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ハイドライド・スペシャル

2016-05-15 21:43:59 | ゲーム
 いきなり余談ですが、1985年、それまでになかった2人同時プレイの縦スクロールシューティング3作がほぼ同時に発売されるということがありました。それらはコナミの『ツインビー』、カプコンの『エグゼドエグゼス』、SNKの『HAL21』です。これが偶然なのか何らかの情報のやり取りがあったのかはわかりません。私はこれらの中で『エグゼドエグゼス』を好んでプレイしていました。

 そしてその直前の1984年にはPCゲームにも3作同時期に同様の新機軸の作品が発売されていました。発売順(おそらく)にコスモス・コンピュータの『カレイジアス・ペルセウス』、日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』、T&Eソフトの『ハイドライド』です。当時はRPGというジャンルがようやく認識され始めたばかりでしたが、すでにARPGという新ジャンルを開拓したというのに驚きです。

 この中で最もシンプルかつ地味なのが『カレイジアス・ペルセウス』、最も複雑で戦略的なのが『ドラゴンスレイヤー』、最も見栄えが良くヒットしたのが『ハイドライド』でした。多くの機種に移植されましたが、私がプレイしたX1版はオリジナルのPC8801版と比較して画面は綺麗ではありましたが、強敵のドラゴンなどが省略されておりました。オンメモリのテープ版が当時の普通のPCゲームだったので、今からするとさほどボリュームはなかったのですが、それはもう最先端のゲームを遊んでいる感覚があって楽しくプレイさせていただきました。

 ハイドライドはその後もシリーズを重ね、翌1985年には『II』、1987年には『3』が発売され、もちろんいずれも大ヒット。私は『II』はクリアしましたが、『3』はこれからの挑戦となります。

 さて、PC版『II』発売後の1986年、ファミコンに初代のアレンジバージョン『ハイドライド・スペシャル』が発売されました。基本はほぼ初代ハイドライドですが、魔法の要素と音楽は『II』のものになっています。

 ジム君(説明書でもなぜか「君」付け)を操作してフィールドを駆け回り、宝物や妖精を集めて王女様を助けるという単純な展開。けれども当時のファミっ子たちには受け入れられなかったらしいですね。なにせ本作が発売されたのは『ドラゴンクエスト』の前だそうで、ファミコン初のRPGということでゲームのコンセプトやシステムが理解されなかったとのこと。敵を倒すと経験値が手に入り、一定量たまるとレベルアップするなんていきなり言われても確かにわからないことでしょう。それに、剣を振り回したりするようなビジュアルはなく、攻撃モードと防御モードを切り替えるという直感的に分かりづらいシステムの影響も大きかったのではないでしょうか。ちなみにX1版ではスペースキーを押すごとに両モードが切り替わりましたが、ファミコン版ではAボタンを押している間だけ攻撃モードになります。



 宝物を集めるのも難しかったかもしれません。画面に宝箱が見えている場合はいいのですが、同じ種類の敵騎士を連続で3人倒すとかはヒントもなく偶然にしか得られなかったことでしょう。これは1984年に発売されたアーケード版の『ドルアーガの塔』の影響であるのは明らかです。ファミコン版はモード切替も『ドルアーガ』方式とも言えるかもしれません。ただし、正確には「攻撃重視モード」「防御重視モード」というべきで、防御モードでも攻撃力はあり、強い敵と戦うには防御モードでないと瞬殺されてしまうというのもゲーム慣れしていないと難しかったことでしょう。



 ゲームクリアまでにはそれほど時間はかかりませんが、いちいち最初からプレイするのは大変です。そこでパスワードで途中経過を保存する方式を採用しましたが、わざわざパスワードを書き写し、次回プレイ時にそれを入力するというのもの煩わしいです。ファミコンの電源を切るまでなら一時的にセーブとロードはできますが、何かと敷居が高く感じられたことと思います。



 さらに、PC版に準じたのでしょうが、キャラが8ドット単位で移動するというのも動きが粗く見えたかもしれません。PC版では当然の措置でしたが、それをそのまま移植すると、ファミコンのドットは大きいため他のゲームと比べて動きが雑に感じられます。



 『II』を引き継いだ魔法要素ですが、戦闘で使う必要性はあまりありません。その代わり謎解きに必要になっています。当然ファミコン版オリジナルの謎ですが、2つの謎のうち一方は『II』と同様の使い方。もう一方は3人目の妖精の救出に使いますが、説明書にヒントがあるけれど、わかっていてもなかなかチャンスをものにできず、忍耐強いプレイが要求されます。魔法が使えないPC版でも一番難しい謎がある部分でした。



