された。やはりそうだ。当時の多くのクリエータは何かを描きたかったのだ。確かにその当時、このようなものを描こうとすれば、プレステなどのゲーム機で開発するのが簡単だし、しかも金になっただろう。だがその時点でラーメン屋がラーメンという名のカレーライスを作ってしまったのだ。変わっていないのはゲーム機という器だけ。そしてこれをなぜか新しいラーメンだと思い込んでしまった消費者も多かった。古くからの客が「最近のゲームはつまらない」というのもよくわかる。ラーメンを待っていたのにカレーライスが出てきては納得がいかないだろう。今となっては、ゲームを3あたりから変えてみたWiiとDSには期待したいところだ。

 業界への文句ばかり書いてしまったが、デジタル絵本としては本作をオススメできる。さすがに今見ると技術的には未熟だし、中盤にはどこにいけばわからない時もあったが、斬新な部分もいくつかある。会話は字幕なしのフルボイスで、ホンジャマカの石塚氏や爆笑問題の太田・田中両氏のほか、前田愛氏(声優ではなく女優さんのほう)も出演しているので、そちらのファンの方もどうぞ。

オネゲル:交響曲第1番、他

2011-01-30 21:27:03 | CD


アルテュール・オネゲル:
・交響曲第1番
・夏の牧歌
・交響的断章第1番「パシフィック231」
・交響的断章第2番「ラグビー」
・交響的断章第3番

指揮:シャルル・デュトワ
バイエルン放送交響楽団

ERATO: ECD 88171



 昔スイスに行った時、20フラン紙幣の肖像画を見て「どこかで見た顔だな~」と思って名前を見ると、作曲家アルテュール・オネゲルでした。オネゲルはスイス人の両親のもとにフランスで生まれそこで活躍したのですが、生涯スイス国籍であり、スイスでは著名なスイス人の一人として認識されているようです。

 オネゲルの交響曲において、第2~5番と比較すると第1番はあまり知られていないようです。確かに第3番は名曲だし私も好きですが、それ以上に好きなのがこの第1番なんですね。特にデュトワがやたらと挑発的に演奏している第1楽章の苦々しさにはシビれまくっています。ここで聞き取れるような複雑さ、せわしなさ、不安定さ、ほの暗さなどが構築的に積み上げられていくのがオネゲルの音楽の特徴です。

 交響的断章の3部作が収録されているのもこのディスクの目玉ですね。「交響的断章」というのは英語では「Symphonic Movement」です。この「Movement」を「運動」と訳す場合もありますが、これら3曲は明らかに運動的な効果を狙った曲なので、どちらの意味をも持った一種の掛言葉なのでしょう。正確な日本語訳ができないタイトルです。第2番「ラグビー」に引っ張られたせいか、時々「運動交響曲」と訳される事もありますが、これは明確な誤り。

 交響的断章第1番「パシフィック231」は名曲中の名曲。奇妙なタイトルですが、機関車の名前です。音楽も機関車が走り出してから止まるまでを描写しているように聴こえますが、「パシフィック231」の名前は後付けだというのが作曲者本人の言。ホントかな? それにしてもこのリズムやアンサンブルのメカニズム、ガシュガシュ感がたまらんですね。

 下はYouTubeで見つけた変な動画。「パシフィック231」の演奏に、鉄道シミュレーションゲーム「Microsoft Train Simulator」のプレイ動画を重ねたもの(だと思います)。誰の演奏なのかは不明です。



 ちゃんと駅に止まろうぜ?



 こちらも演奏者不明の交響曲第1番の第1楽章。このビターで人工的な楽想がクセになります。


クラシックCD紹介のインデックス

【ゲームクエスト】ASO II

2011-01-29 19:39:39 | ゲームクエスト
ASO II(ネオジオ)

2009年4月6日掲載、麻生政権時代でした

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 個人的に麻生首相を応援しているのですが、マスコミは麻生首相へのバッシングが激しいですよね。麻生内閣が成した業績についてはろくに報道せず、漢字が読めないとかラーメンの値段がわからないとか揚げ足を取るようなことばかり。なぜなんでしょうか。マスコミを牛耳っている何らかの勢力が世論を操作し政権交代を誘導している、なんていう想像も膨らむゲーム保守派のおかもろ(再)です。

