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新薬師寺と白毫寺

2011-07-31 21:10:33 | 奈良
 会社を辞めてから気力と体力が枯渇しており、ほとんど外にも行かず家で何もしないでぐったりしていることが多かったのですが、ちょっと散歩でもして心身共にすっきりしようと新薬師寺と白毫寺(びゃくごうじ)に行ってきました。ケータイで写真を撮ってきましたが、今回はワイドな画面で掲載します。

 いずれのお寺も奈良教育大学の裏にあります。本来の私なら家から歩いていくところですが、さすがに電車とバスで行きました。近鉄奈良駅からバスで10分くらいの高畑町から歩きます。



 15分くらい歩くと視界が開けます。正面は南都鏡神社で、右の奥に新薬師寺の入り口があります。



 新薬師寺の南門です。この門は鎌倉時代に造られた重要文化財。参拝料は600円。



 本堂は国宝で、奈良時代の747年に建立されました。シンプルだけど堂々とした造りです。この本堂内部には本尊の薬師如来像と十二神将が並んでいました(撮影禁止)。薬師如来と各々武器を持った十二神将が円になって並んでいるのがあまりにも格好良過ぎでした。十二神将は干支にも対応しており、マイ神将に肩入れすること必至です。これらの仏像は一体を除いて全て国宝に指定されています。



 本堂の東側にはなぜかステンドグラスの窓がありました。梁のデザインも装飾的です。東門がガラスに映っています(よく見たら私の姿も…)。



 境内の雰囲気。広くはないけれど開放的でした。



 境内には蝉がいっぱい鳴いていました。その中で見つけた一匹です。多分ニイニイゼミだと思うのですが、久しぶりに姿を見たような気がします。蝉と言えば関東ではミンミンゼミが多かったのですが、関西ではクマゼミばかりです。アブラゼミはどちらも多いですが。



 さて新薬師寺の次は白毫寺に向かいます。新薬師寺から歩いて15分くらいの位置ですが、山の斜面にあるので坂を登らなければなりません。写真の一番奥が白毫寺の入り口です。



 入り口の石段を上って門をくぐると、さらに登らされます。



 石段を登り切って振り返ると、なかなかの高さを感じます。



 参拝料は400円。白毫寺は715年に建立されたそうです。別名は一切経寺。ここは本堂です。少し離れた宝蔵には重要文化財の阿弥陀如来像(平安~鎌倉時代)や閻魔大王像(鎌倉時代)がありました。



 境内は落ち着いており、様々な石仏があちこちにありました。こちらの蝉はヒグラシが多かったです。



 白毫寺の売りの一つは眺めの良さです。この写真は逆光になっているためうまく撮れていませんが、奈良市内を見渡すことができるナイスなスポットです。

 今日は暑かったし、結構歩いて疲れはしましたが、少し元気が出たような気がします。どちらのお寺もオススメで、奈良にお越しの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その11

2011-07-25 22:14:39 | ゲーム
チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その10の続き

 太宰府を攻め落とした元は鎌倉に向かって進軍すると思われましたが、逆に鎌倉幕府軍に逆襲されてあっけなく滅んでしまいました。これでビザンツ帝国と鎌倉幕府の戦いになりました。とは言っても、戦力はあまりにも差があり、まずは国王アンドロニコスが太宰府を陥落。日本文化圏以外の国王が太宰府にいると以下のようなイベントが発生します。







 このイベントによって国王の政治力が若干上昇しました。アンドロニコスは「道真公よ、ぜひわたしにもご利益を」などと殊勝なことを言っておりました。



 さて、その勢いで鎌倉も制圧し、文化アイテム2つを手に入れました。これで合計79個のアイテムを所有したわけですが、最後の1つのアイテムがまだ手に入っていません。実はこのアイテムはまだこの世に存在していません。最後の文化アイテムとはダンテの「神曲」で、これが出現するのが1304~1321年の間ということです。世界制覇はもう少し待ってみましょう。



 ついに14世紀となった1301年の冬、支配都市は53。大陸では人員を大きく動かして都市の大開発を行っています。残る都市は北条時宗が逃げ込んだ平泉ただ一つ。平泉から鎌倉に向けて軍隊や間者が送られてきていますが、ひたすら撃退しています。できる限り敵将軍を捕らえて登用していますが、できなければ斬首をして戦力をむしり取っているところです。

 次回、最終回なるか!?

