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日野日出志「幻色の孤島」

2011-09-30 23:13:09 | 日野日出志
 日野日出志「ホラー自選集」の第10話「幻色の孤島」ですが、これも前回の第9話「七色の毒蜘蛛」と共通する要素があります。毒々しい色のイメージを持つタイトルも似ています。両者は共に1971年の作品であり、同様の精神状態のもとで描かれたのでしょうか。



 扉のページをめくると、いきなり主人公が手紙を書いています。そこでは主人公が孤島にいることが記されています。そしてその孤島の様子が左ページに描写されていますが、この孤島は様々な気味の悪い生物達の弱肉強食の世界でした。そして主人公は記憶喪失であり、ここがどこかも自分が誰かも分からないというあんまりな状態。それにしても現実感の無い異様にマンガ的な風景ですが、これには理由があるのでした。

 そしてジャングルの奥で「どんどろ どんどろ どろろん どろろん」と不気味な音が聞こえてきたかと思ったら…。



 巨大な門、仮面をつけた遺体、人の姿と太鼓の音。何やら象徴的なものが現れてきました。ここで主人公は助けを求めて近寄りますが、言葉が通じないばかりか矢で左腕を射抜かれてしまいます。この際に日野日出志作品にしばしば出てくる「ペロペロ ナメナメ コチョバイバイ」のセリフが出てきて笑ってしまいますが。

 主人公はこの門の近くで観察を続けます。すると病人や老人たちが門の外に捨てられ、彼らを狙って周辺から奇妙な生物たちが集まってきます。そして捨てられた人々は次々と食い殺されてしまい…。



 門の向こう側の人達は太鼓を激しく叩いて興奮しているのでした。粗雑で無表情の仮面も気味が悪いですが、門の両側の巨像の顔のアップが繰り返し描かれているのが日野日出志作品的で印象深いです。

 そして矢で射抜かれた左腕が腐って落ちる頃、門の中から捨てられた一人の男と会話を交わします。彼も漂流をしてこの島にたどり着いたけれど、島の風土が体に合わず弱ってしまって捨てられたそうです。その彼は以前秘密の通路を作って門の内側に入ったとのことで、主人公は仮面をつけて中に入ってみると…。



 なんと普通?の街でした! この絵はいいですねぇ。グレーのかかった街並、隙間無く詰め込まれた図形のような建物、やけにリアルな外界側の塀と柵、どこで鳴っているかわからない「どろろん どろろん」の文字、空の巨大な胎児と目(太陽?)、主人公の異様な影。この作品はこのページのためにあると言っていいかもしれません。

 無事向こう側にたどり着いた主人公は結局人々の中で暮らすことができず、さらに体も弱ってきます。そこで冒頭にあるように手紙を紙飛行機にして飛ばし、気流からこの島の位置を特定し助けにきてもらうことを考えます。そして毎日手紙を書いては外の世界に向かって紙飛行機にして飛ばし続けているのですが…。

 ところがページをめくってみると、いままで描かれてきたのはなんだったのかという展開になり、読者は混乱します。主人公の妄想だったのでしょうか? その答えが語られることも無く、最後のページでは…。



 主人公が飛ばした紙飛行機が不気味な太鼓の音とともに読者に迫ってくるのでした。この結末は得意の読者巻き込みの変形パターンであると考えられます。

 この作品はホラーという感じはあまりありません。けれども読後感として非常にもやもやしたものが残ります。というのも、この作品が明らかに現実の世界を描いているからに他なりません。現代社会に適応しきれなかった人間の苦悩を描いているのは間違いなく、その点で前回の「七色の毒蜘蛛」と近いものがあると感じられました。自分とあなた(読者)とどちらが正常なのかという問いかけがあるように思われます。ホラー描写は控え目ですが、途中までの妙にマンガ的な描写もあいまって、社会に背を向けた人の頭の中を覗いたようなサイコスリラー的恐怖がある作品です。異色の日野日出志作品の筆頭ではないでしょうか。

 余談ですが、ひばり書房から出ている単行本「幻色の孤島」と「ぼくらの先生」は同じ内容になっています。私が作品を集めていた時に混乱してしまったのですが、なぜそうなっているのでしょう。やはり内容のインパクトでしょうか?