 さて、「麻生」といえば「ASO」です。初代ASOは1985年に発売されたアーケードのシューティングゲームです。高度の情報処理能力と複雑な操作を要求するゲーム性が、抽象的でドライなビジュアルと熱血BGMと相まって、同時期のパワーアップシューティングと比較してもかなり異質でした。続編の「ASO II ラストガーディアン」は1991年にネオジオで発売されました。グラフィックはより派手に、BGMは幻想的になり、ネオジオ初期の目玉ゲームでした。

 「ASO IIは続編というよりリメイク」という雑誌の記事を以前読んだことがありますが、確かにヤヤコシイ作りは変わっていません。トライ&エラーによる攻略パターン作成が必要なのに対し、パーツ出現のランダム性と難易度自動調整のゆらぎがあって、独特な難しさがあります。その難しさを強力なアーマー攻撃でひっくり返すのが本シリーズの面白さなのです。

 プレイヤーはまず自機の基本性能をアップしなければなりません。3種類のパネル「S(スピード)、L(レーザー)、M(ミサイル)」を取ってパワーアップしないと先に進むことは不可能です。それはまるで、政治家が「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」という3つのバンを必要とするように。もし自機がやられても、「K(キープ)」パネルを取っていればパワーアップは失われません。先代の築いた遺産を引き継げます。世襲議員です。

 本シリーズの目玉であるアーマー攻撃を行うには、各アーマーに対して3つのパーツを集めなければなりません。政治家になるには票を集めなければならないのと同じです。その後にアーマー選択ウィンドウを開いて必要なアーマーを選択します。アーマーを取得するにはパーツを集めるほかに、「G(ゴールド)」パネルを集めることでステージ間に購入できます。政治の世界と同様にお金も必要なのです。

 アーマー装着中は自機に耐久力がついて、エネルギーゲージが無くなるまでシールド代わりになります。攻撃(批判)を受けるとゲージ(内閣支持率)が減りますが、「E(エネルギー)」パネルを取るとゲージ(内閣支持率)が回復します。ゲージがなくなるとアーマー分離(辞任)です。アーマー攻撃はいずれも強力ですが、使うたびにエネルギーゲージが減ります。ボス(社会情勢)などに対して適切なアーマー攻撃(政策)で対処しないと、無意味にゲージ(内閣支持率)が減るので注意です。ボスを倒せばステージクリア(任期満了)。

 ASOの特徴の一つに敵が撃つ誘導弾の存在があります。誘導弾をおびき寄せて近くで避けると誘導能力を失うのです。多くの誘導弾をまとめて処理できると、秘書に罪をかぶせて責任を回避する政治家のような「うまくごまかせた感」が味わえます。

 プレイしていて作業をしているという感覚が薄いのも、プレイごとにハラハラさせる一因です。ボスが近づいているのに有効なアーマーのパーツがそろっていない時など、「最後のお願いに参りました! 何とぞあなたの清き一票を!」っていう悲壮感が漂います。それでもパーツが集まらなかったら、「解散総選挙!」と叫んでリセットボタンを押したりするのですが…。

 アーマーを装着したままだとGパネルが出ないので、アーマーの入手はパーツの引きに左右されます。逆にアーマーをケチっているとGパネルで好きなアーマーを買えますが、常に被弾のリスクはあります。これらのプレイスタイルのどのあたりでバランスを取るかがこのゲームの一番難しいところではないでしょうか。続投か、退陣か。

 ネオジオ初期の作品だけあって画像周りや操作感がこなれていない感じはありますが、ランダム性も含めたヤヤコシイ要素をまとめ上げたゲーム性は見事です。二人同時プレイも可能なので、連立政権を樹立して数で勝つこともできます。

 これはもはや「ポリティカル・シューティング」!? さすがに麻生首相の名を冠するだけのことはありますね。私は心より麻生首相を応援しています。

スペインツアー その3

2011-01-28 20:03:45 | 旅行
スペインツアー その2の続き

 オレンジ、火祭り、パエリア発祥の地で有名なバレンシアですが、この日はかなりの距離の移動日でもあったため、この地での観光はスケジュールの都合で早朝の市内散策のみでした。