つづく

ハワイ! その4

2011-07-23 20:57:23 | 旅行
ハワイ! その3の続き

 ハワイ島、マウイ島に続いて、最後はホノルルのあるオアフ島です。



 オアフ島にやって来た我々の最初の目的地はハワイ大学でした。ここで1時間ほどハワイ大学教授の地球科学の講義を聴いたのですが、当時の私には英語がまったく聞き取れませんでした(今も大差ありませんが)。写っているのは友人です。



 教授の案内でオアフ島の地質的な見所を巡っている時にヌウアヌ・パリ展望台に立ち寄りました。そこから撮影したオアフ島北東側の町カネオヘ。



 オアフ島での滞在はホノルルのワイキキビーチに近いリゾートホテルでした。残念ながら海側ではありませんでしたが、これはこれでいい景色です。



 夜景も美しいです。山の向こうから月が登りました。



 次の日の午前中はオアフ島南東にあるハナウマ湾に行きました。ここは噴火口が湾になったところです。シュノーケルを借りて海中散歩を楽しみました。



 午後は自由時間。ワイキキビーチにやってきました。これぞハワイですなあ。日本人らしき人もたくさんいました。周辺の店でもほとんど日本語が通じるので、始めての海外旅行にもいいかもしれません。



 なぜかポーズをとる友人。そういえば以前ゲームクエスト投稿文に書いた「ハッピージョギング in ハワイ」にこの風景があるかと調べてみたら、収録範囲から300mほど離れていました。奥の高い建物は収録されてます。

 1週間ほどハワイに滞在してきましたが、この次の日に帰国しました。普通の観光旅行では行けないようなところも数多く巡ることができて、とても楽しい旅行でした。でも少人数でのんびりと普通の観光もしたいですね。

早くも退職しました

2011-07-21 20:44:48 | 日記
 7月20日付けで退職しました。たった3ヶ月で退職することになってしまったのは残念であります。

 退職の理由は幾つかあるのですが、最大の理由は通勤時間の片道約2時間半が長過ぎるということです。家の事情で引っ越すことができず、今までは通ってきました。ですが、1ヶ月前に決まった配属先がかなりのハードワークの部門で、こんな通勤時間では体が持ちませんでした。ここ1ヶ月で体重は7キロ落ち、毎日家に帰るとぶっ倒れるような状況でした。現在でさえこの有様なので、今後残業が入るとさらにひどいことになっていたでしょう。疲労で事故などを起こしかねません(実際、先週に事故があって大けがをした人がいました)。

 退職について部長にお願いしたところ、配属先の転換も提案されました。その転換先というのは第1希望だった部署でしたが、通勤時間が変わらない以上は根本的な問題が解決されないため、苦渋の決断をしました。

 今週は同期の皆や実習中にお世話になった部署の方に二度も送別会を開いていただき、有り難いと同時に心苦しくもありました。皆にはくれぐれも事故を起こさずに頑張って欲しいです。

 また就職活動の日々になります。世間の子供たちは今日から夏休みですが、私もこの夏休みが長引かないよう頑張ります。ブログの方もちょいちょい書いていくことにしましょう。

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今日のおまけ画像



 2009年の3月、富山市から見た立山連峰。実際に見ると巨大な壁のようでした。

チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その10

2011-07-17 22:24:29 | ゲーム
チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その9の続き

 1297年新春、ついにフビライ=ハーンも天寿を全うしました。元の国王の座を継いだのは長男のドルジです。ミカエル8世とフビライの直接対決はありませんでしたが、戦闘ではビザンツ帝国が二度に渡って勝利し、フビライを朝鮮半島まで追いつめたので、ビザンツ帝国の判定勝ちと言っていいでしょう。

 さてその元ですが、鎌倉幕府と戦闘が続いており、ついに九州の太宰府を勢力下に置いてしまいました。日本本土が元のものになるのは抵抗がありますが、実は私はこれを待っていました。両国が潰し合っている隙に朝鮮半島の開城を攻め落とすためで、目論み通りです。次は元が鎌倉に攻めてくれるといいのですが。

 こうして気分よく極東を攻めていたら、またしてもえらいことが起きてしまいました。カラコルム領主の金方慶(史実では元とともに日本を攻めた高麗の武将)がビザンツ帝国に反旗を翻して独立したのです。またかよ!



 なぜ二度もカラコルムの地で反乱が起きたのかはわかりませんが、今度はキルギス朝を名乗っています。しかも前回オイラート領として独立した時の領主である司馬元燕が登用され、手を貸しているようです! こいつは許せん!

 ビザンツ帝国の対処も手慣れたもので、周辺4都市から1軍ずつカラコルムに派兵し、1297年夏には鎮圧してしまいました。まったく手間ばかりかけやがる。



 二度もビザンツ帝国を敵に回した司馬元燕は斬首するつもりでしたが、間違って解放してしまいました。悔しい……。



 金方慶は斬首。裏切り者は許さないことにします。



 1297年秋、支配都市は51。国王の弟の一人であるラドゥミール(架空の人物)はカリマンタン島(ボルネオ島)に都市ビントゥールを建設。残るは日本列島のみ!

つづく

チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その9

2011-07-10 09:42:04 | ゲーム
チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その8の続き

 1295年夏、ミカエル8世崩御!

 大都へ向かう途中、サマルカンドに立ち寄っていた折の事件でした。そして史実と同じくアンドロニコスが跡を継いで国王となったのですが、それに異を唱えた領主たちがビザンツ帝国からの独立を宣言!