 

 中身は全く同じ。他に「ぼくらの先生」「おーいナマズくん」「かわいい少女」「つめたい汗」「猟人」「人魚」を収録。


日野日出志作品紹介のインデックス

石垣島旅行 その3

2011-09-27 20:05:34 | 旅行
石垣島旅行 その2の続き

 3泊4日の石垣島旅行最終日は買い物して帰るだけでしたが、天気がとても良くなりました。



 宿泊したペンション赤がわらの中庭です。始めからこの天気が続いていれば良かったのですが…。



 海の向こうには、前日に渡った竹富島が見えました。



 中庭にはこのような場所があって、休憩や食事ができるようになっています。

 そういえば石垣島にはヤモリがたくさんいて、「家守」として大事にされているそうです。ここのペンションの客室にもいました。夜中にキチキチという鳴き声を出してびっくりしましたが、慣れたら何ともなくなりました。虫を食べてくれるとのことです。



 昼食は港近くの繁華街に出て沖縄名物タコライスをいただきました。自宅でも簡単に作れておいしいです。



 その後、お土産を買ったりしましたが、疲れたのでカフェに入って一休み。窓から外の路地を見てみたら猫が歩いていました(見えるでしょうか)。



 猫といえば、石垣空港で見たタクシーの中には屋根に猫のランプを載せているものがありました。それともこれは西表島のイリオモテヤマネコでしょうか?

 というわけであまりいい写真がありませんでしたが、石垣島はのんびりとしてて食べ物もおいしく、素晴らしいところでした。島らっきょうもおいしかったです。石垣空港は滑走路が短く十分な燃料が積めないとのことで、帰りは那覇空港で一度降りることができました。沖縄本島もあらためて行ってみたいです。他にも西表島、宮古島、小浜島、波照間島、与那国島など、沖縄県には行ってみたい島がたくさんあります。次はどこに行こうかしら。

光より速い粒子?

2011-09-24 21:50:08 | 科学
 光より速い粒子が観測されたとのニュースが流れていました。スイスにある欧州合同原子核研究機関(CERN)の粒子加速器からイタリアのグランサッソ国立研究所に向けてニュートリノを飛ばしたら、その速度が光が届くより60ナノ秒速かったというものです。本当だったら凄いことですね。これまで散々検証され正しいとされてきた相対性理論が成り立たない場合があるということですから。でも私は期待2割、疑い8割といったところです。

 ご存知のように、物質は光の速度(正確には、真空中の光の速度)より速く運動することはできない(正確には、光の速度はどのような観測者から見ても同じ)ということがアインシュタインの相対性理論の前提条件になっています。光速度不変は証明されたわけではなくて、このような前提を考えるとものごとがうまく説明できるというだけのものです。だから光速度不変をくつがえす条件などは皆無であるとは言い切れないのです。

 記事を読んでみると、研究施設の位置をGPSで測定したと書いてあります。一番ありうるとしたらGPSの測定位置の誤差ではないでしょうか。光速度を毎秒30万kmとすると、60ナノ秒間に光がどれだけ進むかというと18mです。つまりスイスから光とニュートリノが同時に放出されたとしたら、イタリアに着く頃にはニュートリノの方が光よりも18m先行していたという計算です。GPSの精度を考えると、18mくらいはすぐにずれそうなものです。カーナビ等で実感されている方もいるでしょう。実際は質量のある物質が光速度に達することはないとされているので18m以上の誤差があったことになるでしょうが、それにしても微妙な速度差ですね。

 光というのは速い速いと言われますが、私にとっては光の速度というのは絶望的に遅いような感じがするのです。月まで1.3秒、太陽まで8分19秒、隣の恒星まで4年以上もかかるのです。この縛りがあるため人類は太陽系を出ることはないでしょう。光速度が何によって決定されたかは知りませんが、光速度というのは空間の性質そのもので、ひょっとしたら宇宙が生まれた当初のちょっとしたパラメータの揺らぎで決まったのかもしれません。もし光速度が大きな宇宙があったとしたら、そこにいる知的生命体は自在に宇宙旅行をしているでしょう。宇宙人が地球に来ているとしたら、光速度の大きな別の宇宙からワームホールを通って来たに違いありません。

 それはさておき、今回の実験の測定結果に間違いが無いとしたら大変な発見です。相対性理論が成り立たない場合があるということで、その条件が明らかにできれば、相対性理論の修正(拡張)によって科学技術にさらなる可能性が生まれるということですから。ニュートン力学は相対性理論と量子力学と結合されて現代物理学を構成していますが、この結果によってさらに拡張されることを(過度な期待しないで)楽しみにしています。

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 おまけですが、粒子加速器といえば、随分昔に筑波にある高エネルギー研究所(KEK)で実験の手伝いをしたことがあります。加速された粒子に電磁場をかけて軌道を変える場合、制動放射という現象が起きて粒子から光が出てきます。この放射光を様々な実験に利用する施設がここKEKにあります。



 この写真は実験に行った時のものではなく、その後に見学に行った時のものです。筑波山の見事な姿が見えます。



 実験施設のビームラインはこのようになっています。ここに交代要員として3日ほど泊まり込んで24時間体制で実験していました。交代の時間になると15分ほど歩いて敷地内の宿舎に寝に行くのですが、夜中だと広大な敷地のあちこちで真っ赤なランプが回転していて、かなり怖いものがありました。実験期間中は食事だけが楽しみでしたが、選択肢がカップラーメンかKEK食堂しかありませんでした。今なら近くにコンビニができて便利になったとのことです。ただし歩いて行くと敷地から出るだけでも時間がかかるでしょうが。