まずはカテドラル(教会)裏のビルヘン広場の噴水です。
奥に見える塔はカテドラルのミゲレテの塔です。


カテドラルの正面です。
なんせ早朝なので、中には入れませんでした。


レイナ広場から振り返ると、カテドラルのファサード全体が見えます。
この後、すぐ近くの世界遺産のラ・ロンハという15世紀の商品取引所の建物の近くも通りました。

 市内散策もそこそこに、バスに乗ってたどり着いたのがスペイン中部のラ・マンチャ地方の小さな町、カンポ・デ・クリプターナ。この地方にはあちこちに「ドン・キホーテ」のモデルとなった風車が建っています。その中でもカンポ・デ・クリプターナには観光用に10基の風車が保存されています。


町外れの丘の上にやってきました。
赤い大地に白い風車が建ち並んでいます。


ある風車では内部に入る事が出来ました。
粉挽きの仕掛けなどを見られますが、外の風景も良かったです。


現在、風車は動かないように固定されています。
近くから見上げるとご覧の通り。


ドン・キホーテよろしく風車に飛びかかる嫁。
攻撃が届かず引き分けです。

 この日はさらに移動して、グラナダで宿泊。我ら夫婦にとって最大の目的がグラナダにありました。

つづく

【ゲームクエスト】ザ・マエストロムジーク

2011-01-27 19:09:49 | ゲームクエスト
ザ・マエストロムジーク(プレイステーション)

2009年3月25日掲載

参考:ザ・マエストロムジーク ツヴァイ

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 指揮者ゲームとしては世界初ではないけれど、指揮棒を使うゲームとしては多分世界初の「ザ・マエストロムジーク」。

 本作はもちろんクラシックの音ゲーです。いやあ、クラシックは素敵ですね。でもクラシックと同じくらい素敵なのがシューティングゲームなのです! 本作には三つのミニゲームが収録されているのですが、そのうちの一つが「業界初! 『振る』横シュー OTOKICHEY(オトキチー)」なのです。

 指揮棒コントローラの二つのボタンで自機を上下に操作し、コントローラを振って攻撃します。振り方の強弱で攻撃の種類が変わってくるので、あえて強弱をつけて振るといろんな攻撃が出て効果的です。

 それにしても、これは燃える! 全身でシューティングしている感じだ! 音ゲー本編で遊べる「カルメン」と「ワルキューレの騎行」をBGMに、力の限り指揮棒をブチ振るえ! 嫁が「ドナドナを歌っていそうな目」で私を見ているが、気にすることはないぜ!

 他のミニゲームは、ピザ生地を投げ上げるものと釣りゲーです。そういえば釣りゲーのコントローラも振ることで操作していましたね。ただし汎用性は指揮棒コントローラのほうが高そうです。

 「振る」コントローラとしては、Wiiに五年以上も先行しているという実績! 本作のミニゲームで示されたように、この「振る」コントローラが当時もっと様々なゲームで活用されていれば、現在のゲーム業界も違ったものになっていたのかも知れません。

サンダーフォースと私

2011-01-26 20:09:42 | ゲーム
 世の中に「サンダーフォース」のディープなファンは多いと思われます。実は私はファンというほどでもなくて、「昔はよく遊んでいたなあ」という程度です。というわけで、ちょっくらおっさんの昔話が始まります。「へ~、昔のサンダーフォース周辺ってそんなんだったのね」という軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。

 1984年にX1という8ビットパソコンを買いまして、その後ほどなくして購入したのがテープ版の「サンダーフォース」です。現在のシリーズとは異なり、トップビューの8方向スクロールのシューティングでした。当時多くの機種に発売されていましたが、おそらくこのX1版が元祖だと思われます。

 X1にはPCGという機能がありました。これは、8×8ドットで構成された文字フォント一つ一つ(全256文字)にグラフィックパターンを与える事ができるというものです。これによって、メモリにたった1バイト書き込む事で8×8ドット(ドット毎に8色)のグラフィックが表示されるのです。このPCGこそがX1の優位性でした。そして「サンダーフォース」などの多くのゲームでは背景をPCGで表示する事で、カラフルかつ高速の背景スクロールを実現していました。その後に発売されたPC8801版サンダーフォースなどでは、グラフィック処理を軽減するためにRGBのうち一つのグラフィックプレーンだけを背景に割り当てておりました。その結果、背景がモノトーンとなり、スクロールも遅いものでした。