 カラコルムは司馬元燕によってオイラート領として独立!



 カラチ領主だったゼーヘートゥがダルマパ王朝を樹立!



 マスカットを首都としてアムル=イフマーがギヤルク帝国を建国!

 イル=ハン国の裏切りといい、今回のことといい、ビザンツ帝国の敵は内側にいることが多いようです。とはいえ、イル=ハン国の時のような対応をすれば問題は無いでしょう。何より先手必勝です。

1295年 夏

 王位継承によって全国300人の将軍たちの忠誠度が最大20程度下がっているので(最高は100)、それらを回復しながらの戦闘です。まずはシーラーズからカラチに蒙古騎兵の1軍を差し向け、一瞬で攻略しダルマパ王朝滅亡。わずか1ターン(2ヶ月)も存続しなかった王朝でした。

 また、マスカットに向けてバグタードおよびメッカから1軍ずつ進軍。カラコルムに対しては敦煌とエミールから1軍ずつと大都から国王アンドロニコス自らが出陣。王位継承して最初の仕事です。そして、その間にもユーラシア大陸の東の果てでは王子たち(ではなくて国王の弟たち)が泉州(福建省)制圧。周辺の元軍も掃討。

1295年 盛夏

 マスカットには足の速い蒙古騎兵が向かっていましたが、次のターンで到着。敵は火砲を持っていましたが、強引に攻め落としてギヤルク帝国滅亡。

 オイラート領には足の遅い火砲兵も向かわせているため、攻撃が遅れています。カラコルムにいた他の将軍たちは一旦周辺都市に避難です。もちろん全国の将軍たちの忠誠度の回復にも注力。交易に出ている将軍はしばらく帰ってこないので、回復が遅れてしまいます。

1295年 秋

 ようやく軍隊が集結したのでカラコルム攻撃。足が速く兵数の多いアンドロニコス国王軍が囮となって城内の敵を誘導し、場外から火砲を狙い撃ち敵部隊を足止め。すぐにカラコルムは陥落し、オイラート領滅亡。国王は国内の平定を祝って宴を開催し、忠誠度回復(と子作り)にも励みます。

 今回独立したカラチとマスカットは、ビザンツ帝国が建設してから何年も経っていなかったので、都市の基盤が弱く奪還は簡単でした。先に元と鎌倉幕府を倒しても良かったのですが、気分がすっきりしないので先に鎮圧してしまいました。

 その後、弟たちは元の会寧(黒龍江省)にてフビライ=ハーンとの二度目の戦い。鎌倉幕府との戦いで手薄になっている会寧に火砲兵を惜しみなく投入して制圧。フビライ=ハーンを朝鮮半島の開城に追いつめたのでした。



 ビザンツ帝国は国内が混乱している間にもアンコールの地に都市を建設しました。こちらの怪獣のような御仁はアンコール領主ジュールブラム。1296年新春、支配都市は49。相変わらず元と鎌倉幕府が戦闘をしています。

つづく

チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その8

2011-07-03 22:58:21 | ゲーム
チンギスハーン 蒼き狼と白き牝鹿IV シナリオ2 - 再興のビザンツ帝国 その7の続き

 元の成都(四川省)を攻め落としたら、すぐ隣の襄陽(湖北省)から元の軍隊がぞろぞろと出てきて成都を奪還しようとしてきました。もちろん我が軍は返り討ちにしながら襄陽ににじり寄ります。それと同時に、カラコルム(モンゴル帝国首都)と敦煌でじっと待機していた王子たちの軍隊を一気にユーラシア大陸東海岸に差し向けて合流し、大都(北京)と襄陽を同時攻撃です。

 大都を攻めたのはアンドロニコス兄さん。敵はあのフビライ=ハーン! 純粋な騎兵隊だったチンギス=ハーンとは異なり、文明の利器を持った部隊でしたが、こちらは数とテクニックで勝利です。



 史実ならば次期国王の兄さん、まずはフビライ=ハーンに一勝!



 フビライ=ハーンももう80歳。セリフも弱気になっています。



 ところが解放するとこの強気の一言。現在ミカエル8世が大都に向かっているので、決着はその時につけましょう。

 その他の王子たちは襄陽に続いて臨安(浙江省)を攻め、その勢いで泉州(福建省)を包囲しているところです。また、パガンからは陳朝のハノイに攻め込み、あっという間に制圧してしまいました。ただいま東南アジアおよび華南地方の街道を整備しています。



 ハノイの君主となったマーラヴァルマンは、史実ではインドに存在していたパーンディヤ朝の王。1295年の春、ビザンツ帝国の支配都市は47。新たな都市、西安(陝西省、古くは長安と呼ばれていた)を建設。以前にてこずった東アジア同盟の期間は終了し、元と鎌倉幕府は再び戦闘状態になっています。今回こそうまく利用しなければなりません。

つづく