ロッククライミング 未踏峰への挑戦 アルプス編

2011-09-18 22:13:26 | ゲーム
 スイスの氷河特急に乗って終点のツェルマットで降り、そこからロープウェイで登ったイタリアとの国境近くから間近に見えたマッターホルン、遥か向こうにはモンブラン。インターラーケンから登山鉄道に乗り継ぎ、アイガー、メンヒを貫くトンネルを抜けて到着したユングフラウの山頂。スイス訪問の折に体感した雄大で過酷なアルプスの山々の脅威。そしてそれらに挑む人々の崇高な精神。そういったものを全て蹴散らして、失笑・苦笑の渦に巻き込んでしまうのがプレイステーションの「ロッククライミング 未踏峰への挑戦 アルプス編」です。

 クソゲー・バカゲーマニアには有名な作品ですが、その全貌を知っている人はあまり多くないのではないかと考えられます。

 解説書表紙には「すべての大人を熱中させる、シミュレーション・ゲームの新ジャンル」「常識やぶりに夢中になろう」と、ものすごく自信に満ちた文章が書いてあります。その意気やよし。あとは結果が伴えば文句の付けどころがありません。常識をやぶっていることについては逆の方向性で賛成しますが。

 ディスクを入れてプレステの電源を入れると、頭が開いて目玉が飛び出すロゴマーク。そのブランド名は「NET YOU」と書いて「熱中」と読みます。そしてタイトル画面ではアルプス一万尺のようなノーテンキな音楽がプレイヤーの腰を粉々に砕いてきます。

 クライマーを操作して登山の中からロッククライミングの部分をプレイできるのが本作の売りであり、手がかりとなる岩に両手両足それぞれをホールドするという独自のシステムを持っています。両手両足それぞれにどれほどの体重がかかっているかを常に計算しているようです。ただし厳密ではないようで、岩場の上に片足だけで立って横に大きく倒れるとか、何かを威嚇するように両腕を広げながら両足だけで垂直に近い絶壁をわしわし登るとか、ありえない動きをしたり珍ポーズを決めたりするのが本作の楽しみ方として定着しています。

 各手足はある程度自動的にホールドできる位置に動こうとするのですが、その感知範囲が広いため、届きもしない岩場に向かって手足を延ばしてプルプルと震えてしまっています。プレイしていて失笑がこぼれてしまうのですが、この姿は何かの諧謔でしょうか。

 岩場もなんだか立体感とリアリティーの乏しい作りです。通常の岩場は人工的なトレーニング用のものにしか見えず、尾根の稜線も酷くて魚の骨を登っているようです。もうちょっとましな絵にはならなかったのでしょうか。

 音楽もメニュー画面等でしか鳴らず、ゲーム画面では吹きすさぶ風の音しか聞こえません。しかも何かメッセージが表示されると、その風の音さえも止まってしまうという心細さ。頼むから何でもいいから鳴らしていただきたい。

 ロッククライミングのステージ間は移動イベントになっています。かなりの確率で吹雪や雪崩に巻き込まれることになり、登山計画は狂いがちです。ひどい例だとステージ1に到着する前にクレバスに落ちて遭難してしまったこともありました。何しに行ったんだよ…。

 後半ではプレイも面倒くさくなっています。オーバーハングでは足場を作るためにハーケン(くさびのようなもの)を壁面に打ち込み、カラビナ(フックのようなもの)をかけ、あぶみ(はしごのようなもの)をつり下げる必要があります。ハーケンは回収せねばならず、コマンドをちまちまと選ぶのが非常に煩わしいです。



 上の画像ではどうやってぶら下がっているのでしょうね。まるでやる気の無い「ストライダー飛竜」のようです。

 ある場所で壁面に開いた洞窟に入ってみると、その奥には力尽きた先人クライマーの遺体が…。悼みの言葉でもかけるイベントでもあるのかと思って近づいてみると、「ハーケン30本を手に入れた」とのメッセージ。世知辛ぇ…。

 このゲームではハーケンは貴重です。途中でハーケンの打ち込みに失敗して飛ばしたり潰したりすることが意外と多く、山頂直前にありながらハーケンが無いためにオーバーハングを越えられず登頂に断念したこともありました。かといってハーケンを多めに持って行くことが自由にできないのです。登山計画ではハーケンの推定必要数が30本とか表示されているくせに、通常のスケジュールを組んでしまうと食料とのトレードオフになり10本しか持って行くことができなくなることが多いです。困ったもんだ…。



 途中には上のような風景も…。達人ボムかよ!