 もちろんPCGにも弱点があります。文字コード256文字分しか使えない事と、8×8ドット毎でしか表示できない事が挙げられます。特に後者の弱点によって、スクロールの粗さをごまかすために高速になります。この結果、X1版サンダーフォースは動作が速過ぎてうまく遊べませんでした。さらにテープ版はジョイスティックに対応しておらず、テンキーでのプレイが強いられていました。私は最高4面までしか到達していません。

 X1版では音楽はありませんが、ステージ開始時に「サン~ダ~フォ~~ス」とPCがシャウトしていました。PSG音源による無理矢理の音声合成です。確かこの音声を別のテープに録音した音声に入れ替えるという裏技があったような気がしますが、詳細は憶えていません。ちなみにゲームのテープをラジカセに入れて再生しながら早送りすると、途中で「サン~ダ~フォ~~ス」のシャウトが聴こえます。

 製作者は吉村ことり氏という方で、他にも「スターフリート」や「プラズマライン」などの名作を手がけ、アルシスソフトを立ち上げた後も「ウィバーン」や「スタークルーザー」を制作しているものすごい人です。「プラズマライン」は8ビットパソコンで3Dポリゴン表示によるリアルタイムなゲームを成し遂げた奇跡の一本です。また、「スタークルーザー」は私の人生でベスト10に入るほどのゲームです。

 「プラズマライン」は宇宙空間でのレースゲームです。出場者には我らが太陽系のほか、「サンダーフォース」のオーン星系、「スターフリート」のエイリゴン星系が参加しています。「プラズマライン」の設定ではかつて太陽系とオーン星系が敵対し、「サンダーフォース作戦」にて太陽系が猛攻を仕掛けたことになっています。このあたりはその後の「サンダーフォース」の設定と異なっているようですね。

 初代「サンダーフォース」の次は、X68000版の「サンダーフォースII」をプレイしクリアしています。これは従来のトップビュー8方向スクロールと横スクロールのステージが交互に現れるものでした。トップビューのステージはアクションシューティング的で面白かったのですが、横ステージは普通だったような記憶があります。

 舞台をメガドライブに移し、横スクロール限定となった「サンダーフォースIII」ですが、ハードを持っていなかったため私はプレイしていません。アーケード移植版の「サンダーフォースAC」をぼちぼち遊んだ程度です。また、「サンダーフォースIV」もプレイ経験無しです。きっと現在のコアなファンはこの頃からのプレイヤーが多いのでしょう。

 プレステでの「サンダーフォースV パーフェクトシステム」はそれなりにやり込みました。いろんなレベルで楽しむ事が出来る名作です。

 プレステ2の「サンダーフォースVI」は、うーん、あまり言及したくないけど、変な作りで安っぽさもあります。それでも全く遊べなくはないです。まあせっかく買ったんだから、ちょっとでも楽しんだ方が得だろうな、と。バグがあるとの噂ですが、私は幸いにも出くわした事はありません(本当にバグってあるのかな?)。

 こんな感じでシリーズと付き合っております。好きかと聞かれれば、もちろん好きと答えます。現在のサンダーフォースファンのメインストリームからは外れているかも知れませんが、「III」や「IV」がプレイできる環境があればやり込んでみたいし、「VII」以降が発売されるというのなら(またヤバそうな出来でも)まずは購入してプレイしたいですね。




 「スタークルーザー」の動画が削除されていたので、プレステ版Vのステージ5。前作の自機との一騎打ちという熱い展開。

【ゲームクエスト】サンダーフォースVI

2011-01-25 19:36:01 | ゲームクエスト
サンダーフォースVI(プレイステーション2)

2009年2月13日掲載、これは最高に恥ずかしいけど、いろいろと大丈夫かな?

関連記事:サンダーフォースと私

参考:サンダーフォースV パーフェクトシステム

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 非常に恥ずかしかったのです。

 というのも、プレステの「サンダーフォースV」の私の投稿文の中で、「サンダーフォースVI」に対して「シューティング復活の第1弾、皆で盛り上げましょう!」などと書いてしまったからです。恥ずっ!