 音楽は『II』のものと書きましたが、これがまた映画『インディージョーンズ』をパクったような曲ばかりで、『II』プレイ時には苦笑しておりました。それがまた聴けたのもちょっと懐かしかったです。



 というわけで、結構バカにしたような書き方をしてしまいましたが、私としては当時やり込んだ『ハイドライド』がファミっ子たちにはクソゲー扱いされたのがかなり残念だったのでした。まあ確かにPC版をかなり忠実に移植しすぎたのかもしれません。もっとファミコン的でも良かったかな。中古ゲーム屋の店先のワゴンで150円だったので懐かしさのあまりつい買ったのですが、当時の評価に対する疑問も解けたのでなかなか良い買い物でした。その後ファミコン版の『ハイドライド3』も購入したので、早いうちにチャレンジしたいところです。

ミャスコフスキー:交響曲第24番、第25番

2016-05-05 22:58:06 | CD


ニコライ・ミャスコフスキー:
・交響曲第24番 ヘ短調 Op.63 ウラディーミル・デルザノフスキーの思い出に
・交響曲第25番 変ニ長調 Op.69

指揮:ドミトリ・ヤブロンスキー
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

NAXOS: 8.555376



 旧ソビエト連邦最大の交響作曲家とも言われるミャスコフスキー、交響曲を27曲も作っています。ソビエト共産党に迎合したということで長い間無視されてきましたが、近年は再評価がされているらしいです。私は現時点で、ミャスコフスキーの作品をこのディスクにある2曲しか聴いたことがなく、この作曲家をとても語れるわけがありません。まあけれども、第一印象として感じたことを述べることはできるかもしれないので、勇み足も恐れず記事を書いてみます。

 ソビエト共産党が芸術の内容にまで口出しして推し進めた「社会主義リアリズム」という芸術運動は、「革命の歴史を具体的に描写し、その(表向きの)主人公である人民を英雄的に描き、体制への不満をそらす」というものでした(後半は私の悪意ある解釈)。この運動に対し、先進性の強いショスタコーヴィチなどは激しく葛藤し、共産党に粛清される直前にまで至りました。一方このミャスコフスキーの場合は比較的うまくやったようです。政治的にというよりは、ミャスコフスキーがもともと持っていた音楽性(明快さ、ドラマ性、歌心など)が社会主義リアリズムと親和性が良かったからという気がします。というのがこの2曲を聴いた印象です。

 交響曲第24番は3楽章構成です。全体として音素材はそれほど多くはないですが、それらが次から次へと繰り返し淀みなく展開して、ある種の説得力を持っていると感じます。素材にはロシア民謡的な「歌えそう」なものが多く、それを半音階的なウネウネした伴奏が取り囲んでいます。ちなみに一部の素材の音型がショスタコーヴィチの交響曲第12番(体制に迎合的な一曲)と似ているように思えるのですが、これは私の考えすぎでしょう。ショスタコの方が随分と後の作品ですが。

 私が好きなのは3楽章です。特に気に入っているのが、トロンボーンとテューバによるコラールで、単純な旋律ながら半音階を駆使した複雑なハーモニーが現代的です。その後も主題の展開を次々に繰り出して、最後は非常に穏やかに終わります。下の動画はスヴェトラーノフ指揮の第3楽章で、2:31からがコラール。



 交響曲第25番も同様に3楽章構成。全体としてなんとなく24番と同じような雰囲気ではありますが、チャイコフスキーのような書法もあったり、第3楽章がアツかったりで、こちらを好む人の方が多いかもしれません。

 というわけで、社会主義体制の国家がなくなりつつある現在になってようやく純粋に音楽として評価され始めたミャスコフスキーの作品ですが、交響曲第24番と第25番に関して言えば、歌えそうな旋律を明快に展開させながら、ロマン主義的なニュアンスある曲に仕上がっていると感じました。2曲とも30分ちょっとであり、大作と言えるようなスケール感はないかもしれませんが、演奏会の中プロあたりで演ってみたい曲でした(その代わりメイン曲は軽めの組曲か何かで)。

 ミャスコフスキーには多くの弟子がいたようです。そして孫弟子にはシュニトケもいます。このディスクの2曲のように平易さと複雑さとドラマ性とその他様々な要素を包括しているミャスコフスキーの音楽が、シュニトケらの多様式主義の源流の一つであるとしても不思議ではありません。

 最後にどうでもいい話ですが、ミャスコフスキーの誕生日は4月20日で、それは私の誕生日でもあります。変なところで親近感が湧いてきたので、他の作品をいろいろと聴きたくなりました。

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