 それぞれのルートをクリアするとこの画面になって、今の気分を選ばされます。「じわじわと喜びが」を選ぶとベートーベンの第九(歓喜の歌)が流れます。「とても爽快な気分」を選ぶと何だかわかりませんが祭り囃子が流れます。これがまたタイトル画面のアルプス一万尺もどき以上のウエスト・クラッシャー(腰砕けをもたらすもの)になっているので必聴です。「疲れました」を選ぶと10秒間の沈黙の後にシューベルトの子守唄が流れ、しばらくすると何故かいびきの音に変わります。全く意味のない選択肢です。

 いろいろと書いてきましたが、このゲームで最もしょうもない部分は実は別にあるのです。何が一番しょうもないかというと、ステージの構成が単なる正解ルート当ての運試しということなのです。体力・腕力・テクニックの上昇によって攻略ルートが開拓されるわけでもなく、ただ単にこっち行けば当たり、違う方に行けばハズレ(最悪の場合は遭難)という、極めて底の浅いゲーム性になっているのです。だから難しくはないけれど、とにかく煩わしいという印象が拭えません。クライマーの重心の位置のわかりづらさによる操作性の悪さも煩わしさに拍車をかけています。

 まあそれでもプレイしていれば誰でもクリアはできるでしょう。このゲームでは5つの峰の13のルートを踏破するとエンディングになります(以下ネタばれだが、別にばれても誰も損しないと…)。

 最後のルートで山頂に到達するといつもの無意味な選択肢の後にスタッフロールが流れます。音楽はショパンの「別れの曲」。それが終わるとムービーが始まります。アルプス山麓のホテルのオープンカフェとおぼしき場所で誰かを待っているような女性。その頃、アルプスの絶壁には切れたロープがハーケンにかかっています。はるか崖下にはクライマーの遺体が…。文字通りのオチでした。そして目玉が飛び出すNET YOUロゴからタイトル画面へ。

 悲劇で終わるのは別にいいんですよ。これが「すべての大人を熱中させる」シナリオだというなら受けとめましょう。けれども、全てのルートをクリアしたという記録をメモリーカードに残させない仕様に納得がいかないのです。セーブデータは永遠に山頂直前の状態のままです。なんともスッキリしません。ちなみにいきなりエンディングを見る隠しコマンドあり。



 我がクリア直前データ。私が設定したクライマーの名前はもちろん「コンバット越前」に由来しており、クソゲーブーム時にプレイしていたことが伺えます。それにしても「えちぜん」ではなくて「えちせん」となっています。ファミコン時代じゃあるまいし…。

 さて散々笑いをこらえながら、ようやく本日クリアしました。先日に生駒山地に行ったことをきっかけに久々にプレイしたのでした。山道で転んで腕を怪我した時は嫁に呆れられてしまいましたが、その後この「未踏峰への挑戦」をプレイしていると、「ついにゲームでまで登山するようになった…」とさらに呆れられました。絶壁でのあり得ない体勢やプルプルしている手足を見て、駄目押しのように呆れていましたが。嫁も面白がって見ているので、早く続編出してください!



 YouTubeでのプレイ動画。もういろいろとサブいですね。

テレビ石

2011-09-17 22:14:09 | 科学
祝! ブログ開設一周年!

 …などという楽屋ネタはやりたくないのですが、ブログ開設当初はもっと科学関係の記事も書きたかったのに、現在までほとんどありません。初心に戻って書いてみましょうか。

 先日の記事奇石博物館に言ったと書きましたが、そこでテレビ石というものを買ってきました。この名前は通称で、正式名称はウレキサイトといいます。組成はNaCaB5O6・5H2Oであり、ホウ素を含んだ珍しい鉱物です。



 私が買ったのは高さ2cm程度の小さなものですが、実はこの石は街の鉱物ショップなら大抵のところで売っている定番のお土産なのでした。

 この石のどこが面白いかと言うと、石の下側の絵が上側に映って見えるという性質があるのです。



 なぜこのように見えるかというと、細長い結晶が並んで光ファイバーのようになっているからと説明されています。底面からの光は細長い結晶の側面で反射を繰り返して上面まで到達するということです。現在、光通信によって多く用いられている光ファイバーですが、同様のものは自然によってすでに作られていたとは驚くべきことです。

 ちなみに、ホウ素を含む珍しい鉱物と上では書きましたが、ホウ素自体がこの宇宙で比較的珍しい元素なのです。それがなぜ地表でまとまって採れるのでしょうか。地球を岩石の塊と考えると、その成分は主に酸素、ケイ素、マグネシウム、鉄であり、これらの元素(イオン)が秩序を持って並んでいるとイメージできます。ところが珍しい元素があると元素の並びの秩序が崩れてしまい、構造が弱くなってしまいます。したがって珍しい元素の周辺はちょっとした圧力の低下などがあると融けてマグマになりやすいのです。地球内部でこういうプロセスを繰り返していると、地表にマグマが出てきた時には、珍しい元素が濃縮されているということになるのです。非常に簡単な説明ですが。