 発売前から「VI」について不穏な空気が漂っていたのですが、発売後は集団リンチによる公開処刑同然でした。私も多くのプレイヤーと同様に相当ながっかり感を味わいました。散々語られてきたことですが、以下にまとめてみましょう。

 まず最大の違和感は、製作者の趣味によって西夏語とモンゴル語が用いられたことです。理由も不明だし、これではサンダーフォースの私物化です。また、演出などが「V」とほとんど同じだった点も満場一致でがっかりでした。

 音楽に関して言えば、一つの楽曲としてはいいものの、サンダーフォース以外のシューティングとしか感じられませんでした。特に最終面のトルコ行進曲風のBGMには意表をつかれました。昔「なるほど・ザ・ワールド」でこういう音楽が流れていたのを思い出しましたよ。

 エンディングは何種類かあるのですが、低難易度でクリアすると「V」の悪質なパロディのようなバッドエンディングが流れます。これは笑うところなのでしょうか?

 この時点で中古ショップに本作を売りに奔走したプレイヤーも多いでしょう。私は定価で買ったこともあって、「なんか褒めるところないかなあ」とプレイを続けていたのです。

 すると、第2の恥ずかしさがこみ上げてきました。

 上の文章では「演出・音楽・エンディング」ばかりを批判しています。ですが、そもそも私は「V」の投稿文で「演出・音楽・エンディングに酔えるという理由だけで人様にゲームをオススメしたりはしません」と書いたではありませんか。これを逆に言えば「演出・音楽・エンディングに納得がいかないという理由だけで人様にオススメできないとは言えません」ということです。自分が書いた文章には責任を持たねばなりません。

 ではゲームとしてどうなのかと冷静に判断すると、前作のようにフリーレンジだけでなく、難易度が低いうちから武器の選択が必要であり、前作よりも操作の楽しみは大きいと言えるでしょう。

 さらに、低い難易度をクリアしているうちに攻略パターンが最適化され、高い難易度に挑戦しても対応できるために「上達している!」と実感できるのです。落ち着いて攻略すれば、多くの人が最高難易度をノーミスでクリアできそうです。1プレイも30分程度なので、つい連続して何度もクリアしてしまいます。ストレスを軽減しつつ挑戦意欲を持続させるという調整はお見事!

 じっくり遊ぶと、ゲームとしての確かな作りが理解できます。その点に関しては前作よりもわかりやすいかもしれません。他にもタイムアタックやネオモードなども攻略のし甲斐があります。ハイスコアの追求も例によって熱いです。

 そしてさらにプレイを続けていると、「そういえば西夏は13世紀にモンゴル(元)によって滅ぼされたのだったな、なにやら暗示的だ」とか、「隠し機体で最終面に進んでも、トルコ行進曲が流れないので寂しい」とか、「オーン・ファウストと前作のガーディアンが同等の存在ならば、前作のパロディ的なエンディングも必然だろう」とか、「演出・音楽・エンディング」に関しても楽しめるようになりました。

 こうして私は本作を長いこと楽しくプレイしています。この文章が本作を一度手放した人が再び購入するきっかけにでもなれば幸いです。シューティングの復活の機会を、それを望んだプレイヤー自身がつぶしてはならないのですから! (また恥ずいこと書いてるな…)

ホヴァネス:交響曲第53番「星の燭光」、他

2011-01-24 20:24:48 | CD


アラン・ホヴァネス:
・交響曲第53番 作品377「星の燭光」
・交響曲第29番 作品289
・桃の花 作品125
・交響曲第20番 作品223「聖なる山への3つの旅」より第3楽章

指揮:キース・ブライオン
トロンボーン:クリスティアン・リンドベルイ
オハイオ州立大学コンサート・バンド

DELOS: DE 3158



 なごむんですよね~、ホヴァネスの音楽。

 どれも同じに聴こえますが、それがまたいい。現代音楽ではありますが、とても素朴です。「自然派」と呼ばれる事もあります。素朴なのに奇妙な音組織を持っていて、作品はすぐにホヴァネスのものとわかります。ホヴァネスはアルメニア系アメリカ人。奥さんは日本人のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手。作品には山や日本をテーマにしたものが多くあります。作品数はやたらと多く、交響曲だけでも第1番「エグザイル(追放者)」から第67番「山への讃歌」まであります。

 交響曲第53番「星の燭光」は2楽章構成で15分程度の短い曲ですが、タイトルがかっこいいですね、「Star Dawn」ですよ。このディスクのメインで、CDジャケットも1960年代のSF映画のポスターみたいでたまりません。曲はSF的でもなんでもなく、なごみますよ~。第1楽章に現れるビブラフォンのキラキラ系サウンドがちょっと面白いです。言われてみれば、ぱーっと朝日が射すような、全体的に不思議なスケール感を持つ音楽です。