 宇宙では恒星内部の核融合反応によって常に元素が消費・生成しています。宇宙の90%は水素、9%はヘリウム、その他の元素は全てひっくるめても1%程度です。基本的に軽い元素ほど存在量が多いのですが、ホウ素は5番目に軽い元素なのにとても存在度が低いのです。この理由は核融合反応でホウ素が生成する反応の種類が少ないためであり、より重い炭素や酸素の方が反応のキリがいいため存在度が高くなっています。何百億年か経って宇宙の元素の反応が進むと、ホウ素はさらに少なくなってしまうのかもしれません。

 こんなふうに一個の土産物の石から地球や宇宙にまで想いを馳せることができるなんて、我ながら何と安上がりな趣味なのかと感心してしまいます。テレビ石はそこらへんの店で数百円で売っているので、見かけたらぜひ手に取ってみてください。



石垣島旅行 その2

2011-09-16 20:54:24 | 旅行
石垣島旅行 その1の続き

 石垣港から船に乗るとわずか10分で竹富島に到着です。竹富島は直径3kmほどの小さな島ですが、竹富島の集落は国の重要伝統的建造物群保護地区になっているそうで、赤瓦の屋根を持つ建物が並んでいます。

 竹富東港から15分くらい歩くと集落に入ります。ここで自転車を借りて島をぐるりと回ることにしました。



 この日もスカッと晴れなかったのがちょっと残念。まず目指すのは島の西側のコンドイビーチ。



 コンドイビーチに到着。天気が悪いですね。このビーチ周辺では星形の砂が採れ、幸運のお守りとなるそうです。砂とは言っても元々はプランクトンの殻ですが。私たちも形のいいものを何粒か拾ってきました。



 コンドイビーチにも猫がいました。上の写真の右の小屋では人が寝ていて、そこに居着いている猫のようです。



 ここは遠浅になっていて、沖の方までかなりの距離を歩くことができます。沖まで歩いた後、集落の中心部に向かいました。



 おみやげ屋などいくつか見て、休憩のためにグリルガーデンたるりやに向かいました。この店は集落のほぼ中心に位置します。



 店にはとぼけた犬がいて、なぜか私たちの足下にやってきて伸びてしまいました。



 建物の方には猫もいました。この島ではとても多くの猫を見かけました。





 しばし休んで、再び出発。花と緑と石垣がいっぱいの風景です。



 たるりやの近くには「なごみの塔」という高さ7~8mの塔があって、登ることができます。塔の上部はとても狭いですが、360度の眺めが楽しめます。建物の屋根の赤瓦がとても美しいです。



 集落には観光用の水牛車がのんびりと巡回していました。次に行った時は乗ってみたいですね。



 集落をぐるぐる走り、自転車を返却し、竹富東港に戻ってきました。向こうに見えるのが石垣島です。

 石垣島は随分と近代化していましたが、本来はこの竹富島のような風景だったのでしょう。いつまでもこの街並を受け継いでいって欲しいですね。

つづく

死ぬかも知れない、と思った話

2011-09-12 21:38:36 | 日記
 昨日の記事で書いたように、山道で駆け下りていたら転んで左腕をしこたまぶつけて、現在も痛くて十分に動かせません。心身ともに気合いを入れるどころか、足から尻にかけての筋肉痛で立ち上がるのもしんどいし、そんな自分にヘコみまくっています。山をなめてかかってはいけません。

 山をなめるな、と書いて思い出した話があります。私が大学の学部4年生の時のことですが、友人(小笠原ハワイに一緒に行った)および先輩の大学院生2人の合計4人で富士山に行こうということになりました。ちょうど9月のこの時期でした。

 日程は1泊2日を予定しており、2日目に登ろうということになりました。ところが1日目の移動中の車内でラジオの天気予報を聞いていると、次の日は雨が降るという予報でした。そこで急遽ですが富士登山をその日のうちにしてしまおうということになりました。

 車が富士山五合目に着いたのは14時でした。こんな時間から登ろうという人はほとんどいません。山小屋の営業も8月で終わっているからです。経験がある方はご存知でしょうけれど、富士登山というのはかなりの苦行です。森があって鳥がさえずるでもなく、小川のせせらぎがあるでもなく、目の前には巨大な斜面があるばかりです。夕方暗くなる前に、この斜面を登ってさらに降りてこようということになったのです。普通なら無理だと思うはずなのに、なんせ斜面のてっぺんには頂上が見えているため、これくらいならいけるだろうと誰もが考えていたのです。

 私はこの時が2度目の富士登山でしたが、幼少の頃の最初のトライアルでは八合目あたりで引き返したのでした。その時のリベンジということもあって、正常な判断ができていなかったのかもしれません。

 さて、富士の登山道は当然ながら左右に蛇行しています。まっすぐ登るにはあまりにも急だからです。したがって頂上がなかなか近づいてこないのです。その上、地面は砂利のようで意外と足を取られるため、体力がかなり消耗します。4人の中で一番体力が低い私は随分と皆の足を引っ張ってしまいました。そしてへとへとになって頂上に着いたのが4時間後の18時でした。

 頂上に着いたはいいけれど、こんな時期には誰もいません。当然自販機なんてあるわけがありません。日もだいぶ傾いており、周囲はみるみる暗くなっていきました。さらに悪いことには雲が出てきて視界が非常に悪くなってしまいました。電灯なんかもありません。頂上で15分くらい休んだ後、先輩が急いで帰ろうと言い出しました。私はすでに疲れ果てており、野宿をする覚悟でした。それに真っ暗な山道を今から降りる方が危険ではないかと考えてもいました。先輩にそう言ったのですが、気温も低いしここにとどまるのは危険だろうということで、結局頂上で15分休んだだけで急いで降りることになりました。

 もう必死で斜面を駆け下ります。雲が晴れる様子は全くなく、周囲はますます暗くなっていきます。もちろん明かりもありません。体力も気力も限界です。助けてくれる登山者はどこにもいません。下り始めてから30分程度、いよいよ何も見えなくなりそうになった時、本気で死ぬかも知れないと覚悟しました。それでも足を止めずに駆け下りていたら…。

 突然雲が晴れ、登り始めた満月に足下が照らされました。暗闇に目が慣れていたので、月明かりだけでも十分なほど周囲がはっきりと見えたのです。この時ばかりは奇跡が起きたと感じましたね。4人は声を上げて喜びました。

 そして2時間半かけて五合目まで戻ってきました。時刻は21時前です。ここから河口湖方面に移動し、「信玄ほうとう」を食べ、空いている旅館を見つけて休むことができました。

 翌日、天気予報ははずれ、空は晴れていました。富士周辺をのんびりとドライブし、奇石博物館などに寄って楽しみ、夕方には東京の大学に戻ってきたのでした。

 というわけで、山をなめてはいけません、というお話。そういえば本日9月12日は中秋の名月ですね。我々4人を救った満月を見て感謝しながら、だんごスイーツをいただくとしますよ。

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今日のおまけ画像



 冬の晴れた日には大学から富士山が見えました。富士山の手前は神奈川県の丹沢山地です。

生駒山地を越える 生駒駅~生駒山麓公園~石切駅

2011-09-11 23:06:04 | 奈良
 ダレた心身に気合いを入れるために何かしようと考え、生駒山地の各所を越える(大阪府←→奈良県)一連の企画を考えました。実は10年ほど前に国道308号を進んで暗峠(くらがりとうげ)を越えて大阪側へ行ったことがありますが、そこはいずれもう一度チャレンジするとして、まず本日は家から一番近い生駒駅から出発するルートです。途中で生駒山麓公園を通って大阪側へ降りることにしました。



 企画を思い立ってすぐに実行です。まずは生駒駅に移動。この時点で時刻はすでに14:40でした。正面の山が生駒山。高さ642m。



 家でざっとルートの確認はしてきたのですが、山麓公園までのルートがよくわかりませんでした。どこかに案内でもあるだろうと思っていたけれど、全く見つかりません。とりあえず住宅地の中を斜面の上を目指して移動。この先で道に迷い、体力と時間をかなりロスしました。



 ケータイのGPSで場所を確認しながら何とか登山道入り口に到着。ここから800mで山麓公園。薄暗い山道を息を切らし汗だくになりながら20分くらい登りました。



 登るのがいいかげんに嫌になった頃、ようやく山麓公園にたどり着きました! 普通は車で来るのですが…。東生駒からバスも出ているし…。ここは以前から来たいと思っていた場所で、公園には広場やフィールドアスレチックの他にプールや入浴施設もありました。日曜日だったので多くの人が遊びにきていました。この時点で時刻は15:40。自販機で水分補給して先を急ぎます。



 山麓公園のメイン入り口は信貴・生駒スカイラインに繋がっています。ここから大阪側に降りる登山道は信貴・生駒スカイラインを渡った向かい側です。ここを入っていくと道がいくつかに分かれていましたが、案内もよくわからなかったので一番下っている細い道を選んで進みました。