 交響曲第29番はバリトン・ホルンまたはトロンボーンをソロに迎える協奏曲のような作りで、このディスクではトロンボーンをなんとリンドベルイが演奏しています。トロンボーンの怪人リンドベルイがもったいないくらい、なごみ系の曲調です。とはいえ、中近東のような、インドのような、よくわからない響きですね。

 近年ではホヴァネス作品がコンサートやCDで演奏される機会は確実に増えています。ですが、その音楽の「わかりやすさ」ゆえに「通俗音楽」などと軽視されたこともありました。でもそれを言ったら、アメリカの音楽は全て通俗音楽になってしまいます。通俗性と芸術性は相反する物ではないのですけどね。そんな古くさい批評をくつがえし再評価の兆しがある中、2011年はホヴァネス生誕100周年です。はたしてホヴァネスブームが来るのか? 私の中ではちょっとしたブームですよ。




YouTubeで見つけた、恐らく上記ディスクの「星の燭光」第1楽章。


クラシックCD紹介のインデックス

【ゲームクエスト】LOVE★パラ ラブリー東京パラパラ娘

2011-01-23 19:39:27 | ゲームクエスト
LOVE★パラ ラブリー東京パラパラ娘(プレイステーション)

2009年1月22日掲載

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 このようなゲームを誰が買うのか?

 ゲーム製作・販売には、限られた購買層を想定していることでしょう。たとえどんな「大作」でも、国民全員を対象にしているはずがありません。本作「LOVE★パラ ラブリー東京パラパラ娘」が狙う購買層を私が想像すると、以下のような感じでしょうか。

・都会で遊びたい10代後半の女の子
・ゲームはするが特に好きというわけではなくお金はかけない
・パラパラ系のダンスが好き
・即物的

 なんだか「コギャル」という死語が頭に浮かびます。オタクである私とは正反対の人種です。むしろ天敵です。オタクの基本は「自分なりの理屈」ですが、そんなものをくどくどと語ったところで、勢いに任せるのみのコギャルには通用しません。「キモーイ!」と言われるだけです。

 そんなオタクの私にコギャルを操作させようとしているのがこのゲームです。私も不本意ですが、コギャルにしてもいい迷惑でしょう。音楽に合わせて指示通りボタン(○×△□)を押して、コギャルにパラパラを踊らせるのです。コギャルの名前はパラ子(芸名)。18歳。上京してパラパラダンサーとしてバイトを始めたとのことです。

 最初のステージはあこがれのクラブです。今更パラパラがどれほどの勢力を持っているのかは知りませんが、パラ子はバックダンサーを従えてセンターで踊るという注目度です。へえすごいですねえ、いよいよここからパラ子のダンサー生活が始まるそうですよ、とか他人事のように思いながらゲームスタートした5秒後。

 なんて金のかかってないゲームなんだ!

 …定価1500円ですから。それでもこの金のかかってなさったら凄い。ゲーム制作で最も金のかかる部分はグラフィック制作(の人件費)なので、グラフィックを簡略化するのが低価格への第一歩です。で、本作の音楽は毎分150拍くらいの速度で、アニメーションは1拍ごとです。1秒あたり2~3枚のアニメーション。もうパラパラどころかパラパラマンガ以下で紙芝居レベルです。

 それにゲーム中は画面上方の指示ゲージばかりを凝視して、ダンスを鑑賞することができません(良いのか悪いのか)。そのゲージにしても、慣れないうちは「□△×□」とか「□×△○」とか表示されても反応なんてできません。それでも最初のステージですから「○○××」などの簡単なパターンばかりなのでクリアはできるでしょう。するとパラ子の前にチャリンチャリンとチップが投げ込まれました。

 なんというむき出しの物欲!