 それがこの道ですが、大ハズレでした。この先でさらに道がいくつかに分かれるのですが、最初に進んだ先ではゴルフコースの脇に出てしまい、次の道は途中からケモノ道になってしまい、三つ目はどんどん登って行きそうな勢いでした。ここで30分ばかりのロスです。しかもケータイのバッテリーが減ってきてしまい、GPSにも頼れなくなりました。とりあえずスカイラインまで戻って、別の道を進むことにしました。





 迷っている途中で見かけたキノコ。上は高さ約15cm、下は直径約12cmほどありました。何というキノコでしょうね。



 別の道をしばらく進むとようやくルートマップを発見。石切駅までのルートが載っています。この頃には体力も消耗していたし、下山までの時間も読めなかったので、やっと希望が見えてきました。



 ルートマップのすぐ後ろには、石切駅まで続いている「くさかハイキングコース」の入り口がありました。駅まで2.2km。ようやく帰れそうです。



 ルートは場所によっては真っ暗で、しかも誰も通っておらず、非常に心細いです。頭上には蚊がぶんぶん飛んでいて耳ざわり。もう早く降りたかった私はかなりのスピードを出していました。それが良くなかったようで、途中でスピードを制御できなくなって前のめりにスッ転んでしまったのです。右手は擦り傷だらけ、左手は捻ってしまったようでろくに動かなくなり、服は泥と血で汚れてしまいました。この時は誰も通らない山道でこのまま死ぬのかと思いましたが…。



 その後ゆっくり落ち着いて降りてくると住宅地に出て、下り坂の向こうに大阪平野の街が見えた時はほっとしました。ああ、生きて帰ってきた、って。



 実はその後も道に迷ってしまい、ものすごい遠回りをして石切駅に着いたのでした。本当は新石切駅まで降りたかったのですが、さすがに限界でした。石切駅の近くで生駒の方を見るとどことなく穏やかに見えますが、あまり山をなめてはいけませんでしたね。駅に着いた時点で時刻は17:40。たった3時間の散歩程度の山越えでしたが、体力と判断力が相当衰えているようです。次はもっと計画的に進める必要があるようです。

 というわけで、今も左腕が動かせないほど痛いのですが、治ったら別の地点で山越えを計画しています。次はもっと時間の余裕を持って行かないと。

アイレムと私

2011-09-07 22:26:19 | ゲーム
 心身ともにしんどい時、私はなぜか余計にしんどいゲームをプレイしたくなります。ここ数日は、プレステおよび2で以下のようなアイレムのシューティングをつまみ食いしています。多くのアイレムシューはシビアなことで有名です。

 ・アール・タイプ(アール・タイプス
 ・アール・タイプII(アール・タイプス
 ・アール・タイプ デルタ
 ・アール・タイプ ファイナル
 ・イメージファイト(アーケードギアーズ)
 ・Xマルチプライ(アーケードギアーズ)

 アイレムの歴史は90年代中頃に断絶しており、それを境にした新旧アイレムはそれぞれ別の組織です。旧アイレムがアーケードから撤退し、数年後に新アイレムがアイレムブランドを引き継いでいます。このことを引き合いに出して「今のアイレムは(ゲームの質的にも)昔と違う」という発言をする人もいますが、私にとってはこのことは大した問題ではなく、どちらもやはり面白いゲームを作るアイレムなのです。

 その現在のアイレムですが、事業を大幅に縮小しているようです。これは震災によって「絶体絶命都市4」が発売中止になった影響なのかどうかはわかりません。一部の開発者は独立してグランゼーラという会社を設立したとのことですが、だからといって同じく発売中止になった「ポンコツ浪漫大活劇 バンピートロット2」が復活する可能性は低いでしょう。

 そんな先行き不安なアイレムですが、私が最初にアイレムを認識したのが1982年の「ムーンパトロール」です。横スクロールのジャンプアクションシューティングで、MSXにも移植されました。でこぼこ道を走る車輪の動きが面白いです。PSG音源による軽快な音楽も印象的でした(当時としてもレトロな風味ですが)。



 この後、アイレムは「ジッピーレース」や「スパルタンX」などがヒットし、ファミコンに移植されました(スパXの移植は任天堂)。また、アーケード版の「ロードランナー」も手堅く売れ、全4作品も販売されました。私も「ロードランナー」をちょいちょいプレイしましたが、当時既に家のPCで散々プレイしていたので、アーケード版に若干の違和感があってそれほどやり込みませんでした。

 そして地味だったアイレムを一挙に上級職までクラスチェンジさせたのが1987年の「アール・タイプ」です。ゲーメストでの紹介記事を見て、異質なグラフィックや見るからにテクニカルな自機の装備に驚愕したのを覚えています。「アール・タイプ」の魅力は今更私が語るまでもありませんが、溜め撃ち、巨大戦艦、攻防一体の支援機などのアイデアがゲームデザインの中に効果的に活かされていました。敵の攻撃も奇想天外なものが多く、これは高性能なマザーボードがあって成し得たことでしょう。

 ゲーセンに出回った直後から当然私はやり込みましたが、6面のコンテナにはさすがに手こずりました。それでも当時は若かったので、ちょっとコンティニューで練習しただけで1周までのパターンができました。2周目はさすがに難しいですが、それでも死ななければ基本的に1周目と大きく変わらなかったので、2周クリアは早い段階でできました。ところが最近プレイしてみると、1周目はなんとかクリアできますが、2周目の敵弾の多さに対応できなくなっているようです。歳をとっての衰えでしょうか…。

 私にとっての「アール・タイプ」の面白さとは「自機の攻撃手段の多さ」です。敵の種類やシチュエーションによって、ショットを撃つ、波動砲を撃つ、ミサイルを撃つ、フォースを当てる、レーザーを撃つ、フォースからショットを撃つ、ビットを当てる、などの攻撃を使い分ける必要があります。だからと言って決まったやり方でしか攻略ができないわけではないところに奥の深さを感じます。また、基本的にはパターンゲームですが、ランダム性がちょいちょい挿まれているのも良いアクセントでした。

 「アール・タイプ」と同じ製作者の「イメージファイト」の面白さも同様に「攻撃手段の多さ」でした。ただし、敵の攻撃がさらにひねったものになっていて、ゲーマーへの挑戦状のような難しさがありました。アーケード版の発売後間もなく1周クリアは達成していますが、2周クリアは未だに達成していません。プレステ版では画面モードが充実していないため、現在我が家ではまともにプレイできないのが残念です。

 この後のアイレムはゲーメストなどの雑誌に攻略情報を載せることを規制していました。これによって「Xマルチプライ」や「アール・タイプII」などは、その難易度の高さもあり、その面白さを理解されないうちに多くのゲーマーがクリア前に諦めていきました。私は「アール・タイプII」ならなんとか1周クリアまではやり込みましたが、「Xマルチプライ」はコンティニューせずに1周クリアできません(この記事を書いた次の日にプレステ版で1周クリア)。

 どちらのゲームも後半ではかなり厳しいパターン化を強いられます。しかも雑誌の攻略記事を読んだだけではわからないような、タイミングを体で憶える必要があったのです。これが家庭用のゲームならいくらでもコンティニューして練習すればいいのですが、ゲーセンではお金がどれだけあっても足りません。それにゲームを一人で占領するわけにもいきません。インターネットも無かった当時、攻略情報が雑誌に少しでもあれば、これら2作は歴史にもう少し名前を残していたに違いありません。

 しばらくすると攻略情報の規制は解除されました。シューティングだけでなく多くのジャンルのゲームをリリースしてきましたが、1994年にアーケードから撤退。開発者たちはネオジオ周辺に移り、「メタルスラッグ」や「KOF'94」等を制作したと言われています。一方、アイレムの版権を受け継いで97年に設立された新アイレムでは、旧アイレムの末期に発生した密かなギャグ路線を受け継ぎつつも、ひと味違った作品を生み続けてきました。特に「絶対絶命都市」シリーズは災害に遭遇した人々が直面する困難というものに正面から取り組んだ作品でした(現実はあんなものじゃない、と言われるかもしれませんが…)。現在では入手も難しいかもしれませんが、今だからこそ考えるべき点もある作品だと思うので、もし機会がありましたらプレイされることをお勧め致します。

 その他、我が家にあるアイレム関係の作品を以下に挙げます。そういえば「桜坂消防隊」は積んだままだな…。

 ・海底大戦争
 ・SIMPLE 1500シリーズ Vol.94 THE カメラマン ~激写ボーイ おまけ付き~
 ・-U- アンダーウォーターユニット
 ・絶体絶命都市
 ・桜坂消防隊
 ・ポンコツ浪漫大活劇 バンピートロット
 ・ブロックス倶楽部 with バンピートロット
 ・絶体絶命都市2 -凍てついた記憶たち-

 どれも派手さは無いけれど独自の味があるものばかりです。今後もアイレムの作るゲームを楽しみたいので、メーカーの皆さんにはぜひとも頑張って欲しいところです。



 アーケード作品にてドットの描き込みが極限に達した「エアデュエル」。ただしゲームとしてはやや単調で、ショットも今一つ撃っている手応えが無いというちょっぴり残念な作品。



 もう一つ、「クロスブレイズ」を紹介。こういう渋いヒロイックファンタジーものも作っていました。動画冒頭の姉ちゃんの絶叫が当時のゲーセンに響いていました。本来は剣で敵の攻撃を防御してから反撃するというゲーム(だから「クロスブレイズ」)なのですが、この動画では結構強引に進んでいるようです。ドットの塗りパターンが、この後のネオジオの「KOF」や「トップハンター」に受け継がれていることが見て取れます。