 あまりの表現の直接性に驚き、コギャルの美的センスを疑ってしまいそうでした。でもアクションゲームでも地べたのコインを集めることはよくあることだと考え直しました。コギャル、ごめん。

 最初のステージが終わると、バイトと称して様々なステージで踊ることになります。はじめの頃はチップ1枚が10円とか20円です。一回のダンスで最大200枚のチップが投げ込まれますから、本当にささやかな稼ぎです。クリアするごとにバイト先のステージが増え、また各ステージのレベルも3段階まで選択できるようになります。もちろんレベルが高いほど稼ぎがイイのです。

 グラフィック関係ですが、ずっこけそうになったことがもう一点あります。パラ子と「クラブで踊るカッコイイ人たち」は普通に表現されているのですが、「一般ピープル」は落書きのような適当な絵なのです。しかも人間も動物も幽霊も全部同じような顔です。コギャルの目には世界がこのように映っているのでしょうか。名声が無い人には顔すら必要無いというのでしょうか。それではまるで修羅の国ではありませんか…。

 ゲーム中盤になると、脳の中に変な回路ができてきて操作に混乱はなくなります。そしてついに隠しステージとしてAKIBAが出現! コギャルとオタクはお互いどう接するのか!? どちらの肩を持てばいいかわからないが、とにかくスタートだ!

 4人のバックダンサーもオタクだが、思った以上にオタク描写がひどい! 長髪、Tシャツ、メガネに小太り。顔の造形も最低レベルだ! これがコギャルが認識するオタク像なのか!? 一方、パラ子に目もくれず、背を向けて画面奥に歩いていくアキバ系オタク達! コギャルがよく言う「アウト・オブ・ガンチュー(眼中に無い)」はお互い様だということか! パラ子にとっては完全なアウェーか?

 とはいえ、クリアすればちゃんとチップが投げ込まれます。「自分なりの理屈」をもってパラ子を評価するオタクもいるのでしょう。しかもレベル3ではチップ1枚あたり1万円です。1ステージで最大200万円は稼げます。今まで小銭をちびちびと稼いでいたのはなんだったんでしょう。オタクすげえ!

 オタクは他人の趣味に関して基本的に口出ししません。なぜなら自分の趣味に口を出されたくないからです。「その趣味は私は好まないが、君が好むのは自由」というスタンスです。そしてオタクは自分が好んだ対象には惜しみない愛情を注ぎます。奔放なコギャルにとって、オタクは案外いいパートナーなのかもしれません。

 オタクが金を持っている限りは。

 プレイ中はL/Rボタンで効果音を鳴らすことができます。あるタイミングで鳴らすとゲームを有利に進めることができます。また、稼いだ金額でエンディングが変わっていくようです。私は今のところ2000万円稼ぎましたが、そのうち1億円まで稼いでやるつもりです。

 バブリーでキャッチーな音楽、わからなそうでわかる操作感覚、チープで派手で凶悪なグラフィック、ビミョーに歪んだコギャル時空などが、税抜き定価1500円で楽しめます。ただし、本作の購買層はコギャルとオタク限定ですよ!

若草山の山焼き

2011-01-22 19:45:37 | 奈良
 私が奈良に来て1年近く経った頃、「だまされた!」と思った事があります。それが本日も行われた若草山の山焼きです。だまされたというか、本当は私の勘違いなんですが。

 このイベントの写真は全国紙の一面にもよく掲載され、奈良に来る前にもよく目にしていました。その写真では若草山全体が真っ赤に燃えているのです(こういうの)。こういう写真を見て、こいつはスゲエ!と興奮していたのですが、これが多重露光したものだとは理解していなかったのです。

 奈良に来て最初の山焼きの日、山肌全体が燃え上がるという大スペクタクルを間近で見ようと若草山へ向かいました(以下、ボケた写真ですいません)。


人がいっぱい見に来ています。
炎もまだ小さいようです。


さらに近づいてみましたが、炎はまだ広がりません。


炎がだんだんしょぼくなってきました。
誰も不思議に思っていないようです。

 ここに至って、多重露光の意味がわかったのです(遅!)。そうか、この炎のフロントが徐々に移動し延焼していって、長時間かけて山肌全体を移動するのか、と。なんとおバカさんだったことよ。


山焼きの最中は若草山の斜面を少しだけ登る事が出来ます。
振り返るときれいな夜景でした。ああ、きれいでしたとも!

 大スペクタクルではなかったからって、奈良は悪くないし、山肌全体が燃えている写真を載せたメディアも悪くありません。悪いのは私の頭でした。ですがこれ以来、山焼きをわざわざ見に行くことは無くなりました。しょうもない記事と写真ですいません。